第一話 追放と、火を落とす音
この物語は、
派手な料理で無双する話ではありません。
追放された料理人が、
「勝つこと」ではなく
「今日を壊さないこと」を選び続ける話です。
一日一皿。
少なくて、地味で、効率も悪い。
それでも、
誰かの体と生活に、静かに残る料理があります。
もし、
速さや結果に疲れているなら。
この物語は、ゆっくり進みます。
火を落とす音が、こんなに静かだとは知らなかった。
王宮の厨房では、鍋も人も、常に急かされていた。
派手に、強く、驚かせろ――それが正義だった。
だが俺は、王の体を壊さない料理を選んだ。
翌日も生きられるように。
ただそれだけの理由で。
結果、俺は追放された。
二年間、王都立ち入り禁止。
復帰の可能性は「王家の機嫌次第」。
つまり、俺の人生は誰かの都合に預けられた。
――だから、降りた。
名声も、競争も、評価も。
全部置いて、辺境へ来た。
ここでは、一日一皿しか作らない。
比べられないように。
壊れないように。
世界を変える料理は作らない。
ただ、今日を壊さない一皿を作る。
その選択が、
どれほど厄介なものか――
このときの俺は、まだ知らなかった。
王宮を出たとき、空はやけに広かった。
建物が低くなったわけではない。
ただ、背中からあの音が消えただけだ。
鍋の底を撫でる木杓子の音。
刃がまな板を叩く規則正しい響き。
焼き菓子の天板を引き抜く金属音。
それらが重なり合い、最後に必ず――怒声が落ちる。
王宮の厨房は、いつも音で満ちていた。
レインは、その中心で十年、火を見続けてきた。
競争。
序列。
派閥。
料理が人を幸せにする前に、誰かを蹴落とす場所。
味よりも演出、体調よりも見栄。
「驚かせろ」「派手にやれ」「記憶に残せ」。
――もう、疲れていた。
晩餐会で彼が出した主菜は、地味だった。
香りの強い香辛料は使わず、濃いソースも控えた。
理由は単純だ。王は、濃い味を続けると翌日寝込む。
それを、レインは知っていた。
骨と野菜で引いた澄んだ出汁。
胃に残らず、それでも体が温まる温度と塩加減。
派手さはない。ただ、今日を壊さない一皿。
「味は悪くない。だが――地味だ」
料理長はそう言い切った。
周囲の料理人たちは視線を逸らし、次の仕込みに戻る。
誰も責めない。代わりに、誰も助けない。
追放処分は、その場で決まった。
二年間、王都立ち入り禁止。
再雇用の可能性は「王家の機嫌次第」。
つまり、未来は誰かの都合にぶら下がる。
レインは反論しなかった。
最後まで、食べてくれた王の表情だけを覚えている。
「苦しくない」
そう言ってくれた、その顔だけを。
王都から三日。
辺境の村リーヴェルは、驚くほど静かだった。
森と畑に囲まれ、誰も急いでいない。
空き家を借り、台所を磨き、鍋を据える。
包丁と鍋。それだけでよかった。
看板には、簡素に書いた。
《食堂 レイン》
《一日一皿》
理由は二つ。
多く作らないこと。
比べられないこと。
王宮のように「数」で評価されるのを、避けたかった。
自分の火を、自分の速度で扱いたかった。
最初の三日は、客が来なかった。
村の人は警戒する。見知らぬ男の店より、馴染みの味が安心なのだろう。
それでも、火は入れた。
自分のための一皿を、丁寧に作った。
骨と野菜で出汁を取り、弱火で時間だけをかける。
塩は最小限。香草は畑の隅で育つものだけ。
器を温め、仕上げの熱を逃がさない。
四日目。
戸を叩く音がした。
痩せた子どもが、怖がるように顔だけ覗かせている。
レインは黙って頷いた。
「……食べても、いい?」
頷くと、子どもは席に座り、器を両手で抱えた。
無言で飲み、最後に底をすくう。
飲み干したあと、袖で口元を拭き、少し考える。
「……温かい」
その一言で、胸の奥が久しぶりに動いた。
料理が勝った負けたではない。
評価でもない。
ただ、誰かの今日に、間に合った。
子どもは立ち上がり、戸口で振り返る。
「……また、来ていい?」
「もちろん」
子どもが出ていったあと、レインは鍋の火を落とした。
火を落とす音が、王宮のそれよりずっと優しく聞こえた。
――それが、始まりだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
第一話は、
主人公レインが「何を捨てたのか」よりも、
「何を守ると決めたのか」を描く回でした。
次話からは、
この“一日一皿”という選択が、
少しずつ人を集め、
同時に、厄介なものも連れてきます。
静かな物語ですが、
続けていくほど、選択は重くなります。
もしよろしければ、
続きを見守っていただけると嬉しいです。




