公太郎の間抜け面を肴にヤニ吸うと、疲労がみるみる回復してくわ
榊さんの現状を唐木田店長に伝えると、緊急で榊さんに煙草休憩が与えられることとなった。
〇
僕が洗い場で食器を洗っていると、厨房内で話し合う榊さんと唐木田さんの声が聞こえてきた。
「スマンな。働かせっぱなしで」
「いや、しゃーないスよ。十分だけヤニ吸ってきます」
「もっと休んでていいぞ?」
「客待たせてるんで。あとの五十分は落ち着いたらもらいます。落ち着くか知らんけど」
そこで榊さんは言葉を止め、急に僕の方に顔を向けてきた。
そして僕を指さしながら。
「そんかし、コイツも連れてっていいスか?」
「え」
「え」
はからずも、僕と唐木田さんの声が重なった。
「……まあ、洗い物今は溜まってないからいいけど。有馬くんはいいか?」
「コイツに拒否権はないんで」
「なんでだよ」
唐木田さんもいるのに、いつものノリで突っ込んでしまった。
「つーわけで、いってきやす」
言下、榊さんはこちらに向かってずんずん歩を進め、僕の腕を強く掴んだ。
そのまま僕は、厨房の裏口へと連れていかれる。
……正直、少し嬉しかった。
休憩できることが、じゃない。
榊さんと二人切りになれることが。
裏口から少し進むと階段があった。どうやら、ここからも屋上へいけるようだ。
階段を上る途中、煙草休憩から戻ってきたと思しきルイにゃんさんに凝視された。
「おー」
「な、なんです?」
彼女は真顔のまま右手を口元に沿え、はわわといった風に口を開けてこう言った。
「野外えっち?」
「違います!」
〇
例の屋上で、僕らは古びた椅子に隣り合って座っている。
まるっきり、いつかの構図と同じである。
「ごめんな公太郎。急に呼んで、急に働かせて。あんがと」
「いえ」
今はまだ昼過ぎ。だが、空は星でも見えてしまいそうなほどに澄んでいる。
そんな雲のない空に、榊さんが吐き出す煙が昇っていく。下から見れば、人口の雲だ。さながら、榊さんは雲の生産工場といったところか。
と、僕が榊さんの喫煙シーンに癒されていると。
「お前、ここであたしが吸うとなんでいっつもキモいこと考えるんだ?」
「なにも言ってないんですけど」
僕、そんなキモい顔してた?
「ま、いーケド」
榊さんは、椅子からずり落ちてしまいそうなほどに足を投げ出し、凄くリラックスした状態で煙草を吸っていた。
一時的に仕事から解放された榊さんを見ていると、僕が横にいるのがなんだか申し訳なくなってきた。
「僕、邪魔になってないですか?」
「あん?」
鋭い流し目が僕に飛ぶ。
マズい。言葉と話題の選択を間違えたかもしれない。
榊さんが呼んでくれたんだから、邪魔になるはずもないだろうに。
身構えていたが、榊さんはふっと表情から力を抜き去った。
「あー、疲れたあたしに気ぃ遣ってくれてんのな。いンだよ。そこにいてくれたら。公太郎成分を充電したかっただけだから」
「ぼ、僕の成分……」
なんか、急に彼女みたいなこと言い出したぞ? この人。
それは、その。ぎゅーってしたいとか、そ、そういうこと……!?
僕が、ねちゃついた笑みで恐縮していると。
「……ああ。それそれ。公太郎の間抜け面を肴にヤニ吸うと、疲労がみるみる回復してくわ」
「失礼すぎるだろ」
「ふは。冗談だよ」
榊さんが、本日二度目の笑顔を僕に見せた。
「まー。お前といると疲れがとれるってのは、ホント」
「それは、どうも?」
はたして、僕なんかにそんな癒し効果があるのかは甚だ疑問だが。
それから僕らは、しばらく黙って蒼穹を仰いだ。
風もなく、音も少ない。
聞こえてくるのは、地上の雑踏。それから、隣の榊さんが煙草を吸う息遣いの音だけ。
空に飽きてきた僕は、なんとはなしに隣のメイドさんを見た。
すると彼女も、綺麗な顔をこちらに向けていた。
どちらがなにかを言うこともなく、目を逸らすこともなく、数秒が過ぎ去った。
榊さんの、放り出された右手に挟まれた煙草。そこから昇る微かな紫煙が、僕の視界の端で線香の煙のように広がっていて、美しかった。
止まったような時間。
それは、至福のひと時であった。
また煙でもかけてくれるのかと僕が期待していたら。
「なんだ? 野外えっちでもするか?」
「しませんよ!?」
普通にいつも通りいじられてしまった。
「まあ、十分じゃ厳しいか」
「そういう話ではなく」
榊さんは、小さな笑い声を口の中で噛みながら、一本目の煙草を吸い殻入れに押し潰していた。
彼女の目は、なんだか常時よりも虚ろに沈んでいるように見える。
そういえば、ルイにゃんさんがなにか言ってたな。
榊さんがいつもよりも元気がなさそうに見えるとかなんとか──。
「──じゃあ、本題に入るけど」
「……、本題?」
榊さんのまとう空気が、一瞬にして真面目なものに変容した。
思わず僕は、心と体の居住まいを正す。
「公太郎に聞いてほしいっつーか、言っておきたいっつーか……。まあ、回りくどいのはなしで言うと」
榊さんは、わざとらしく咳払いを挟んでからこう続けた。
「あたし、バズ……爆ぜたじゃん?」
「は、はい」
爆ぜるは、以前榊さんがバズるの代わりに考えた言葉。
でも、真面目な空気の今使うか!?
まあ、榊さんはボケてるつもりはないのだと思うが。
僕がツッコミを我慢して次の榊さんの言葉を待っていると。
彼女は、落ち着いた表情で声を漏らした。
「あれのおかげで、テレビの取材きたんだよ。今日の朝」
なぜだか少しだけ悲しそうな顔で、榊さんは僕を見た。
「そんで。これきっかけに芸人の道に戻ろうか、悩んでるんだ」




