第九話
9
4個目のケーキである。
今度は甘さ控えめのアップルパイである。サクサク感パネェである。
別にこれは樹里亜の頬と同じ色だから選んだという嫌味ではなく、出されたものを食べているだけだ。
これで落ち着くのを待ってくれと、そういうことらしい。
この女を落とすつもりなら今がチャンスとばかりに畳み掛けて口説くのだろうが、別にそういうつもりはない。今度はこっちが澄まし顔でアップルパイを頬張ることにしたのだった。
「こほん」
食べきった頃にようやく表情を整えた樹里亜は咳払いのような擬音を淡々と言った。
どうやららしさを取り戻したようだ。
一瞬だけ鬼気迫る視線を向けてたが、こちらの失態なのでその怒りは素直に受け止めよう。
「ともあれ、あなたの世界のことは心配しなくてもなんとかします。しなければいけない決まりもありますし、最悪ほかの人に手伝ってもらいますから」
「了解。まあそのへんは疑わない。おっけーだ」
「……ずいぶん素直になりましたね」
シミ一つない白い顔に疑惑を乗せて俺を見る。
「もうさっきから素直だったと思うがな。アップルフェイスの可愛いお嬢さん」
「……っ!?」
すぐさま真っ赤になった樹里亜はベレッタへと手を伸ばす。
「うーっ!」
そして少々の葛藤ののちクッションを俺の顔へと投げつけた。
「すまん。冗談が過ぎた」
「ふぅーっ! ふぅーっ!」
呼吸を整えている樹里亜にクッションを手渡すと、また落ち着く時間を作ろうとしたのか、ケーキスタンドからチーズケーキを取り出してきた。
いや、貰うけどね。
「いい加減に話を進めよう。ジャイアント馬場じゃあるまいし、読者に動け動けと叫ばれかねん」
9話まで来たのに、そのほとんどが座ったままの会話という事実。
「あなたがかなりの鬼畜人間だと把握しました。ならばこちらも対応しましょう」
ひどい言いがかりである。
「元の世界に戻れる。俺の事務所もそのまんま。で、異世界ファンタジーを楽しんできてねっていうアトラクションだろ?」
「ありていに言えばそうです。ただやり直しはなく、死んだらそこでおしまいですが」
「命の危険なんて海外旅行したっておんなじ事さ。剣と魔法と亜人種が交わる世界なんて、普通に生きてりゃ100年以上経っても来ないチャンスだ。だったら乗らない話はない」
「そう言っていただけると嬉しいです。あまりにも嬉しいので股でも開きましょうか」
「…………」
そのうちカマしてくるとは思ったが、奴の攻撃はアウトロー過ぎた。
「一世一代の告白が思いっきり引かれた結果に。しょんぼり」
「それを一世一代にしてもいいのか? トラウマレベルだぞ!?」
「ばか、あんたのことなんて全然好きなんじゃないんだからね」
「…………」
急きょ言い直しやがった。
「……ええと。引かれる意味がわからないのですが」
「いや、それが許されるのは美少女だけだろ」
うん。失言だった。
「乙女……私は乙女……」
「すまんっ」
メソメソと涙を流し、静かに力強くクッションを叩く樹里亜に対し、俺は深々と頭を下げた。
「だいたい私はあなたのことを知らないから不利です。あなたばっかり気障ったらしいセリフ言ってずるいです。例えばで聞きましょう。あなたはどんなセリフなら喜ぶんですか?」
ボケに対するツッコミは喜ぶが、こちらから仕掛けた攻撃には思いのほか弱かった。
そもそも女性の容姿をいじって遊ぶことはいけない。
女性の美貌や若さに対する執着というものを男は軽く見すぎなのだそうだ。
散々拗ねるわ、いじけるわ、わがままを言い出すわでロクなことがなかった。
そして涙まじりに言った発言がこれである。
ちなみにケーキを出す余裕も食べる余裕もなかった。
「ふむ」
そういえば、である。
不利だとかいうなら俺も不利だし、そもそも初対面で何を言っているんだという話だが、こいつのレトロ発言ばかりが際立って、俺のことには何も触れていなかった。
映像を隠し撮りしている時点である程度の趣味趣向を調査済みで、だからこそ中古ゲームをやるのが趣味の俺にネタを振っているのかと思っていた。
まあ、素直に答えてみようか。
「あまり性格とか顔の好みってのはないからなあ。だから別に良いセリフってのも……ああ、あったな。『ごめんね。あたし、エッチな体でごめんね……っ』って泣きながら腰を振る女とか!」
バシャッ!
「あちぃっ!?」
紅茶をかけられた。
不磁器カップに注がれた、いつまで経っても冷めない熱々の紅茶をかけられたのである。
「熱い? 良かった。ちゃんと苦しんでいますね。目を覚ましなさい。ここは現実ですよ」
「人の趣味なんだから別にいいじゃねえか! それを女に強制させるつもりはないし、こういう女がいたらいいなあっていう願望でしかねえよ! そもそもおまえが言えっていったんだろうが!」
「あ、ちょうちょ」
「話聞けや!」
こんなところに蝶々どころか土すらねえよ!