……ヤったか?
朝。目を開けると、榊さんの綺麗な寝顔が眼前にあった。
僕たちの睫毛と睫毛は、重なってしまいそうな距離にある。
なんなら、僕らは抱きしめ合っていた。さすがに足は絡めていなかったが、僕らの腕はお互いの首に回されている。
そのことに気が付いた瞬間。
猛烈な気恥ずかしさが全身を駆け抜けていった。
榊さんの抱擁から逃れるべく、静かに体を動かしていると。
「ん。んぅ」
掠れた声を漏らしながら、榊さんがゆっくりと瞼を持ち上げた。
彼女は、顔面を真っ赤に染める僕を見て、パチパチと瞼を上下させながら囁いた。
「ん? え……」
そして、今の自分たちの状況に気が付いた榊さんの顔から、みるみる血の気が引いていく。
彼女がぽつりと声を出す。
「……ヤったか?」
「ヤってません!」
僕のクソデカボイスが、アラームの代わりに朝を告げた。
〇
ベッドから同時に体を起こし、僕たちはしばらく無言のままに天井を眺めていた。
「昨日のこと、どれくらい覚えてます?」
「ほとんど覚えてる。お前を押し倒したこととか」
「……」
いや、覚えてるのかよ。
「なんで押し倒したんですか?」
「わからん。本能に従ったんじゃないか?」
ほ、本能?
なんだその、えっちな響きの言葉は。
「榊さんの本能は、僕を押し倒したいと思ってるんですか?」
「ん? ん。んー……?」
そして彼女は横へと顔を逸らす。
「知らん。酔ったあたしに訊け」
榊さんの耳は、例の如く紅葉のように色づいていた。
〇
二限終わりの昼休み。僕は、大学内の食堂にいた。
僕の目の前には、飛野さんがいる。偶然食堂で一緒になったのだ。
僕の前にはカレー、飛野さんの前には焼きサバ定食が置かれており、どちらも美味しそうな湯気を放っている。
「やっぱり、飛野さんが見たメイドの幽霊の正体は榊さんだったみたいだよ」
「そっかー。にしても、メイド服で外を歩くなんて面白いね。変わった人」
瞳だけでなく、飛野さんは顔全体に光をまとっている。
「飛野さんが榊さんに会いたがってること伝えたら、榊さんも会ってみたいって言ってたよ」
「わ、嬉しいっ。でも、ごめんね。会ってみたいだなんて無理なお願いしちゃって」
「大丈夫だよ」
飛野さんは、サバの身を割りばしで器用にほぐしながら上目遣いで僕に視線を送っていた。
「それで、榊さんとはいい感じ?」
むふふと、飛野さんの頬が緩む。恋バナモードに入ってしまったようだ。
「ちょっとずつ仲良くはなってるのかも。正式に同棲を続けていくことも決まったし」
「本当!? おめでとう!」
飛野さんは、まるで自分のことのように喜んでくれた。
二人とも昼食を食べ終え、席を立つともなく雑談をしていると。
「ん?」
僕のスマホに通知があった。榊さんからのLINEだ。
榊さんも昼休みだろうか。それとも、サボっているだけ?
榊さんから送られてきた文面は、こう。
『今日、客がこなさすぎてなんか早めに帰れそうなんだが、暇だからお前の大学遊びにいっていいか?』
目が飛び出しそうになった。
榊さんが?
大学に?
くる?
自然と僕は、実際に榊さんが構内にいる姿を想像していた。
例えばこの場にメイド服姿の榊さんがいて、僕と飛野さんと一緒に昼食を食べている姿とか。
……シュールすぎるだろ。
大学内にメイドさんがいるなんて、目立って仕方がない。
「どうかしたの?」
なんともいえない表情をしていたからだろか、飛野さんに心配されてしまった。
「なんか、榊さんが大学に遊びにきたいみたいでさ」
「えー! いいね! きてもらったら? 私はお邪魔だろうから、どっか隠れとくしさ」
たぶん彼女は気を遣ってくれているのだろう。でも、内心では榊さんに会ってみたいと思っているはず。だって、異常にそわそわしているから。
「いや、せっかくなら飛野さんにも榊さんに会ってほしいな」
そんなことを言ったら、タイミングよく榊さんから追加のLINEがきた。
『公太郎の友達もいるなら、会わせてくれよ』
小さく微笑みながら、僕はそのメッセージを飛野さんに見せた。
「榊さんも会いたいってさ」
榊さんのLINEを見た飛野さんは、胸の前で小さくガッツポーズをした。
「やたっ!」
無邪気な飛野さんを見て、なんだか僕は微笑ましくなってしまう。
〇
四限後、僕と飛野さんは大学内のカフェで集まった。
このカフェは食堂も兼ねており、広場にはたくさんのテーブルが設置してある。
オシャレなカフェというよりかは、どちらかというと学生の休憩場といった趣が強い。
僕と飛野さんの他には、学生はまばらにしかいなかった。
そんな中、僕らは入り口の近くの方の席に腰かけてコーヒーを飲んでいる。
榊さんはもうすぐ到着するらしい。僕は大学の入り口まで迎えにいくと言ったのだが、一人で構内を少し探検してからいきたいのだと断られてしまった。自由な人だ。
もうしばらく待っていると、カフェの入り口からゆったりとした動作で歩いてくるメイドさんの姿が目に入った。榊さんだ。
僕が手をあげると、榊さんも軽く手をあげてこちらにやってきた。
当たり前だが、榊さんは周りの注目を集めていた。そりゃ、大学内にメイドさんがいれば目立つのは当たり前だ。
しかし榊さんはそんな視線を少しも気にせず、「どもども」、といった感じで全員に気さくな会釈を送っていた。さすがだ。
僕と飛野さんのいる席までやってきた榊さんは真顔でこう言った。
「ここって酒飲んでいいのか?」
「駄目です」
開口一番なに言ってるんだよ。
「大学内の飲酒は禁止されてます。喫煙所ならありますけど」
「じゃあ、あとで連れてってくれ」
わざわざ大学にきてまで酒と煙草を摂取しようとする榊さんに、僕は呆れてしまった。
開幕から飛ばし過ぎだ。飛野さん、引いていないだろうか。
ちらりと飛野さんに視線を飛ばす。
飛野さんは、胸の前で祈るみたいに両手を握り、星屑のような光を瞳にちらばせていた。
どんな心情なんだよ。
榊さんが、飛野さんに体を向けた。
「ども。あたしは榊夜白。公太郎がいつもお世話になってるようで」
飛野さんは、背の高い榊さんを見上げながら、ぽかりと口を開けてこう囁いた。
「美だ……」
たぶん、美と言ったのだろう。
美て。
わかるけど。
「あっ、私は飛野叶です。榊さんみたいな変……変わっ……個性的で面白い人が大好きです!」
榊さん、飛野さんにめちゃくちゃ言葉選ばれてる。
しかし、飛野さんのこの言葉はたぶん彼女の本心だろう。クリスマスプレゼントを前にした子どもみたいな無邪気な彼女の顔を見れば、僕でもわかる。
「ん。あんがと」
そう言いつつも榊さんは、物怖じしない飛野さんに若干圧倒されていた。
「じゃあ、そのコーヒー飲み終わったらいくか」
「どこにです?」
僕の問いに、榊さんは煙草を吸うジェスチャーをした。
「ヤニ吸いに」
ホント自由だなこの人。
「僕はいいですけど」
ちらりと、心配げに飛野さんに視線を送る。
「飛野さんはいい? 煙草平気?」
「平気平気! メイドさんの生喫煙シーンとか、お金払ってでも見たいよ!」
心配して損した。
ちょっとずつわかってきたのだが。
飛野さんって、少し変な人だ。




