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追放された宮廷料理人ですが、辺境で一日一皿だけ作って生きます  作者: 百花繚乱


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第4話 救えない店

雨だった。

市場の石畳が濡れ、木箱の底が暗く沈んでいる。

いつもより匂いが重い。湿りは、素材よりも人に残る。

宿へ戻る途中、レインは見慣れない男に呼び止められた。

「少し、時間をいただけませんか」

声は低いが、震えている。

料理人の手だ。爪の間が荒れている。

包丁を長く握ってきた手。

近くの小さな食堂に案内された。

看板は色あせ、暖簾の端がほつれている。

店内は静かだった。

昼の仕込みの途中らしく、煮込みの匂いが漂っているが、火は弱い。

「うちは、借金がありまして」

男は頭を下げたまま言う。

「客が減った。ロスも減らせない。削れば味が落ちる。削らなければ潰れる」

言葉が、途切れずに出る。

止めたら、崩れるのだろう。

「あなたのやり方を、教えてほしい」

レインは椅子に座る。厨房がよく見える位置だ。

まな板は古い。包丁は研がれているが、持ち手が擦り減っている。

「線は、教えられません」

レインは言う。

男は顔を上げる。

「分かっています」

分かっていない顔だった。

「でも、何か、方法があるはずだ」

男は続ける。

「うちには余裕がない。削らない日を作る余裕もない」

削らない日。

引き直した線が、ここでは贅沢に聞こえる。

「客は減っている」

男は言う。

「でも、素材は仕入れないといけない。仕入れれば余る。余れば捨てる」

声が低くなる。

「捨てるたびに、潰れていく気がする」

雨の音が強まる。

厨房の奥で、煮込みが小さく泡立つ。

「契約の話、来てるんですよね」

男は静かに言う。

「広げるなら、うちみたいな店も救えるかもしれない」

レインは答えない。

「でも、広がれば、うちは置いていかれる」

矛盾が、そのまま置かれる。

「うちに来て、線を引いてほしい」

男は言った。

「一日でもいい」

一日。一日引けば、

この店は持ち直すかもしれない。

だが、一日で守れる線は、その人間のものにならない。

「あなたが引かないと、意味がない」

レインは静かに言う。

男の目が揺れる。

「引けない」

本音が落ちる。

「怖い」

「削れば事故が怖い。削らなければ潰れるのが怖い」

怖さが両側にある。

レインは厨房に立つ。鍋を開ける。

香りは悪くない。だが量が多い。

「これは、今日全部出ますか」

男は首を振る。

「半分も出ない」

「なぜ仕込んだ」

男は黙る。

「足りないのが怖い」

怖さは同じだ。

レインは鍋の火を少しだけ上げる。

「今日は、全部出します」

男が驚く。

「無理だ」

「値段を下げる」

「赤字だ」

「一日、赤字にする」

沈黙。

「続かない」

男は言う。

「続けなくていい」

レインは振り返る。

「今日は、止める日です」

止める。

削るでもなく、増やすでもなく。

「何を」

「仕込むことを」

男の目が揺れる。

「明日の分を、作らない」

雨音が、静かに響く。

「怖いですか」

男は、ゆっくり頷く。

「怖い」

レインは小さく息を吐く。

「断ります」

男の肩が、わずかに落ちる。

「うちの監修はできません」

静かな拒絶。

「でも」

レインは続ける。

「今日の分は、一緒にやる」

男の目に、涙が浮かぶ。

「明日は、あなたが決める」

厨房に立つ。火を上げる。鍋をかき混ぜる。匂いが少し強くなる。

店の外で、雨が止み始める。

救える店と、救えない店がある。

断るとは、見捨てることではない。

守れない線を、安易に引かないことだ。

夜、その店は、仕込んだ分を出し切った。赤字だった。

だが、捨てなかった。

男は閉店後に言った。

「明日は、仕込まない」

声は震えている。

「怖いけど」

レインは頷く。

「怖さが残るなら、大丈夫です」

宿へ戻る道は、雨上がりの匂いがする。

契約書が、まだ机にある。

広げれば、この店のような場所に届くかもしれない。

だが、守れない。

断る日は、まだ来ていない。

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