お前、駄目女なら誰でもいいのか?
一時間ほど経ち、僕と榊さんはバーをあとにすることにした。
我藤さんには、店を出る際に挨拶をした。彼女はもう少し一人で飲むと言っていた。
彼女に背を向け、入り口の扉に手をかけようとすると。
「やべっ」
という、我藤さんの声が背中から聞こえた。
僕と榊さんが我藤さんの方に体を向けると、彼女は青ざめた顔で言った。
「財布、家に忘れてもーた……」
えぇ……。
困惑する僕をよそに、榊さんは表情を変えずに口を開く。
「またスか」
また?
まさか、よくあることなのだろうか?
「一万で足りますよね」
榊さんは、慣れた手つきで我藤さんの手に一万円札を握らせる。
「ええんか? 榊」
「あたしへの借金一万追加です。返してくださいね」
「ホンマ、恩に着るわぁ。服売ってでも返すから」
「それ、いつも言ってますけど売ったことないっスよね」
「今回こそはホンマやからぁ~~」
我藤さんは、後輩である榊さんにぺこぺこと頭を下げまくっていた。
まさか、あの榊さんに金を借りる人がいるとは思わなかったから驚いた。
我藤さんの先ほどまでの威厳やオーラは、全て吹き飛んでいた。
そんな我藤さんの姿を見ていると、僕の体の奥に微かな熱のようなものが生じた。
……ん? 胸の辺りが湧き上がるような、この感覚はなんだ?
いや、なんだもなにもない。
僕の駄目女アンテナが、我藤さんの情けない姿に反応してしまっただけだ。
表情を緩める僕を見て、榊さんは露骨にムッとした顔をして僕をじっと見据えていた。
怖い。な、なんだろう……。
再び我藤さんに別れを告げ、店の外に出る。
冷たい夜風が鼻先を吹き抜けていった。
「あの人、いい服着てたろ? 服とかアクセとか好きなモンに金かけすぎて、いっつも金欠なんだ。そんで、色んな人に借金してる」
「ああ、そうなんで──」
僕が言い終わる前に、榊さんに詰め寄られた。
「おい」
榊さんが首を伸ばし、僕を超至近距離でねめつける。そして、真剣なトーンで言葉を飛ばす。
「お前、駄目女なら誰でもいいのか?」
縮み上がってしまいそうになった。
なんという眼力だろう。相手がゴルゴーンでも関係なく、ひと睨みで殺してしまいそうだ。
「い、いや、そんなことはっ」
「じゃあなんで、ガトさんに鼻の下伸ばしてんだ」
「えっと、その、我藤さんの情けない姿がかわいくて……」
「やっぱ誰でもいンじゃんか」
僕から顔をはなし、榊さんはそっぽを向いてしまった。
そして、彼女は早歩きでその場を去ろうとしてしまう。
どんどん彼女の背が小さくなっていく。
「待ってください!」
慌てて、彼女を追いかける。
「だっ、誰でもいいわけじゃありません」
叫びながら、次の言葉を探す。
そして、僕の口から出てきたのは──。
「だって、榊さんは特別ですから!」
その声に、榊さんの足がぴたりと止まった。
彼女は首だけを動かし、視界の端で僕を捉えた。
「……どの辺が特別なんだよ」
榊さんの口端から、小さな声が漏れた。
「僕は……」
「……」
榊さんは、黙って僕の言葉を待ってくれている。
そんな彼女のために、正直な思いが零れ落ちていった。
「僕は、榊さんが駄目女だから好……好ましく思っているんじゃありません。いや、勿論、榊さんの駄目なところも好……好ましく思ってるんですが、そうじゃなくて。それはあなたの魅力の一つでしかないというか。むしろ、僕が榊さんを好……好ましく──」
「……ふッ」
榊さんの、小さな笑い声が聞こえたような気がした。
そして、榊さんが体ごと僕の方を向く。
そんな彼女が携えていた表情は、なぜか、勝ち誇ったような笑顔だった。
「お前、そこまで言うならもう好きって言えよな」
微笑の混ざったその声に、僕の心は昂ってしまうのだ。
「そ、それはまあ、あの、アレですからっ!」
「どれだよ」
「好きは好きですけど、別にその、変なアレじゃないですからね」
「はいはい。わーったよ」
榊さんが目を線にしたのを見て、僕は少しだけ安心した。
〇
「榊さん、ごちそうさまでした。ありがとうございました」
「ん。いいってことよ」
夜風を浴びながら、二人で夜の街を歩く。
ギラついたネオンが誘蛾灯のように輝き、街往く人を惑わしている。
その喧騒とは反対に、僕の隣を歩く榊さんは大人しい。
彼女の元気のピークは二件目までであった。
三件目のバーでの榊さんは比較的落ち着いていて。
バーを出たあとは僕のせいで少し不機嫌になり。
そして今は。
「クソねみぃ……」
クソ眠そうなのであった。
瞼をこすりながら、大きな欠伸を繰り返している。じわじわと、酔いが回ってきたのであろうか。
「公太郎。もう一軒いこうぜぇ」
まだ飲む気なのかこの人。
「明日は休みなんですか?」
「ゴリゴリ仕事」
「えぇ……」
スマホで時間を確認する。今は二十二時過ぎだ。
「僕も明日は朝から講義がありますし、そろそろ帰りません?」
「真面目だなぁ。……頼む。もうちっとだけでいいから」
「うーん」
まあ、家でならいいのかな? すぐに寝られるし。
「なら、なにかお酒買って家で飲みます?」
「それもいいなぁ」
「じゃあ、そうしましょう。タクシー呼ばなくても大丈夫そうですか?」
「だいじょぶ」
榊さんの声は、いつもよりもかなりふにゃふにゃとしている。かわいい。
とりあえず僕たちは、アパートから一番近いコンビニを目指して歩みを進めた。
歩いていると、榊さんがやたらと僕にくっついてきた。
軽く頭突きをしてきたり、僕の肩に頭を乗せてきたり。
この人、酔うといつもより更にスキンシップが増えるんだよな。
そんな彼女にどう反応すればいいのかわからなくて、僕は無視した。でも、当たり前のように僕の心臓は超フル稼働していた。
「榊さん。一緒にお酒飲んであげられなくてすみません。飲み相手が僕なんかで、楽しかったですか?」
「んー」
榊さんが、僕の肩に顎を乗せる。
そして、言葉を溢すために息を吐く。
微かなアルコールの匂いが、僕の鼻先を弄ぶ。
「クソ楽しい」
その瞬間、僕の心の中に星空が広がったような感覚があった。
僕は、本物の夜空を見上げながらこう言った。
「僕もです」




