あたしはめんどくさい女なんだ
朝。目を開けると、やはりそこにはメイドの姿はなかった。
昨日は、ベッドに横になったままいつの間にか眠ってしまっていたらしい。
慌ててスマホを確認する。榊さんからのLINEは届いていなかった。
それどころか、昨日僕が送ったメッセージにも既読が付いていない。
なんだか、凄く嫌な予感がする。
僕が榊さんに避けられているだけなら、別にいい。
でもそうではなく、榊さんになにかあったとしたら。
あの人は結構危なっかしいところがある。僕との出会いからしてそうだったのだから。
またどこかで酔いつぶれているとか? スマホを無くしたとか? 知らない場所で遭難してしまったとか?
──拉致、でもされていたら……。
悪寒が走り、全身から一気に嫌な汗が吹き出した。
僕は、急いで榊さんに無料通話をかける。
虚しいコール音が響く。榊さんは電話に出ない。
もう一度かける。やはり榊さんは電話に出ない。
そこで、今はまだ朝の八時であることに思い至る。まだ、眠っているだけなのかもしれない。
それでも少し心配で、僕は榊さんにメッセージを送る。
『大丈夫ですか? なにかありましたか?』
その後、僕はそわそわとしながら食パンを焼かずに口に突っ込んだ。味なんてなにもわからなかった。
一時間ほど経って、榊さんから返信があった。
急いでスマホを覗く。
『連絡してなくてスマン。なんもないから大丈夫』
ひとまず、胸を撫でおろした。
『よかったです。今日は帰ってこられそうですか?』
そうメッセージを送ったが、榊さんの返信は昼を過ぎてもこなかった。
「……これ」
やっぱり僕、避けられてる?
〇
今日が日曜日でよかった。
平日なら、こんな空虚な心持ちで講義なんて受けられたものじゃないから。
……久々に、あれやるか。
昼食にカップラーメンを作りながら、心を落ち着けるために大喜利サイトを開いた。
高校生の頃はこのサイトでよく遊んでいたが、大学に進学して生活環境が変わってからは全く開いていなかった。
適当にお題を選ぶ。
『無名のおっさんの握手会に長蛇の列。いったいなぜ?』
数秒考えて回答を送る。
『顔がほぼキムタク』
「……」
やばい。
頭の中にノイズが多すぎて、手応えがあるのかないのかわからない。
とりあえず、ご飯を食べることにしよう。
カップラーメンを食べながら、榊さんに避けられているであろう理由を考え始める。
シンプルに僕との同棲が面倒になった?
ありえる。気まぐれな榊さんなら、ありえまくる。
シンプルに、僕が嫌われてしまった?
それもあるだろう。僕を避ける理由なんて、それくらいしか思いつかない。
でも、どうして嫌われてしまったのか、それがわからない。
しらない内に、僕がなにかしてしまっただろうか?
榊さんがいなくなるまでは、二人で楽しく暮らしていた……と思う。少なくとも僕は、榊さんと一緒にいられることができて楽しかった。
榊さんがいなくなる直前のことを思い出す。
僕は、飛野さんとお笑いライブを見にいった。
そして帰り道、飛野さんが榊さんと思しき人影を見て幽霊だと誤認していた。
そこからだ。榊さんが家に帰ってこなくなってしまったのは。
「……」
とある可能性が、僕の中で浮上する。
いや、しかし、榊さんに限って……。
「──嫉妬なんてあり得るか?」
路上で飛野さんが榊さんを見つけたとき、榊さんもこちらに気が付いていたとしたら?
楽しそうに女の子と話す、僕の姿を見ていたとしたら?
……それくらいで榊さんが嫉妬なんてするだろうか? それも、しばらく僕と会いたくないレベルの嫉妬を?
駄目だ。考えてもらちが明かない。
一旦、飛野さんに相談してみようか?
そんなことを考えていると。
──スマホに着信があった。
発信者は、榊さん。
急いで応答すると。
「もしもし」
そんな低い声が、僕の耳に滑り込んできた。
この声、間違いなく榊さんだ。
少しハスキーな、僕の好きな榊さんの声。
声を聞いただけで、なぜだか涙が出そうになった。
「公太郎です。榊さん、大丈夫ですか? なにか、あったとかじゃ……」
「ん。それは大丈夫」
淡々として、異様に落ち着いた話し声であった。
「実は、公太郎に謝りたいことがあってな」
榊さんの言葉には、感情が乗っていない。無理やりに無心を装っているかのような、違和感のある声であった。
なんだ? 怖い。
胸の辺りがぞわぞわとする。
榊さんは、なにを考えている?
僕に、なにを言おうとしているんだ?
その先を聞きたくなくて、僕は思わず耳を塞いでしまいたくなる。
しかし、榊さんの声は無慈悲に落とされる。
「……やっぱ、同棲すんのやめよう」
「──え」
榊さんの言葉が、脳を素通りしていく。
世界が色を失ったみたいに、急に色褪せていく。
なんで、急に、そんな、こと。
「明日大家が帰ってくるみたいだし、そんとき新しい鍵もらうわ。てことで、同棲期間は今日までだ。つっても、今日もあたしは帰れないんだけどな。すまんな。今まで世話んなった」
妙に淡々とした声に、僕の心がざわつく。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」
自分の言いたいことだけを一方的に伝える榊さんに、僕は無性に腹が立ってしまった。
「な、なんでそんな急に……。僕、なにか変なことしちゃってましたか? なにか、榊さんが気になるところがあれば言ってください! なおしますから!」
「……」
居心地の悪い無言の時間が過ぎていく。
しばらくすると、榊さんが小さく囁く。
「そういうのじゃねぇんだ。公太郎はなにも悪くないし、公太郎のことが嫌になったわけでもねぇ。お前は、最高の男だ」
「なら、なんで……」
「そうじゃなくて、全部、あたしが悪いんだ。お前に隠し事をしてた、あたしが」
「隠し、事……?」
榊さんは、一体なんのことを言っているのであろうか。
確かに、彼女がなにかを抱えているのだろうと思う瞬間は何度かあったが、まさかそれが関係しているのか?
「すまん。いつかはこうなるとは知ってたんだ。あたしは、それをわかってた。だからこれは、あたしが罪悪感に耐えられなくなっちまっただけなんだ……」
「榊さん! なにが言いたいのか全然わかりません!」
「すまん。あたしはめんどくさい女なんだ」
それは知ってるけど!
「あたし以外に友達ができたみたいで良かったじゃねぇか。あの子、大事にしろよ」
あの子、だって? まるで、実際に見たような口ぶりだ。
やはり榊さんは、飛野さんと僕がいるところをしっかり見ていたのか?
「じゃあな。今まで楽しかったぜ、公太郎」
「待って、榊さん……!」
「もう、あたしみたいな女に引っかかるなよ」
そうして、通話は一方的に切られてしまった。
あまりにも無慈悲な沈黙が、僕をその場に縫い付けてはなさなかった。




