この世界はゲームなんかじゃない
「こりゃひでえ…」
防犯カメラに残された証拠映像を見ながら、竜彦の隣で先輩が思わずうめき声を上げた。映像では、薄暗い路地裏で若い女性の後ろから一人の男が忍び寄っている。
一分四十二秒後、カメラの前で繰り広げられる惨劇。何度も何度も、胸に突き立てられるナイフ。その悲惨さに、捜査員全員が目を逸らした。さらに二分十七秒後、事を済ませた男は防犯カメラに気づき、なんとおどけた様に手を広げこちらを見上げてきた。
画面越しに、ニヤニヤと笑う犯人と目が合う。竜彦はゾッとした。この男には、全く反省の色がない。むしろまるで、楽しんでいるかのようだった。男はカメラの前でわざとらしく深々とお辞儀してみせた。そこで証拠映像は止まった。
長い沈黙が、捜査本部に訪れた。
「先輩…」
「…全く気楽なもんだぜ。最近の若い奴ってのは、ゲームと現実の区別がちゃんとついてんのか?」
「さっさととっ捕まえて、この馬鹿に現実を教えてやりましょう」
竜彦たちは頷きあい、ものの数分後には全員が容疑者を追うために捜査本部から散っていった。
容疑者の目撃情報が飛び込んできたのは、それから三日後だった。
「元々しっかり顔まで映像が残ってたからな。三日じゃ遅いくらいだ」
覆面パトカーの助手席で、先輩が愚痴った。まだ逮捕状はない。だが、映像の本人と分かれば適当に理由をつけてでも引っ張っていくつもりだった。竜彦はあの日からずっと、嗤うあの男の顔が頭を離れなかった。
「あの野郎…許せねえ…」
助手席で、先輩がイライラしながらドアを叩いた。竜彦はアクセルを更に踏み込んだ。
「おかしいな…留守みたいだ」
「変ですね。この時間、容疑者はいつも家にいるらしいんですが…」
返事のない部屋の前で、二人は首を捻った。まさか、捜査の手が伸びているのを知って逃げたのか?嫌な予感が頭に過ぎった、その瞬間―…。
「きゃああああ!」
「何だ…ッ!?」
突然、近くから悲鳴が聞こえてきて、竜彦は反射的に周りを見渡した。悲鳴はすぐそばだ。方向的には数十メートル先、この木造アパートの裏手の路地裏から。
「行くぞ!」
「先輩ッ!?」
気がつくと、先輩が上ってきた階段を急いで駆け下りていた。竜彦は困惑した。もしこの悲鳴も例の容疑者の仕業だったとしたら。こんな白昼堂々、人を襲って無事に済むと思っているのだろうか。頭がおかしいとしか思えない。まさか本気で、この世界をゲームか何かと勘違いしてるのか?
だとしたら―…。
踊り場で立ち止まり、竜彦は無許可で隠し持ってきた拳銃に重々しく弾を込めていった。
「貴様!何をしとるんだ!」
下の階までたどり着き、裏手に走ると先輩の怒号が聞こえてきた。壁の向こうで竜彦の目に飛び込んできたのは、すでに先輩に組み伏せられた男、そして二人の目の前で、怯えた表情を浮かべる若い女性の姿だった。
路地裏のアスファルトに頬を押し付けられているにも関わらず、男の顔には薄ら笑いが浮かんでいる。その表情は、あの日ビデオで見た映像そのままだった。間違いない。例の容疑者だ。反省の欠片も見せず、人を馬鹿にしたように嗤っている。
竜彦は思わず頭に血が上った。
もしこのまま逮捕されても、この男はきっと反省などしないだろう。法の裁きを受け、薄ら笑いを浮かべたままぬくぬくと塀の中で暮らすだけだ。それでは、被害者は決して報われない。この男は一生、この事件をゲームのサブイベントか何かと勘違いしたままだ。
だとしたら―…許せない。俺が裁きを下してやる。
隠し持っていた拳銃を求め、竜彦は背中に手を伸ばした。だが、冷たい金属に手が届くその前に、先輩が凶器を取り上げ怒鳴った。
「ふざけやがって…いいか、この世界はな、お前のためのゲームなんかじゃないんだ!」
「先輩…!」
「ちゃんと見てろ!現実で女性を刺すときはな、ナイフをこう持って、こう、やるんだよ!お前のやり方はありゃなんだ、遊びか!?全く許せねえ…本気でやれよ!!」