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第二話




 らしいというのは死んだ記憶が全くないからだ。


 甲子園の地区決勝前にボールを追って車道に出た子供を暴走トラックから救うために飛び出したわけでもなく、弟との長い死闘の末に『我が人生にいっぺんの悔いもなし!』と叫んだ記憶もないし、ましてや道端に転がっていた吸血鬼に血を与えたわけでもない。


 事故の後遺症で記憶が喪失していると言われたらそれまでだが、むしろそれは生きている証拠ともいえなくはない。

 

 では別の場合を想像しよう。


 たとえばこれが自分の部屋で「俺は死んだらしい」と発言することは少ないだろう。

 ゲームをプレイしている最中ならば即死トラップに引っかかって現状を把握し切れてないときに出た呟きかもしれない。

 このような、まだしも関連性があるのならいいが、部屋のど真ん中に座り、突然気付いたかのように呟くのであれば異常じみていると判断できる。

 なぜか俺の着替えに遭遇する確率が高く、人の裸体をガン見しながら罵声を浴びせる気性の荒い妹がそんな異常事態に出くわしたら唾でも吐き捨てていただろう。


 ちなみに妹は変態じゃないと思いたい。

 ただ自分とは違う体格の物珍しさからくる興味であって、でも実際見ると恥ずかしくなって文句を言うだけなのだ。

 バナナを噛まずに飲み込む姿をよく見かける健康志向の強い妹で、真面目な良い子なのだ。




 今度は死後の世界だと仮定する。

 

 最初に出てくるのは死んだ曾祖母だ。


 もうちょっとお参りをしていれば俺をこんな目にしなかったんじゃないか、気絶した新兵をあざ笑うかの如く墓石に水をバシャバシャ掛けていれば、親戚が持ってきたお供えを食べ過ぎて腹を壊さなければ、などと色々反省することもあった。

 生前にしてもそうだ。

 親や親族との関係があまり良くないせいか、曾祖母が相手をしてくれる時間が長かった。お小遣いを貰い過ぎたような気もする。

 貰ったところでロクな使い方をしなかったので、それを恨んでいるかもしれないと、無意識に怖気を感じた。

 いっそのこと「別に寂しかったからアンタを殺したわけじゃないんだからねっ!」とかばあちゃんが化けて出てくれたら納得できるし萌える。

 俺は殺されたのか。

 

 あ、化けて出るなら若い頃の姿でお願いします。





 さらに続けよう。現状の把握だ。


 体を触ってみても死んだという割に自分の体は元気一杯でご飯も美味しく食べられそうだ。

 生前、というより記憶の残っている数時間前の自分と意識も体も同じ。腕時計と腹時計も似たような進み具合である。


「腹、減ったな……」


 喋れることもわかった。非常に喜ばしい発見である。


「……」


 ふむ。


 そもそも死んだことを認識する人間なんてものは存在しない。

 人間は生きているから人間なのである。

 そして俺が生きていると実感しているので死んではいないのだ。


 色々と思考を繰り返した結果、やはり生きていることで間違いない。



 いや。

 これは最初から分かっていたことである。



 もう現実から目を逸らさず正直に白状すべきだろう。必死に逃げ続けていたが、無駄な努力もそろそろ限界に近づいている。


 あまり優秀ではない俺の脳が、勘違いでもいいから妄想を繰り返して時間を潰したほうがマシだと、いっそのこと逃避してしまえと判断させる材料が目の前に広がっている。


 その要因は、俺自身のことではなく、いま俺が立っているこの場所である。


 死んでいたほうが納得出来るほどに状況が狂っていやがるのだ。


 あたり一面薄い桃色の世界。


 視力の届く限り真っ平らの地面があり、地平線でなんとか距離感が掴める程度のイカレた空間である。


 シミがなければキズもない地面は、足首が埋まるほどの絨毯とも低反発の枕とも、何度か設置を手伝って堪能したプロレスのリングともまた違う弾力性だ。


 俺は部屋で寝ていたはずだ。


 なのに、意識が覚醒すると布団に包まっていたわけでもなく、寝起きのような曖昧さもなく、ふんわりとした地面をゆたりと一歩を踏み出していた。

 

 だからこそ脳内で様々な思考が繰り広げられたのである。(第一話参照)




 空と大地の境界線がなんとか分かる程度。


 地面が薄桃色のゼリーのようで透明感があり、気を抜けばズブズブと埋まっていきそうな感覚に陥る。

 足元に影があるからまだ判断ができるけれど、それですら距離感が曖昧だ。

 夕暮れに新雪を歩けばこんな感覚になるだろうか。

 空を見上げれば桃の天然水のような色をしている。


「……」


 無色じゃねーか? なんで出てきた。

 いや、ちょっぴり桃色かもしれん。

 うん。

 まあ、そんな色彩感覚もおかしくなるような高い高い空である。


 あるはずがないとは思うが、可能性という点を考慮するならば、現実世界でも一辺の長さが10kmの家とかそんな部屋を構築することは出来なくはない。


 だが。


 常識にとどめを差すのが上空に浮かぶ丸いスポンジのような存在である。


 コイツは手のひらサイズからアインシュタイン先生が嫌な気分になる大きさまで無数にふわふわと漂っており、もはや脳の認識が崩れたか、場所がイカレているのだろうと予測を立てられる。


 自分を自分だと認識している。

 人の意識などいつ途切れてしまうか分からない。

 そして気が付いたとき前後の記憶を失っていることも、希ではあるが無いわけではない現象である。


 おかしいものをおかしいと判断することくらいはできるし、その判断材料は現実で育てた感情で間違いないことから、やはり場所がおかしいのであろうという結論を付けた。


 死んだと認識するにはまだまだ早かった。

 やはり思考は大事だ。

 さらなる思考を繰り広げて冷静さを保ち、生きている自信を得るべきだ。


 そうして俺は昭和のアイドルが使っていたバックセットのような空間を眺めつつ、静かに思考の海へと潜りはじめた。




 誰かの思惑が働きこの場所へと運ばれたのならば、鉄格子なりロープなりベッドなり何らかの要素がそこらへんに転がっているはずだし、サプライズパーティーであるにしろ誘拐であるにしろ、俺に伝えたいことがあるのならばもっとわかりやすいものを用意するべきなのだ。


 いっそのこと、エロステイストな衣装を着せた猫耳ウサ耳の女の子達が「御奉仕にゃんにゃん♪」とか言って人を楽しませてくれたのならば、すぐさま死後の世界だと認識できたものの、こんな中途半端に異質なものを用意されても困る。

 

 というか趣味に合わないのだ。

 これが本当にお金をかけた冗談だったとしたら猛烈に怒る。

 なぜ猫耳ワッショイのほうじゃなかったのかと。

 それなら騙されつつお金も払ったというのに。


「ちくしょう!」


 地団駄を踏もうとして平衡感覚が分からず転んでしまったのは仕方の無いことだ。

 猫耳少女を想像していたら足元がお留守になっていたわけではない。


 少しばかり頭を打ったが、脳内は至って正常だ。


「御奉仕にゃんにゃん……」


 気持ちを切り替えるため、自分を保てる冷静な一言を呟きながら立ち上がった。


「お?」


 目の前には何もなかったはずだ。だだっ広い空間でしかなかった。


 この空間では目と鼻の先、わかりやすく言えば、ヒロインがドアの影からこっそり見る主人公くらいの距離に人が現れていた。


 もっとわかりやすく言えば、「みんな大好き」とほざくハーレム男を見てドン引きしながら後ずさりした距離くらいだ。


 そこには、紺色のリクルートスーツを着込み、ロッキングチェアーに座りながら静かに紅茶を飲んでいる女性がいたのである。





石川先生の小説が読めるのは「小説家になろう」だけ!

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