第四話 何事にもタイミングは重要だぞ
MMOというのは、ネット回線を使って大量の人間が一度にプレイするゲームの種類らしい。レイシーが唇を尖らせて叫ぶようにして教えてくれた。ファミコソ本体がサーバーで、ネット回線がコントローラと本体をつなぐケーブル。ヘルメットがコントローラーだと考えればわかりやすい。ファミコソの周辺機器にパーティータップとか言う奴があったが、あんなようなイメージであろうか。ネット回線を利用してコントローラをドンドン増設したと考えればいい。
「……仕組みはわかった。そうか、お前たちもプレイヤーだったのだな」
「当たり前です! プレイヤーをみんなNPCと勘違いしてるってどういうわけですか! 時代遅れにもほどがあります!」
「何を言っている。我は最高にナウいヤングマンだぞ」
我がそう言うと、ルナリアとレイシーは揃って顔を見合わせた。「おじいちゃん」という単語が我の耳に届く。失礼な、我はまだ千歳ほどだぞ。寿命がほぼない――老衰で死んだ者は今のところいない――ヴァンパイアとしては、まだまだ若い部類だ。一族のお歴々に会えば、まだ小僧扱いされてお小遣いがもらえる。……さすがにプライドがあるので受け取りはしないが。
「……気にしないでおきましょう。人にはまだまだ理解できない超自然の領域がある」
「もっともらしいこと言ってますけど、結局思考放棄しただけじゃないですか」
「割とどうでもいいわ。さっさとゴブリンを倒しに行きましょう!」
「……うむ、そうであるな。いろいろ気になることはあるが、早いうちにレベルアップをせねば。他の者に魔王を倒されてしまう!」
「無視しないで!?」
このゲームのプレイヤーは数十万単位で居る。つまり、勇者がそれだけの数存在すると言うことだ。導かれし者でさえ八人しかいなかったのに、それが一気に数万倍。単体の魔王など集団で袋叩きにされて、あっという間にHPゼロにされてしまうに違いない。急がなければ、戦うことすらできないぞ……! ソーマの首を取るのはこの我だ!
「そうね、混沌の邪神を倒すのはこの私でなければいけないわ。急ぎましょう!」
「あの、だから無視しないでくださいよ。……このゲームって別に魔王とか混沌の邪神とか居ませんよ? それに誰かが倒してもリポップしますし……って、ちょっと待って!?」
走り出した我とルナリア。そのあとを少し出遅れたレイシーが猛スピードで追いかけてくる。レイシーの顔が心なしか泣きそうになっているように見えるのは、気のせいだろうか……?
通りを走り抜けて、町の城門を潜るとそこには広々とした草原が広がっていた。なだらかな丘と青々とした草がどこまでも続き、吹き抜ける風が優しく頬を撫でる。視界を遮るのは、遥か地平線の果てに見える黒い森のみ。日本ではお目にかかれないような牧歌的な光景だ。世界各地を旅したことのある我としても、このような風景を見るのは久しぶりである。
草原を貫く街道を西に逸れ、森のある方角へと向かう。草原と森との境界付近が、ググール先生によって推奨される狩り場らしい。森の中と比べて群れ一つあたりのゴブリンの数が少なく、それでいて草原よりは遥かに出現率が高いと言うのがその理由だそうだ。
「居たぞ……!」
草に身を隠しつつ、先頭を行く我は今まさに森から出てきたばかりのゴブリンの群れを発見した。その数は三匹。こちらの気配にはまだ気づいていないらしく、ギャアギャアと愉しげに談笑している。ゴブリン語など全く分からないが、雰囲気からするとこれから行う狩りの算段でも付けているようだ。
「どうします? セオリー的にはAAAさんにゴブリンを押さえてもらって、その間に私たちが攻撃するのが良さそうですけど……二人いますからねえ」
レイシーはやや自信がない様子で木製のロッドを取り出した。壁役となる剣士が一人に対して、守られるべき後衛役は二人。若干だがバランスが悪い。すると、ルナリアは口元をニッと歪めて自信満々に言う。
「私に良い考えがあるわ」
「ほう、どんな考えだ」
「壁役に対して後衛が二人いるから問題なのよ。だから、レイシーとは一旦PT登録を解除すればいいんだわ。そのうえでレイシーはここに待機して、私とAAAは狩りに向かうの。それで私たちがある程度ダメージを負ったら、レイシーとまた改めてPT登録をして、回復をすればいい。こうすれば安全に狩りが出来るわ。名付けてヒールタンクドクトリン。完璧よ」
なるほど。即死呪文を連発してMP切れする神官を、馬車に入れっぱなしにしておくようなものか。これならばレイシーが倒されてしまう心配もないし、我々も長い間戦うことができる。よく考えられた戦術だ、さすがは賢者といったところか。しかし――すぐさまレイシーが顔をブンブンと横に振る。
「嫌ですよそんなの! 私に経験値が入らないじゃないですか!! というか、ヒールタンク扱いは嫌です!」
「アルはきっちり山分けしてあげる」
「経験値もくださいよ!」
「古の賢者は言ったわ、二兎を追う者は一兎をも得ずって。二つの物を同時に手に入れようとしちゃ駄目」
「そうだ、わがままはいかんぞ。個人の欲望よりもみんなの利益を優先しなければな」
「当たり前の権利の主張ですからね!? 普通に貰ってしかるべきものを欲しいって言ってるだけですからね!? ……のわッ!」
いつの間にか接近していたゴブリンが、レイシーに殴りかかってきた。先ほどから大声を出していたせいで、存在に気付かれてしまったようだ。レイシーは間一髪のところで棍棒をかわしたものの、続けて草むらから二匹のゴブリンたちが姿を現す。人間の足ほどもある巨大な棍棒を振り上げ、ギーッと雄叫びを上げる緑の亜人たち。そのクリーチャー然とした醜悪な顔つきも相まって、ルナリアとレイシーは動きが止まってしまう。
「ここは我が引き受ける! お前たちは少し距離を取れ!」
「わ、わかりました!」
「了解!」
足をもつれさせながらも、素早く距離を取る二人。さて、こんな畜生ども如き我の手にかかれば――と思いきや、身体の動きがずいぶん鈍い。思考速度に対して手足の動きがツーテンポほど遅れる。これでは、いっとき堂の腹話術ではないか。レベル一の肉体では、ヴァンパイアたる我の感覚にはついてこれぬと言う事か……!
互いに連携を取りながら、棍棒を振るうゴブリンたち。その予備動作を極限まで見切り、服が触れるか触れないかのところで避けていく。本来の肉体であればこの程度の攻撃、何百発叩き込まれようが効きはしないのだがそこはレベル一の勇者。どれだけダメージを受けるかわからない。
「チッ、面倒だな」
「ファイアランス!」
一直線に飛ぶ焔の槍。空に緋色の軌跡を描いたそれは、ゴブリンの喉笛のあたりを正確に貫いた。クリティカル。ゴブリンのHPは一撃でゼロになり、光の粒子となって消える。まずは一匹。仲間の死によって連携が崩れたゴブリンは、あっという間に隙だらけとなる。
「そりゃッ!」
青銅の剣が一閃。横並びとなったゴブリンの首を引き裂く。たちまち血液――ではなく光が噴出し、ゴブリンの上に表示されているHPバーが消失した。緑の身体が草の中へと落ち、そのまま光へと還っていく。我としたことが、不意を打たれたとはいえゴブリン如きに少し苦戦してしまったな。
「ふう、何とかいけたな」
「ええ、少しびっくりしたけど……。レベルも上がるだろうし、奇襲さえされなければ大丈夫そう」
「わ、私も精いっぱいサポートします!」
こうして、我ら三人は時々休息を挟みつつも夕方までゴブリン狩りを行った。依頼数は十匹だったが、それを遥かに超えて二十一匹を倒した。それぞれレベルも三に上がり、成果は上々だ。ただ一つ、スキルのレベルが上がっていなかったのが気になると言えば気になるが……まあ仕方あるまい。そのうち鍛えることにしよう。
「そろそろ帰りましょう。夜になると強力なモンスターが出るらしいわ」
「そうですね、私も落ちないと。ご飯食べなきゃ」
早々に狩りを切り上げて、帰途に就こうとした我ら三人。だがここで、森の方から不穏な気配が伝わってきた。ズシン、ズシン――重々しい地鳴りがこちらへと近づいてくる。草が揺れ、鳥たちが空へと舞い上がった。紅の夕焼けがにわかに絶望の色を帯びる。
「まずい……出ちゃったわね」
「おいおい……中ボスか?」
木々をなぎ倒し姿を現したのは、王冠を被った巨大なゴブリンであった。でっぷりとした腹をしていた通常のゴブリンとは異なり、筋骨隆々としたその肉体はかつて見た鬼を思わせる。その手に握るのは加工された棍棒などではなく大木そのもので、根の部分だけが荒々しく折り取られていた。眼を合わせるだけで伝わってくる尋常でない迫力、そして威圧感。普段ならこれでも容易く倒せるだろうが、レベル三の状態では荷が重い。
「な、なんですかこいつ!?」
「たぶんゴブリンキングよ! ゴブリンを二十匹以上倒した状態で夜を迎えると、森から出てくるの!」
「まだ夕方ですよ!」
「ふん、馬鹿のことだから気まぐれでも起こしたんじゃない!」
武器を手に取るレイシーとルナリア。我もまた、腰にさしていた青銅の剣を引き抜く。こうなったら当たって砕けろだ。所持金が半分になるのは痛いが、何とかならないこともない。
「お前たちはとりあえず逃げろ! 我が時間稼ぎをする!」
「……わかったわ、お願い!」
「すみませんが、お任せします!」
ルナリアたちは背中を見せないようにしつつも、素早く後退していった。さあて、これからどうしたものか……。追い詰められたと言うのに、我の血は滾ってくる。本気の戦いなど、そうそう滅多にするものではないからな。仮想とはいえ、古き魂が燃える。
「うおおおッ!」
足を踏み込み、一気にゴブリンキングの懐へと滑り込んだ。だが、敵の動きが予想以上に早い。いや、我の動きが普段と比べてあまりにも遅いのだ。渾身の勢いで振るったはずの剣は大木によってあっさりガードされ、返す動きで我の元へと棒が迫ってくる。
――当たる!
そう思った瞬間に世界が止まった。いつまでたっても伝わってくるはずの感触が伝わってこない。視線を上げるとゴブリンキングの肉体は完全に石化し、動きが消えていた。それだけではない。草原を吹き渡る風も、天を行く雲も、沈みゆくはずの太陽も。全ての動きが止まっていた。これは――走馬灯と言う奴なのだろうか。現実では経験したことがあるが、ゲームでも存在するとでも言うのだろうか。
身体は動かなかったが、顔だけは動かすことが出来た。我はゆっくりと後ろへ振り返ると、レイシーとルナリアの様子を確認する。すると彼女たちもまた、我の方を見つめ返してきた。間違いない、これは走馬灯などではない。実際に時間が止まっているのだ。
「な、なんですかこれ……?」
「わからない。ただ、世界が止まっているのは確か。おそらくシステムの異常」
「ずいぶん嫌なタイミングでバグが起きた物だな……」
ゴブリンの握る大木は、あと拳一つ分ほどの距離にまで我の腹に迫っていた。時間の停止が解ければ、我はたちまちぶっ飛ばされてしまうだろう。そうなればHPは間違いなくゼロ、死亡だ。かといって、動くこともできないので避けようがない。蛇の生殺しもいいところではないか。
「とりあえず、運営に連絡すべき。何とかしてもらわないと」
ルナリアがそう言うと同時に、ピンポンパンとアナウンスが響いてきた。深刻な状況とはいまいち似合わない、軽快な音だった。それに続いて、テノールの声が響いてくる。
『やあ、こんばんは。みんなゲームを楽しんでいたかい? 僕は黒十字騎士団序列三位、ロティーヌ・C・レグレンスと言う者だ。さて、早速で悪いけれど君たちには重要なお知らせがある。これを聞いて信じるか信じないかは君たち次第だ。だが、必ず聞いてほしい』
もったいぶるように、間が空いた。一体、何を言おうと言うのだろうか。ルナリアとレイシーはその見当がすでに付いているのか、顔を瞬く間に青くした。
『このソードギア・オンラインはたった今、我々の指揮下に入った。そこで君たちにはデスゲームをしてもらおうと思う。ルールは簡単。HPがゼロになったら君たちは現実でも死亡する。ヘッドセットから高出力の電磁波が発生して、君たちの脳を一瞬で焼き尽くすって古典的な寸法さ。逆に君たちがこのゲームのグランドボス「憤怒の女王」を倒せばその時点でゲームクリア。生き残った者たち全員が安全にログアウトすることを約束するよ。では、時間の停止が終わり次第デスゲーム開始だ! あと十秒ぐらい、静かな世界を楽しんでね』
アナウンスが終わった。ルナリアとレイシーは、引き攣った顔で我とその腹に迫る棍棒を睨みつけていた。彼女たちの顔からは血の気が失われていて、唇が紫となっている。震える歯がカチカチと不器用な音を奏でていた。この世の終わりが来た。まさにそのような顔を彼女たちはしている。我は恐怖に溺れ切った彼女たちに対して、出来るだけ厳かに告げる。
「うむ、どうやら死亡確定のようだな」