第三話 断るための言葉
その日、店の前に立った男は、最初から苛立っていた。
服は上等だが、埃をかぶっている。
長く歩いてきたのだろう。
息が荒く、視線が落ち着かない。
「聞いたぞ」
挨拶もなく、そう言った。
「ここは一日一皿だそうだな」
店の男は、鍋から目を離さずに頷いた。
「そうです」
「なら、今日は俺だ」
言い切りだった。
理由を述べる気も、順番を待つ気もない。
周囲には、すでに二人の客がいた。
どちらも静かに腰を下ろし、成り行きを見ている。
「今日は無理です」
男は、火加減を確かめながら言った。
その瞬間、空気が変わる。
「……何だと?」
「今日は、あなたを選びません」
理由は語られない。
だが、その言い方は逃げでも曖昧でもなかった。
「金は払う」
「値段の問題ではありません」
「事情があると言ったら?」
「それでもです」
男は一歩、前に出た。
「ふざけるな。俺は急いでいる」
店の男は、初めて顔を上げた。
「急いでいる方ほど、今日は向いていません」
その言葉に、周囲がざわつく。
「何様だ」
「一日一皿を名乗るなら、選ばれる側は我慢しろってことか」
店の男は、静かに首を振った。
「我慢させるための言葉ではありません」
「断るための言葉です」
その一言で、場が凍りついた。
断る。
はっきりとした意図。
「一日一皿は、誰かを優先するための仕組みじゃない」
「無理なお願いを、無理だと言うための言葉です」
男は、しばらく黙っていた。
拳が震えている。
「……だったら、そんな看板、下ろせ」
「分かりました」
即答だった。
男は言葉を失う。
「今日は下ろします」
「明日、また必要なら掛けます」
その柔らかい調子が、
かえって男を怒らせた。
「馬鹿にしてるのか」
「していません」
「選ばないと決めたから、選ばせないだけです」
沈黙が落ちる。
やがて男は、舌打ちし、背を向けた。
「二度と来るか」
「それでも構いません」
男が去ったあと、
しばらく誰も動かなかった。
残っていた客の一人が、
小さく息を吐く。
「……怖かったな」
「はい」
「でも、変に納得した」
もう一人が頷く。
「断られるって、こんな感じか」
その言葉に、
店の男は少しだけ目を伏せた。
夕方、レインは少し離れた場所で、
その一部始終を見ていた。
近づき、静かに言う。
「強かったですね」
「……はい」
「後悔は?」
店の男は、しばらく考えてから答えた。
「あります」
「でも、言わなかったら、ここは壊れていました」
レインは、それ以上何も言わなかった。
一日一皿が、
初めてはっきりと
“拒否の言葉”として機能した日だった。
それは、料理を守るためでも、
理念を守るためでもない。
この場所が、続くための選択だった。




