第八話 踊る大攻略戦
翌日、我々はボスを倒すべく朝から北の山岳フィールドへと向かった。山岳と言っても、雪を被るような高山が連なっているわけではなく、丘に毛が生えたような低山の集まりである。一番高い山でも五百メートルを少し超える程度で、頂は白い雲の下にある。しかしそれでも、生息するモンスターや植物はクリッカ周辺の森とは大きく異なっており、針葉樹の森と時折姿を現す険しい岩場が特徴的だ。
ボス攻略戦に参加した初心者の数は、ボスまでの道を確保する露払いを合わせて八十人を超えた。もはや冒険者たちの集団と言うより、軍隊と言う形容が相応しい。露払いとして先陣を歩く我々は、それぞれ武器を手にしながら周囲に眼を光らせる。しかし、初心者と言えどさすがにこれだけの軍勢。恐れをなしたのかモンスターたちはさほど姿を現さなかった。それに現れたとしても、皆で寄ってたかって倒してしまう。
「思った以上に静か。余裕」
「ああ、少し拍子抜けだな」
すでに出発時の緊張は緩み、一行はピクニックにでも来たかのような調子となっていた。内側に陣取る攻略組からは、絶えず和やかな談笑が聞こえてくる。ただしその中心でたった一人、アカシアだけは真面目腐った仏頂面をしていた。これが彼女の常なのか、それともこれからのボス戦にベテランと言えど緊張しているのか。そのどちらかは分からないが、あまり良い印象は受けない。
「あの……前々からお二人に聞きたかったことがあるんですけれども」
レイシーが少し気恥ずかしげな様子で尋ねてきた。何だろうか。我とルナリアは互いに顔を見合わせると、後ろにいるレイシーへと視線を返す。
「何が聞きたいんだ?」
「スリーサイズと体重以外なら何でもいいわよ」
「私がそれを聞いてどうするんですか! いえ、お二人と付き合って結構日が経ちましたし……そろそろリアルでのこととかもちょっと聞いてみたいかなと。ああ、すみません。答えたくなかったら答えなくていいですよ。基本的にマナー違反ですし。ただ、ここから先は本当に命を賭ける戦いになりそうですし、お二人についてもっとよく知りたいって思って……」
「そんなことか。我は別にかまわぬぞ。我は現実では――」
「ちょっと待って!」
ルナリアがいきなり割って入ってきた。驚いて我とレイシーが話を中断すると、彼女はふうっと息をつく。
「危なかったわ。私が遮っていなければあともうちょっとで死ぬところだったわよ」
「へッ!? 敵でもいたんですか!?」
レイシーがきょろきょろとあたりを見渡す。しかし、辺りには敵の影など一切なく、非常に静かなものだ。彼女がほえっと間の抜けた顔をすると、ルナリアはわかってないなぁとばかりに両手を上げる。
「戦いの前に重要な個人情報を聞く脇役は確実に死ぬわ。死亡フラグ」
「そんな理由!? ゲームじゃないんだし、フラグとかありませんよ!」
「ここはゲームの世界」
「確かにそうですけど、そうじゃないですよ! オシャレバトルシステムとか導入されてません!」
「大丈夫、レイシーはギャグキャラだ。死ぬことはない」
「酷い! 主役とは言わないですけどせめてヒロインぐらいにはしてくださいよ!」
「……せめてヒロインって、あなた意外と自意識過剰」
「あぅ……!」
しまったとばかりにレイシーは口を押さえると、顔を耳まで赤くした。銀髪を揺らし、眼鏡の奥からもじもじとこちらの様子を伺う。青い瞳から送られる上目遣いの視線はとても愛らしいが――何故かヒロインと言う気配はしないな。心が芯からときめかないとでも言えばいいのだろうか。野菜人愛用のスカウンターを使えば、たちどころに――
「ヒロイン力5Bってとこだな」
「ちょ、なんか低くないですかそれ!? というか、単位のBってなんです!?」
「1ベジター。根菜王子のヒロイン力を1とする単位だ」
「男じゃないですか!! しかも男の娘とかじゃなくて、バリバリの肉食系男子ですよ!」
「何を言っているのだ。あいつのマゴゴソラを思ういじらしい心はまさにヒロ――」
我が気分よく語りだそうとすると、レイシーはイヤイヤとばかりに首を振った。なんだ、最近の若者はかめかめ波とかどどーん波とか大好きじゃなかったのか?
「語らなくて良いです! あんな古い漫画、私そんなに詳しくないですから! 語られても困っちゃいます」
「お年寄りの思い出話はきちんと拝聴すべき。孫失格よ」
「孫じゃない! というか、どうせ語るならトラコンポールじゃなくてリアルでの自分とかにしてくださいよ。それならばっちり聞きますよ?」
レイシーは「今度こそいいですよね?」とルナリアにアイコンタクトを送った。それに対して彼女はハイハイどうぞとばかりに頷く。よくわからないが、死亡フラグについてはもう大丈夫なようだ。我は気を取り直すと、ここ最近の自分の生活について思い浮かべてみる。
「現実での我はそうだな……最近はずいぶん長いこと寝ていたな。その前はひたすら戦っていた。戦っていない暇な時間は……そうだな、ゲームなどをして家に引き籠っているな。錬金術で一発当てたゆえ、ずいぶん前から仕事はしておらぬ」
「へえ、そうなんですか……へえ……」
レイシーは茫然とした顔をすると、ルナリアの方へと顔を寄せた。すぐさま二人は内緒話を始め、「寝たきり」だの「錬金術って金融でひと山当てたことだと思う」などと言った単語が聞こえてくる。別に悪口を言っているわけではなさそうだが、あまり気分の良い物ではないな。
「おい、ひそひそ話はやめてくれ」
「ああ、ごめんなさい! ……じゃあ、次は私が話しますね。現実での私は高校生です。都内の公立に通ってます。部活は茶道部をやってますけど、部活強制だから入っただけなのでほとんど幽霊ですね。そろそろ受験とか意識しないとなーって思い始めてたとこですけど、毎日友達とゲームしたり遊んでます」
「フツー。てっきり、ホストクラブで働いてますとか生々しい話が聞けると思ったのに」
「ありきたりだな」
こりゃダメだ。レイシーはリアルでもレイシーだったらしい。所詮、ツッコミ眼鏡はどこまで行ってもツッコミ眼鏡と言うことか。波乱万丈な人生に期待した我とルナリアは、揃ってやれやれと肩を落とす。するとレイシーの頬がぷうっと風船のように膨れた。
「……普通で悪かったですね、普通で! というか、ホストクラブって男じゃないですか! 私はリアルでも女です。AAB108のスカウトを受けたことだってあるんですよ!」
「AAB108? なんだそれは、108匹ワンチャンの亜種か?」
「違います、国民的アイドルグループです。もう五十年近い伝統があるんですよ」
「……ただし、数を撃てば当たる戦術で一人一人のルックスのレベルは、はっきり言って低――」
「ダメーーーー!!!! PTAよりもっと怖い人たちが敵に回っちゃいますよ! そこから先は駄目、絶対!」
「むう、仕方ないわね。それなら、今度は私が話そうかしら」
ルナリアはもったいぶるようにこほんと咳払いをした。我とレイシーは彼女の方へと一歩近づくと、耳をすませる。
「私も、レイシーと同じで昼間は高校生をやっているわ。ただし私の家は魔女狩りを逃れて日本までやってきた旧き魔女の末裔。故に夜は町を襲う怪異との壮絶なバト――」
「あの、現実の話ですよ!? 妄想の話じゃありませんってば」
「本当よ、東都スポーツ並みの信頼性」
「低いです! めちゃくちゃ低いですよ!! はあ、言いたくないなら良いですよ。AAAさんもルナリアさんも、だいたいどんな人か想像できましたし。少なくとも、現実よりこちらの世界を選んでヒャッハーする人じゃないってのはわかりました」
レイシーはそういうと、軽くはにかんで見せた。我らもそれに応えてニッと目を細める。やがて彼女がおっかなびっくり差し出してきた手を、我とレイシーはグッと握りしめた。何故だろう。心なしか、彼女たちとの結びつきが一層深くなったような気がした。
「……うむ、いつの間にか遅れてしまっているな。そろそろ行くぞ!」
話し込んでしまっていたせいで、最前線にいたはずがすっかり列の後方にまで来てしまっていた。すでに、ボス攻略組の面々はフィールド内に現れた光の連なりを超え、ボスの居る戦闘フィールドへと入っているようだ。マップの都合で何が起きているのか外部から見ることはできないが、今頃はもう激しい戦いが始まっていることだろう。我らはその光の側まで近づくと、やがて帰ってくる仲間のために周囲の敵をひたすらに排除する。
その時だった。青い光のラインを超え、攻略組のメンバーが一人こちら側のフィールドへと戻ってきたのである。青銅の鎧を纏った彼は血相を変えていて、吐く息もすでに絶え絶えだ。
「ぼ、ボスが二体居た!!」
――戦慄が走り抜けた。露払いをしていたメンバーたちは全員、動きを止めて男の方へと振り返る。マズイ。最悪の展開を察知した我は、男が状況説明を始めるよりも早く脚を動かし始める。たとえ、ボスが二体居たとしても戦力に余裕はある。が、そこは人間。我のような戦闘生物とは精神の作りが違う。人間の心が如何に脆いかを、我はヴァンパイアであるがゆえに知っていた。逆に、それが強さを発揮する場面も多々あるが――それはこの場では関係ないだろう。
「行ってくる!」
「私も行く!」
「ダメだ、待っていろ!」
すがりついてきたルナリアの手を振り払い、我は光のラインを飛び越えた。視界が歪み、瞬く間に世界が切り替わる。やがて現れたのは混沌とした戦場。恐慌状態に陥った人間たちを、大鬼が蹂躙している。岩を切り出したかのような逞しい体躯。身の丈はゆうに三メートルを超え、猛禽さながらの血に飢えた眼が哀れな犠牲者たちを見下ろしている。頭上に輝く二本の角は禍々しくねじ曲がり、いつか見た羊の悪魔を思わせた。
二体。確かに、オーガロードは二体存在した。右側の個体が蛮刀を、左側の個体が金棒を構えている。阿吽の呼吸とまではいかないがそれなりに連携を取っており、攻略組を追い詰めていた。戦闘に不慣れな彼らはすでにパニックを起こしていて、その中心でルシウスや紅の魔女たちがどうにか指揮を取ろうと声を張り上げている。
「これはやるしかないか」
一時的にでも良い、オーガロードどもの注意を攻略組から逸らさねば。追い詰められている状態ではいつまでたっても体勢の立て直しなど出来ないであろう。とっさにそう判断した我は、自分に注意をひきつけるべくスキルを発動する。右足を前に出しつつ、重心は左足に置き――我の身体が小走りほどのスピードで後退を始めた。ムーンウォークだ。するとスキルが持つ『挑発』の効果によって、オーガロードの視線がちらちらとこちらへ注がれ始める。よし、いいぞ。では最後に半回転して――
「――アオッ!!!!」
「グオオォ!!」
「フゴオオォ!!」
声を発した瞬間、オーガロードたちもそれに呼応するようにして雄叫びをあげた。さすがマイカル、あの叫びにもちゃんと意味はあったのか! 我は心の中でおうっと、感心の声を上げた。だがそれと同時に、恐ろしいほどの勢いで飛び込んできたオーガロードたちの巨体をかわし切れず、宙へと吹き飛ばされてしまう。
「しまった、また詰まらぬ死に方をしてしまった……!」
あの叫びって、聞いていて物凄く気になるのは私だけではないはず。
……なお、レイシーが途中で若干死亡フラグっぽい行動を取っていますが、彼女のギャグ補正は亀有の警官並みなのでご安心ください。