第二話 売れない素材
翌朝の市場は、昨日より少し騒がしかった。
人が多いのではない。声が大きい。売る側も買う側も、手早く、雑に、確実に終わらせようとしている空気がある。
いい日ではないときの市場は、仕事の速度が上がる。
レインは昨日と同じように、袋を持たずに歩いた。
だが今日は、足が止まる場所を最初から知っている歩き方だった。
市場の端。
日当たりが悪く、風が溜まり、通り道にもならない角。そこに「見切り」の荷が集まる。
形の悪い野菜。皮が擦れた果物。サイズが揃わない魚。
明日になれば、誰も触れずに捨てられるもの。
木箱の中に、歪んだ野菜が重なっていた。
表面は硬く、色は一様ではない。だが、匂いは生きている。芯のところに水が残っている。
レインは箱の縁に指をかけ、一本をゆっくり持ち上げた。重さがある。乾いていない。乾いていないのに、見た目が「売れない」。
店の男が気づいて声をかけた。
「それ、料理人が使うもんじゃない」
男の言葉には、侮りより先に諦めがあった。
料理人は綺麗な素材を求める。客がそれを期待する。だから市場は見た目を整える。整えられないものは、価値を失う。
レインは男を見ずに、素材の肌を指先でなぞった。
傷は浅い。中身まで届いていない。
ただ、明日になれば匂いが変わるだろう。今日という日付が、ぎりぎりの境目だ。
「いくら?」
レインは短く聞いた。
男は一瞬、身構えた。
「……値切らないのか?」
レインは首を振る。
「今日は、それで十分です」
十分――その言葉が、男の中で引っかかった。
値切るでもなく、まとめ買いするでもなく、「十分」。
市場で十分と言うのは、買う側が責任を引き受ける言い方だった。
足りないなら追加で買う。余るなら捨てる。
十分と言う者は、余らせない覚悟がある。
男は値札をそのまま言った。
レインは黙って支払い、素材を受け取った。
袋はなく、紐で束ねただけの荷を腕に抱える。
男が戸惑ったまま言う。
「それ、明日には——」
「明日には、終わる」
レインは言い切った。
「だから今日、終わらせる」
商売の言葉ではない。助けの言葉でもない。
ただ、終わり方を決める人間の声だった。
市場の外に出ると、風が少し強かった。
レインは荷を抱え直し、歩きながら考えた。
高級志向ではない。安物志向でもない。
素材は、誰かの期待に合わせて生まれてきたわけではない。
期待に合わなかったものにも、役目は残っている。
その役目を「料理」として終わらせるのが、料理人の仕事だとレインは思っている。
食堂へ向かう道の途中、昨日の青果商が遠くから見えた。
目が合うと、青果商はわざとらしく顔を背けた。
買わない客は面倒だ。
だが、買わない客ほど、見ている。見ている客ほど、こちらの粗を見抜く。
食堂に戻ったレインは、荷を台に置いた。
まだ火は入れない。まず、水に触れさせる。素材の疲れを戻すのではない。
疲れを確かめるために、水に触れさせる。
水が吸い込まれる速さ。皮の張り。匂いの変化。
そこで、今日この素材が「終われる」かが決まる。
夜が近づく頃、昨日の男の声が思い出される。
「……あんた、商売向きじゃないな」
レインはその言葉を否定しなかった。
商売向きでなくても、仕事は成立する。
むしろ、商売向きであるほど、見切り箱は増える。




