第三話
3
だいたい20から30mくらい先だろうか。
現れた、で間違いない。
俺は周囲を見渡して誰もいないことを確認していたからだ。
だからこそ弾力性のある床を確かめたあとに「ひゃっほい!」とかいって飛び跳ねてたり、ゴロゴロ転がりながら「桃の天然水!」と意味のないことを叫んだりしていたのだ。(第一話と第二話の間の出来事)
黙々と読書を続ける女の前まで来た。
対象物が少なく距離感を測りにくい場所なので、もしかしたら200m先に居る大女の可能性も捨てきれなかったのだが残念である。美川先生的に非常に残念である。
ティーセットとケーキスタンドの置かれたテーブルを脇に、ゆったりと本を読んでいる。
……ように見えるが、どうもそうではないらしい。
俺が歩いてきたのは足音でわかるはずだし、ここには誰もいない。そもそもこの女が俺を誘拐した張本人である可能性が高い。
それなのに目の前に居る人間に対し、全くの無視である。
意識はしているだろう。本を見ては視線を後ろに逸らしたりを繰り返し落ち着きがない。
糾弾されることは覚悟の上で現れたのだろう。謝罪を言い出すのか迷っているのか。
「……」
こんな種も仕掛けもない脱出ゲームのような場所で、ようやく次に進めそうなヒントが現れたのだ。俺も多少の興奮を自覚している。
相手が何を言うのか期待する半面、俺も何を言えばいいのか数瞬の迷いがあった。そのとき生まれた奇妙な緊張感が継続している。
先に声を出したほうが負けのような雰囲気だ。
そもそもこれは相手の謝罪から始まる会話である。
俺から喋らなければ勝つか引き分けるかだ。
だったら無言を貫くことにする。
幸いになかなかの美女だ。穴が空くほど見ていればいい。
「……」
細めで出るとこはあんまり出てないメガネ美女といったところか。年齢は若くも見えるがスーツを着ているということは社会人か。
パッと見では日本人形のように整った顔立ちで、能面のような表情を貼り付けているのだから、より一層人間味を感じることはできなかった。
視線を上にあげると、いまどきあまり見ない真っ黒なワンレンで後ろで簡単にまとめている。長い前髪を左右に垂らしているのはすげえ邪魔そうなんだが。
ちなみに髪の毛を留めているものはベレッタ。
宝石や貴金属などを用いた彩り華やかな装飾具という印象の強い髪留めの名ではなく、ベレッタ社が作り出したベレッタM92そのものである。
何を言っているのだと思うだろう。
俺だって実物を見てなきゃそんなこと言えない。
どうやって留めてるのかはわからん。本物かそれっぽく見えるように作った髪留めかもしれないが知ったことじゃない。
もしかすると銃や刀が大好きな男が多いからという理由で、洒落っ気も引き出せる粋な恋多き女を演出したいのかもしれない。
職場でもこんな工夫で魅力アップのモテ女に。
とか言わせるのか。
キメ台詞は「これであなたも一殺よ」なのか、そうなのか。
こんな場所に現れる女に期待するつもりもなかったが、いよいよこの女の人間性に大いなる疑問符が付くことになった。
そしていま、「パーン!」いう景気の良い音が飛び出した。続いて空気を切り裂く音まで。
女の髪がほどけ、右手に持った銃から硝煙が上がっている。残念なことに髪留めは実銃であることがわかった。
あさっての方角へ向けて撃ったのだから、俺に銃が本物かどうか教えたかったのだろう。確かに髪の毛をずっと見ていたから気になっていたと思われたのかもしれん。
ちょっとした親切な行為か。
どういうことかと女の顔を見たが、なぜだか頬を赤く染めていやがる。
ああ、こいつはまずい。
乱れ髪で頬を染める女はむしろ好みだがそういうことじゃない。
銃を撃ったことで恍惚としているのか、こんな異常事態で悦ぶほど自分の世界に没頭出来るタイプなのか、どちらの反応かはわからないが、経験上、どちらも病んでいるのは間違いない。
俺はこの女に対する警戒心を最大に上げた。
それからどういった理屈で整えたのかわからないが、ベレッタを髪留めとして戻し、紅茶を口に含んでいた。
瞳を閉じる。大きく息を吐き、黒水晶のような輝きをみせる瞳が俺を捉えた。
そして、艶のある唇から透き通る美声を言葉にして問いかけてきたのである。
「1986年にスクウェアから発売されたキングスナイトって正統派RPGですよね?」
「……っ!?」
なんだ? なにを言いたいんだこの女は!?
やべえ。病んでるどころじゃないかもしれん。
ビビリまくった俺を見て、ヤンデレは咳払いをした。
「間違えました。はじめまして。中川樹里亜(なかがわ・じゅりあ)です。よろしく」
「しょ、初対面の挨拶でキングスナイトなんて単語、間違っても出ねえよ!」
「……っ!」
俺のツッコミが衝撃的だったのか、瞳を大きく見開いたヤンデレは無表情ながらロッキングチェアーを大きく揺らしはじめた。
なんだか鼻息が荒い。
……怖い。
泣きそうである。
「私は女神です」
目の前の女は極薄くではあるものの、はにかみながらなんか言いだした。
「……」
逃げよう。もう逃げよう。俺は悪くないよな。
正直、銃ぶっぱなした時点で俺はションベンちびりそうになったんだよ。いくら俺に銃口が向かってないからって関係ないだろ?
さらには自称女神とか言い出す勘違い女だ。
これ以上話を続ける必要なんてねえよな!?