煙を吹きかけてほしそうな顔してたから
店を出る頃にはすっかり日は落ちていた。
今日の夜は、少しだけ肌寒い。しかし、先ほど食べたラーメンにより身も心も温まっていたため、あまり気にならなかった。
「ありがとな、公太郎。ごちそうさん」
隣に立つ榊さんの声が、夜風で運ばれてくる。
「いえ、ただの臨時収入ですし」
僕は、半月の浮かぶ空を見るともなしに見上げていた。
同じラーメンを食べて、同じ夜の中、同じ家に帰る。
なんだかこれって、本当にカップルみたいではないか?
「……」
でも、僕の心はなぜか晴れ渡らない。
今日は木曜日。榊さんと出会ったのは、確か月曜だった。
つまり、約束の日までもうあまり時間がない。
榊さんは、僕との同棲を続けたいと言ってくれた。
でも僕としては、同棲期間を延長するのならお互いの気持ちを確かめ合ってからがいいという思いが少しだけある。
お互いが好き同士かもわからないのに、ずるずると同棲をするって、なんだか少し不健全ではないだろうか。
それとも、僕が細かいことを気にしすぎなだけだろうか。
最悪、榊さんが僕のことをどう思ってくれていてもいい。別に好きじゃなくても、傍にいたいと思うことはあるだろう。生来、恋愛感情を持つことができない人だっているのだから。
でも、僕の気持ちは榊さんに伝えておきたい。できれば、この一週間が終わってしまう前に。……なんて思うのは、エゴだろうか?
急に気持ちを伝えて、今までの関係が壊れるなんてのはよくある話だ。
伝えた瞬間、同棲が終わってしまう可能性もなくはない。
やはり、この気持ちはしまっておくべきなのか?
ああ、僕はどうすれば……。
なんてことを呆けた顔で考えていると、いつの間にか目の前に榊さんの顔面が存在していた。
「うおっ!?」
叫びながら、僕はバックステップで榊さんから距離を取った。
「あ、すまん。白目向いてなんか考えてたから、おもろくて観察してた」
僕、白目向いてたの?
「お前、たまに意識飛んでるときあるよな? なんか考え事か?」
「……はい」
あなたについて考えていました。
そう言わなくても、榊さんにはバレていそうだが。
もしかしなくても、僕の気持ちは既に榊さんにバレていそうではある。
そうなると、伝えてもなんの意味もないよな?
いや、例えバレていたとしても。直接好きを言葉にすることはとても重要な意味を持つ気がする。
「おい。またトンでんぞ」
「あ、すみません」
「どうせ、あたしのこと考えてたんだろ」
別にもう、隠す必要もないのかな。
「まあ、はい」
榊さんの体が硬直し、瞼だけが何度か瞬きを繰り返す。
「なんか、最近素直だよな。お前、女見る目ないぞ」
人を煽るような榊さんの笑顔は、夜だと更に破壊力が増す。
「それは、そうかもしれません」
「公太郎の毒舌、嫌いじゃないぜ」
「そりゃどうも」
〇
家に着いた。
帰るなり、榊さんは換気扇の下で煙草を吸っていた。
僕は、にんにくを摂取したということもあり早速歯磨きを行った。
キッチンに背を預けて煙草を吸う榊さんの隣に立つ。僕もキッチンに体重を預け、洗面台の方を見て歯を磨く。
歯を磨く音と、煙を吐く音が混ざり、夜に消えていく。
黒目だけを動かして榊さんを見ると、彼女も流し目でこちらを眺めていた。
そして脈絡なく、煙草の煙を僕に吹きかけてきた。
「っ!? ご、ごほっ!?」
思わず咳き込み、僕は慌てて洗面所に駆けこんだ。そして、口の中に纏わりついた歯磨き粉を吐き出す。
び、びっくりした……! 急になに!?
洗面台に手を置き、顔を上げる。
「……うわ」
鏡の中の僕は、ちょっと自分でも引くくらいに赤面していた。
煙を吹きかけられて興奮しているとか、もう終わりだよ。
歯ブラシを洗面所に置いて、うがいをしてから再びキッチンに戻る。
「あ、あの。な、なんスか。急に」
平静を装ってはいるが、体の火照りは治まっていない。
榊さんは、煙草をくわえたままきょとんとした顔を僕に向けている。
「あ、スマン。なんか、煙を吹きかけてほしそうな顔してたから」
してねぇよ!
……して、ないよな?
「にしてもお前」
榊さんは、煙を吸いながら僕を足先から頭まで仔細に観察する。
「こんなんで興奮するとか、ホントにド変態だな?」
蔑むような榊さんの目を見ると、僕の鼓動のギアがもう一段階上がってしまう。もう、変態でいいです。
榊さんの双眸が弓なりに曲がる。
「もっかいかけてほしいか?」
「……あ、えっと」
「欲しいんだろ?」
「……」
物欲しそうに、僕は榊さんに視線を送ってしまった。本当に、本当に情けない男だ。
そんな僕を見て、榊さんは瞳の奥にゾクゾクとした光を宿す。
「お前……。そんな顔すんなよ。あたしの癖まで曲がるだろ」
なにかを我慢するかのように、榊さんは煙草を持っていない左手の指を右腕に強く食いこませていた。
榊さんは、顔を上に向け換気扇に向かって煙を吐く。
「今回はお預けだ。残念だったな」
「べ、別に残念じゃないです」
「強がってんのバレバレだぞ」
「……っ」
恥ずかしくて、その恥ずかしさが嬉しくて。嬉しいのが恥ずかしくて。
僕は、榊さんに背を向けてベッドに飛び込んだ。そして、枕に顔をうずめる。
死ぬ。死んじゃいそうだ。
恥ずかしい。恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!
だ、駄目だ。榊さんといるとおかしくなってしまう。
僕も知らなかった僕の一面が、彼女によって無限に引き出されてしまう。
でも、それがなんだか嬉しくもあったのだ。
倒錯しているだろうか? 倒錯していてもいい。
榊さんに、僕の人生をめちゃくちゃにされてもいい。むしろ、してほしい。
それでも僕は、榊さんとずっと一緒にいたい。
そんなことを考えながら、体の火照りが治まるのをひたすらに待った。
〇
寝る支度を済ませて、僕らはそれぞれの寝床に潜りこんだ。
榊さんは、床に敷いた敷布団の上に横になり、ぼぅっとスマホを眺めている。どうせTwitterだろう。
僕は、ベッドで横になりながら、明日飛野さんとお笑いライブを見にいく約束をしたことを思い出した。
「榊さん。実は僕、最近友達ができまして」
「お!? 本当か? よかったじゃんか」
おおげさに驚く榊さん。彼女はスマホを投げ出してこちらに体を向けた。
「はい。で、その子と明日遊びにいくので、少し帰るのが遅くなるかもしれません」
「いーじゃん。青春だなぁ。あたしのことは気にせず楽しんでこいよ」
「はい」
不意に、榊さんの頬が歪む。僕を弄るときの顔だ。
「まさか、女の子か?」
「はい」
僕が頷くと、榊さんの表情が固まった。
しばらくの沈黙の後。
「……。ほーん。好きなのか?」
「いや、そういうのではないですが」
「そか」
もぞもぞと体を動かし、榊さんは僕に背を向けた。
? なんだ? 今の質問。
僕をからかっただけか?
それとも……。
「公太郎。あたしにはホント、気ぃ遣わなくていいからな」
「? はい」
その言葉の真意は、僕にはわからなかった。




