第五話 選ばれなかった材料
夕方、レインは小さな籠を抱えて市場へ戻った。
朝の喧騒は引き、床には葉や氷の欠片が散り、売り手たちは片付けの言葉を短く交わしている。
食堂の一日が終わる時間と、市場の一日が終わる時間は、少しだけ重なる。
籠の中には、今日使わなかった素材が入っている。
捨てる量ではない。だが、捨てるという選択を許すほど軽い量でもない。
量が軽いと、人は責任も軽くする。
レインはそれを嫌った。
屋台は、片付けの最中だった。
木箱を積み、布を畳み、明日の「見切り」を今日のうちに分けている。
レインが近づくと、男は最初、面倒そうに眉を寄せた。
「……また何だ」
レインは籠を差し出した。
「使わなかった分です」
男は一瞬、言葉が出なかった。
市場の常識では、買ったものは買った者の責任だ。
責任とは、使うか捨てるかの責任だ。
返すという手は、普通は取らない。返される側も困る。
困るから、誰もやらない。
「普通は、黙って捨てる」
男がようやく言った。
レインは頷いた。
「だから、捨てない。使わなかった責任です」
男は籠の中身を見た。
傷のある素材。今日の皿に入れれば入れられた素材。
だが入れなかった。入れなかった理由を、レインは説明しない。
説明しないのに、責任だけは返してくる。
男は苦笑した。
「……あんた、本当に商売向きじゃないな」
レインは否定もしない。
商売向きでないことは、仕事の欠点ではない。
むしろ仕事の芯になるときがある。
男は籠を受け取りながら、ぽつりと呟いた。
「この人は、材料にも客にもなってないんだな」
客は、買った瞬間に「自分の得」を取りに行く。
材料は、料理人に「価値」を引き出される。
だがレインは、得も価値も急がない。
ただ、終わり方を整える。
その姿勢は、売る側にとっても救いになる。
市場を出ると、夜の匂いが広がっていた。
レインは空になった籠を持ち、食堂へ戻る道を歩く。
火に立つことだけが料理ではない。
火に立たない日にも、料理人の仕事は続く。
翌朝、青果商がレインを見つけて、いつもより早く声をかけた。
昨日の言葉の続きのように。
「火に立たなくても、料理人なんだな」
レインは少しだけ目を細め、空を見た。
薄い雲が流れ、季節が確実に進んでいる。
今日は十分だった。




