わざとだったら嬉しいか?
朝。目を開けると目の前に榊さんがいた。また、僕のベッドに潜り込んだらしい。
いるだろうなぁ。いてくれたら嬉しいなぁと思っていたから、別に驚きはなかった。
驚きはなかったが、ドキドキはする。
当たり前だ。日が経つごとに、僕は榊さんのことをどんどん好きになっていっているのだから。
例に漏れず、彼女は僕を抱き枕扱いで強く抱きしめている。
僕の胸に押し付けられた彼女の胸から、心臓の鼓動がダイレクトに伝わってくる。
僕らの拍動が重なる。そして、やがて僕の体が刻むビートの方が走り始める。これではセッションにならない。
できるだけ平静を装って、榊さんに声をかける。
「榊さん。今日も出勤でしたよね? 僕も学校いかなきゃなんで、起きますよ」
「ん、んー……」
僕は、寝起きの榊さんの声が好きだ。いつもよりもガサガサで、かっこいいから。
僕らは寝ぼけ眼のまま同時にベッドから降りた。二人とも、寝癖が凄かった。
それから二人で、焼いただけの食パンを牛乳と一緒にもそもそと食べた。
「あの、僕のベッドに潜り込んでくるのって、酔ってるからですか? 寝ぼけてるからですか? それとも、わざとですか?」
「公太郎は、どれだと嬉しいんだ?」
榊さんの目がゆっくりと細められた。
「それは……」
食パンを飲み込み、僕は真剣な顔貌で言い放つ。
「わざとだったら嬉しいです」
「ふは。素直なやつ」
一緒に寝るのはまだ早いと言っていた僕は一体どこにいったんだ。
いや、今ならもう一緒に寝てもいいいと深層心理で思っているのだろうか。
「じゃ、わざとってことにしといてやる」
ニヤリと笑って、榊さんは牛乳を飲み干した。
〇
今日はほぼ一日講義が入っている日で、忙しかった。
しかしそれでも、なんとかかんとか一日を乗り切った。
飛野さんとの約束が、楽しみだったからだ。
〇
四限終わりに、僕は急いで新宿へと向かった。
総武線で、錦糸町駅から新宿駅へと移動する。
その際、榊さんにLINEで、『昨日も言いましたけど、友達と遊ぶので少し帰りが遅くなるかもしれません』と送っておいた。
自分で文字を打ちながら、めちゃくちゃ恋人みたいなLINEだなと思い、電車内でニヤニヤを押さえるのに必死であった。僕、ちょっとキモすぎるな……。
榊さんはもう終業後であったのか、すぐに既読が付いて返信があった。
『はいよ。んじゃ、ご飯作って待っとく。気を付けてな。飯、必要なかったら言ってくれ』
「……」
いや、彼女かて。
かわいすぎるだろ。
マズい。このまま榊さんとLINEを続けていると僕の表情筋がもたない。
榊さんにお礼のLINEを送り、そのままスマホをズボンのポケットにしまった。
それから僕は、ニヤついてしまわないよう、少しだけ眉間にしわを刻んで渋い顔をしながら窓の外の景色を見ていた。これで、挙動不審な男から、世を憂う若者に擬態ができたはずだ。
よかったよかった。
ふと窓に反射した僕の顔は、眉間にしわを刻みながら口元だけが笑っている、完全な異常者であった。
〇
新宿駅で飛野さんと合流し、その足で目的地へと向かった。
「東京の駅とか乗り換え、僕、未だに慣れないよ」
「梅田よりはまだわかりやすいかなぁ」
「それはそうかも」
こんな場所で飛び出すまさかの関西あるあるに、僕は思わず笑ってしまった。
二人で劇場に入る。僕たちの席は比較的後ろの方であった。
広い劇場であったが、現時点で席はほとんど埋まっている。
「飛野さんは、ここ以外にもよくお笑いライブいくの?」
「いくねぇ。もっとアングラな地下ライブも好き。まだあんまりテレビとかに出てない面白い人に出会うとさ、凄いわくわくするんだよね」
そう語る飛野さんの双眸は、今までで一番の光量を秘めていた。
やはり、彼女はかなりのお笑い通のようだ。
「有馬くんも興味あったら、そういうニッチなライブも一緒にいってみようね」
「うん。考えておくよ」
「あ、それ。こないやつだ」
「いや、そういうのじゃなく……」
「あはは。ごめん。いじわるだったね」
そんな会話を交わしているうちに、いつの間にか開演時間となっていた。
〇
初めにネタを披露したのは、超大御所の漫才コンビ。
ツカミから、その日話題になった時事ネタを絡めて手堅く笑いをかっさらっていた。そして、内容もアドリブ満載。しかし着地点はしっかりしており、ベテランの余裕を垣間見ることができた。
それからも、テレビで誰もが一度は見たことがあるような芸人さんが次々と現れた。
どのネタでも、隣から飛野さんの笑い声が聞こえてきて僕も同じ箇所で釣られて笑ってしまった。
そんな中、飛野さんが一番笑っていたのが『きみは桜の季節』というピン芸人。
彼は、フリップに書かれた手書きの謎のモンスターに哲学的な名前と設定を付け、そしてそれを叫びながら破り捨てるというシュール極まりないネタを披露していた。
僕はそのネタの面白さがよくわからなかったのだが、飛野さんはずっと爆笑しており、そのツボの尖り具合がじわじわときた。
そして、僕が一番楽しみにしていた『嘘の非常口』の出番がやってきた。
『嘘の非常口』は男性三人のコントトリオ。
今回は、おっさんにしか見えない小学生と、小学生にしか見えないおっさんが出会い、そんな二人がコンビニ強盗に巻き込まれるという、わかりやすい設定のコントであった。
強盗犯の、「子供はさっさと帰れ」という温情に、おっさんにしか見えない小学生が帰ろうとして咎められるシーンでは思わず吹き出してしまった。
僕が見たことのないネタだったというのもあったのだろうが、ネタ中、僕の口角は上がりっぱなしであった。
〇
演目は、一時間ほどで終わった。
時間的にはテレビ番組一本分だが、テレビとはまた違った充足感が僕を満たしていた。
次々と席を立つお客さんたちを尻目に、僕たちはしばらく席に座ったままであった。
二人の間に漂う嫌ではない沈黙を先に破ったのは、僕だ。
「誘ってくれてありがとう、飛野さん。きてよかったよ」
その言葉を、満面の笑みで受け取る飛野さん。
「そっかー! よかったよかった。有馬くん、めっちゃ笑ってたねぇ」
「飛野さんもね」
「他のライブもいってみたくなった?」
「これは、なるね」
「よし! 布教成功!」
大げさにガッツポーズを取る飛野さんに、僕は微笑ましい気持ちとなる。
〇
劇場をあとにしながら、飛野さんがスマホを確認している。
「十九時かぁ。いい時間だけど、もう帰っちゃう? それか、どこかでご飯でも食べる?」
魅力的な提案だが、家に帰ると榊さんの手料理が待っている。
「せっかくだけど、今日はもう帰ろうかな?」
「わかった。じゃあ、最寄り駅まで一緒に帰ろっか」
訊くと、飛野さんも僕と同様、大学の近くで下宿をしているようなのだ。
僕たちは、錦糸町駅まで電車で移動した。
その間、僕たちはずっと今日の公演について語っていたのだった。
駅に着き、二人して改札を出る。
途中までは道が一緒のようなので、一緒に歩いて帰ることにした。まあ、同じ大学に通っているのなら、住んでいるアパートが近くにあっても不思議ではない。
この時間に二人で歩く住宅街は、いつもよりもなんだか少し落ち着いていた。
その日の夜は雲一つなく、余すことなく星々を視界に入れることができた。
暇な神様が、夜に穴を開けて遊んでいるかのような、大量の星雲であった。
東京とは思えないほどに、静謐な夜。
こんな星空の下を、榊さんとともに歩めたらな。
……なんて。今は飛野さんといるのに他の人のことを考えるだなんて、飛野さんに失礼だろう。反省だ。
「有馬くんってさ」
「うん」
急に飛び出た飛野さんの声に、僕は思わず耳をそばだてる。
「──恋人いたりする?」




