いらっさっさっせ〜
やりたいことが特にない。
没頭できるような趣味もない。
しいて言えば、少しお笑いが好きなくらいか?
しかし当然、特に夢があるわけでもない。
だから、なんとなく進学という道を選んだ。
なにもない自分を変えたくて、僕は一人で東京に飛び込んだ。
本当にそれだけ。本当に、よくある話。
東京で過ごす夜は寂しかった。夜が、重たく思えた。
そんなときに急に僕の前に現れ、鬱屈とした僕の気持ちやらなにやらを全てめちゃくちゃに破壊していったのが、榊さんであった。
正直最初は怖かったけど、一日一緒に過ごしたらすぐに怖さは薄れてしまった。
東京での新生活に急に押しかけられたことになるが、正直嫌な気持ちは全くない。
……その、普通に榊さんが僕のド好みの感じの女性というのもあるが……。
それは、それとして。
迷惑どころかむしろ、僕は感謝をしている。こんな僕に寄り添おうとしてくれた榊さんの優しい気持ちに。
えっと、寄り添おうとしてくれたんだよな?
まだ榊さんと過ごした時間が短すぎて、彼女のことを掴み切れていない。悪い人ではないことはわかるんだけど。
なんてことを考えながら、教授の板書を無心でノートに写す。
駄目だ。榊さんのことばっかり考えてしまって、講義に身が入らない。
……楽しみだな、榊さんのいるメイド喫茶。
〇
その日の講義が終わると、僕はすぐに秋葉へと向かった。
秋葉原駅から徒歩五分ほど歩くと、ケバケバした看板がたくさん掲げられたビルに辿り着いた。この中に、メイド喫茶とかコンカフェが大量に詰め込まれているらしい。
榊さんが働いているメイド喫茶はこの四階の、『メイドを舐めるにゃ!』というお店らしい。凄い名前だし、『メイドを舐めるにゃ!』という萌え萌えの店名の店で榊さんが働いているという事実が面白すぎる。
どうやらこのメイド喫茶は猫耳メイドがコンセプトらしい。コテコテのギトギトだ。とてもあざとくて素晴らしい。だから、名刺の榊さんも猫耳を付けていたのだろう。煙草をくわえてるのは意味わからないけど。駄目だろ。
階段で四階に上がると、キャストの写真や様々な装飾品で華美に飾られた扉が目に飛び込んできた。
扉に貼られた写真の中に、床にヤンキー座りをして一升瓶をそのまま飲んでいるメイドの写真があった。たぶん榊さんなのだろうが、怖かったから見なかったことにした。
メイド喫茶にくるのは初めてだから、そこそこ緊張しながら扉を開けると。
「お帰りにゃさいませ、ご主人様ぁ!」
入り口の近くにいたピンク髪ツインテ猫耳美少女が萌え声で僕を招き入れてくれた。よく見ると、猫耳はヘッドドレスと一体化しているようだ。うむ。かわいい。
彼女は僕の前まで移動し、ぺこりと一礼する。
「ご主人様は、当店のご利用は初めてですかにゃ?」
「あ、はい……」
語尾が「にゃ」!? あざとすぎる。
二次元からそのまま飛び出してきたかのような彼女のオーラにやられ、僕は思わず目を逸らし店内の内装を確かめる。
壁や天井のほとんどがピンクで統一されており、空間全体から甘ったるい空気が漂っている。
平日だというのに、客の入りはそこそこだ。もしかして、人気店だったりするのだろうか。
まごまごと視線を彷徨わせている僕に、目の前のツインテ美少女が声をかけようと口を開けた瞬間。
「いらっさっさっせ~」
という、気の抜けまくった声が店の奥から僕の耳に届いた。
声の方を向くと、僕の目を見てこちらに歩いてくる長身の女性がいた。
榊さんだ。
「まりにゃん。こいつ、あたしの客だから。あたしが案内するわ」
まりにゃんというのは、ピンクツインテ美少女のことだろう。
「おっけーおっけー! さかにゃんご指名だなんて、ご主人様はいい趣味してるにゃあ」
「指名制度とかあるんですか」
「無ぇ。こいつが適当言ってるだけ」
「あ、そうですか」
あったら絶対榊さんを指名していたことだろう。
「それじゃ、ご主人様。ごゆっくりにゃ! さかにゃん、ご案内よろしく!」
笑顔を弾けさせ、まりにゃんさんはどこかへと消えていった。
榊さんと二人きりになり、改めて彼女を見つめる。
メイド服は、僕の家で着ていたものと全く一緒だ。この人、本当に仕事着を普段使いしているのか。シンプルにやばすぎる。
他、いつもと違う点は、胸に付いた『さかにゃん』と書かれた名札。
それから……。猫耳。
不愛想な彼女の顔の上でかわいらしい猫耳が生えている様は、なんとも不可思議なマリアージュをもたらしている。
「あ、その。猫耳、良い、スね」
自分で言いながら急に冷静になり、言葉の後半は羞恥で掠れてしまっていた。
「ん。サンクス。あたし的にはメイドに猫耳って王道すぎて面白みがあんまないと思うけどな」
「なんてこと言うんだよ」
店員側が言っていい台詞じゃなさすぎる。
「そんじゃま、席案内するわ。どこでもいいか?」
「お任せします」
榊さんに連れられ、僕は壁際の席へと案内された。小さなテーブルと、椅子が向かい合って二つ置いてある。
椅子に腰かけると、ナチュラルに榊さんが僕の正面の椅子に腰をおろしたものだから目を疑った。
「ここはそういう接客スタイルなんですか?」
「いや? 立ちっぱで疲れたから座っただけだが」
自由すぎるだろ。
なんだこのメイド。
「あ、接待の心配してる? うち、風営の許可取ってっから、心配すんな」
いや、店の心配ではなくあなたの心配ですが。
「そ、その、他の店員さんとか店長さんに怒られたりしませんか?」
「んや、もう怒られ終わってる」
「怒られ終わってるってなんだよ」
初めて聞いたわ。
「一通り怒られ終わったあと、あたしはルールで縛るより好き勝手させてる方がおもろいって店長が気付いたらしい。だから、この空間ではあたしにあらゆるルールは適用されない」
「なにそのバトル漫画の異能力みたいな設定」
なんでこの人だけ治外法権が適用されてんだよ。
「えっと……。失礼ですけど、よくクビになりませんでしたね?」
「ああ。意外とあたし目当ての客が多くてな」
榊さんは、大儀そうに語る。
「睨んでくれとか、ケチャップ顔にかけてとか言ってくるマゾっぽい変なやつばっかだけどな。無下にもできないから、軽い罵倒くらいはしてやるんだが。……あたし、そんなSっぽいかな」
「……」
否定も肯定もしないでおこう。
「まあそんなわけで。こんなんでもこの店の人気キャストの一人だから、店長もあたしをクビにできねぇんだろ。店長には世話になってっから、その恩返しもかねて働いてるわけだ。めんどいけどな」
「なるほど」
なんとなくそんな気はしていたが、榊さんってやっぱり人気者なんだな。
変で面白くて美人とか、そりゃあ好かれるだろう。主に、変な人から。
……その瞬間、僕の胸になにか薄いモヤのようななにかがかかった感覚があった。
これは……。嫉妬? いや、寂しさだろうか。
榊さんは僕とは違って、たくさんの人に愛されているのだ。
それは、彼女の根底に人への優しさがあるからだろうか。
そう。榊さんの僕への優しさも、その一種でしかないのだろう。
「おい。スピってるトコ悪いけどさ」
「あ、はいっ!」
声をかけられ、僕の意識が現実に戻った。
「メニュー、どうする? ワンドリンク制だから、それ頼んだら好きなだけいれる。あとは別途入店料がかかるくらいだ」
「ああ、えっと……。どうしようかな」
榊さんが差し出してくれたメニュー表を見るが、目が滑って全く内容が入ってこない。
「お前、まーたなにか悩んでんのか? ……そんなら」
そこで言葉を切り、榊さんがこちらに顔を近づける。
「家帰ったら話聞いてやっから。今は死ぬほど楽しめよ、な?」
榊さんが再び席に座り直す。そして、彼女の口角が軽く上がった。
やはり、彼女は優しい。
「ご心配おかけしました。本当になんでもないので、大丈夫です」
「ん。そっか。ほいで、メニューは?」
「あ、じゃあ、メロンクリームソーダと、『メイド長直伝のふわ萌えスペシャルオムにゃイス』で」
「あいよ。メロンクリームソーダと、『メイド長直伝のふわ萌えスペシャルオムにゃイス』、な。……あ」
しまった、とでも言いたげな表情をする榊さん。
「どうしました?」
「いや、今さ。『注文のときに長ったるい料理名をちゃんと言ったけど、店員に無慈悲に料理名を省略されるボケ』入れるべきだったな」
「いや、別にいいですよ」
ボケて。
「これやると、あたしのキャラも相まって結構ウケんだよな。公太郎レベルにはウケねぇって、あたしの脳が勝手に判断したのかな」
「僕レベルって……いい意味でですか?」
「んあ? ああ。お前、あたしの小ボケめっちゃ拾ってくれんじゃん。結構嬉しいんだよな」
「それは、どうも……?」
なんだろう。凄く胸がそわそわとする。
面白い人に面白さを認められると、こんなに嬉しいんだな。
「注文は以上だな? オーダー通してくるから、床でも見てちょっと待ってろ。ほいじゃなー」
「床は見ませんけど、わかりました」
僕は、去っていく榊さんの背中をずっと眺めていたのだった。




