まいどー
僕が所属する学部は、文学部。
だけど、僕は特に文学に詳しいというわけでもなく、よく本を読むというわけでもない。文系というだけで安直に選択したのであった。
なんとなく教師の道に進むのかなと思っているが、なんとなくという心持ちでは途中で諦めてしまいそうだ。中途半端な気持ちでなれるほど、その道が甘くないことは知っている。
そんなことを、現代文学の講義を受けながら考えていた。
周りの学生たちは、しっかりと自分の道を考えているのだろうか。それとも、僕のように考え中の人がほとんどなのであろうか。
そういえば、榊さんはなにか夢とかあるのだろうか。そういうのとは無縁のようにも思えるが、果たして。
今度、機会があれば訊いてみようかな。
なんて、とりとめのないことを考えていたらいつのまにか講義は終わっていた。
勿論僕は一人で講義を受けていたから、一人でそそくさと教室を出ようとする。
すると。
「有馬くんもこれ取ってたんだ」
出口へと続く通路で、僕に声をかけてくれる人物がいた。
「飛野さん」
同じゼミの飛野さんだ。彼女は今日も髪を三つ編みおさげに結んでいる。お気に入りの髪型なのだろうか。とても似合っている。そして、かわいらしい丸眼鏡も健在だ。
「有馬くん、第二言語なに取ってる? 私、中国語」
「僕も」
「あ、ホント?」
ぱっと、飛野さんの表情が明るくなる。
「じゃあ、三限も一緒なんだね。せっかくだし一緒に受ける? ……あ、既に誰かと一緒に受ける予定とかあったり?」
「いや、ないよ。一緒に受けよっか」
「じゃあ、三限まで暇だし、このままお昼も一緒に食べちゃう?」
その提案に、僕は一瞬答えに窮してしまった。
飛野さんと一緒にご飯を食べるのが嫌というわけではない。むしろ、趣味が合いそうな彼女とは仲良くなりたいとさえ思っている。
しかし、僕の中のなにかがストッパーをかけている。
その正体を探っているうちに、僕の胸に、ある人の顔が浮かんだ。
榊さんだ。
……いや、待て待て、僕。
僕と榊さんは恋人でもなんでもないんだ。そんな僕が榊さんの存在を気にして飛野さんの誘いを断るだなんて、自意識過剰というか考えすぎというか……。
「おーい。有馬くん?」
飛野さんの声で我に返る。
榊さんのことを考え、随分と時間が経ってしまっていたようだ。
「ご、ごめん。いこっか」
「……なにか、気にかかることがあるの?」
鋭いその質問に、僕の体は強張ってしまう。
そんな僕を見て、飛野さんは嫌味なく笑った。
「全然嫌だったら断ってくれていいよ~。私、全然気にしないし」
「いや、そういうのじゃなくって! ……ごめん、お昼いこっか」
「そう? 本当に? 無理はしないでね?」
柔らかい表情で僕を覗き込む飛野さん。
なんか、めちゃくちゃいい人だ……。
〇
二人で食堂に移動する。二限終わりは昼休みとなり、この時間の食堂は学生で賑わっている。
僕は唐揚げ定食、飛野さんは親子丼を注文していた。
なんとか確保した席に腰を下ろし、それぞれの昼食に手を付け始める。
どういった話題を振るべきかと思案していると、飛野さんが先に声をかけてきてくれた。
「有馬くんって、お笑いライブとかって興味ある?」
「えっと、出たいと思ったことはないかな」
飛野さんは数秒間沈黙したあと、やがてなにかを理解した様子で口元をほころばせた。
「あはは。出る方じゃなくて、見る方。ごめん、言い方が悪かったね」
「あ、そっちか。だ、だよね。見るのは興味あるよ」
「なんか面白いね、有馬くん」
「そ、そうかな」
飛野さんは屈託なくずっと微笑んでいて、見ているとこちらの心まで穏やかになっていく。
「興味はあるけど、実際のライブってなんだかハードル高くて、いったことないな。……あ。小さい頃に、家族で『なんばラウンド水月』を見にいったっけ」
「お、いいねぇ」
「生の芸能人を見たのは始めてで、感動したよ」
原初の感動を思い起こす僕を、飛野さんは微笑ましそうな目つきで見つめている。
テレビもいいけど、やっぱり生は生の良さがある。
しかし、一人でお笑いライブにいくって、なんだか僕にはハードルが高い。ミュージシャンのライブとかにもいったことないしな。
「もう一度くらい、いってみたいな。でもちょっとハードル高いかも」
苦笑しながら、僕は唐揚げ定食を食べ進める。
「そっかそっか」
飛野さんは親子丼を食べながら、僕の表情を探るかのように伺ってくる。
「……私さ。いつも一人でお笑いライブ見にいくんだけど、有馬くんも一緒にいってみる?」
「え」
「最初は、趣味の話でもしようかなと思ってお笑いライブに興味あるか訊いただけなんだけどね。有馬くん結構興味ありそうだしさ。最初の一歩が踏み出せないなら手伝うよ。もしハマったのならその後は一人でいくもよし。私といくもよし。他の友達といくもよし。だしね」
「ありがとう。優しいんだね。飛野さん」
「あはは。私は、ライブにも足を運んでくれるお笑いファンを増やしたいだけだよ」
僕たちはその後連絡先を交換し、一緒に第二言語の講義を受けたのだった。
〇
「やっぱ、最初は『ルルネよしまさ』かなぁ」
中国語の講義の後、僕の隣の席に座る飛野さんがそう溢した。
「聞いたことはあるけど、いったことはないな」
「毎日、漫才やコントのライブをなにかしらやってるライブ。テレビに出てる有名な人も多いから楽しめると思うよ」
「いいね」
中国語の教授が帰り支度を終え、教室を出ていく。それに合わせて次々と学生がいなくなるが、僕と飛野さんはその場に残って話をしていた。
飛野さんはスマホを眺めながら。
「ちょうど、今日の十八時くらいからやってるね。この中で気になる芸人さんいる?」
飛野さんが少し僕に寄り、スマホの画面を見せてくれる。
そこには、今日のスケジュールと参加予定の芸人の名前がズラリと並んでいる。僕でも知ってる名前ばかりだ。
しかし、僕が目を引かれたのは明日の公演一覧に乗っている名前だった。
「あ、『嘘の非常口』出るんだ」
「ん? どこどこ? あ、明日の出演か。好きなの?」
「うん」
「いいよね。私も好き。CCKの優勝ネタ、凄かったよね」
ネタを思い出したのか、飛野さんは一人でけらけら笑っている。釣られて僕も笑顔になってしまった。
「有馬くんは、コント職人が好きなんだね」
「うん。そうかも」
「いいよねぇ」
飛野さんは、僕をじっと見つめながら、厳かに口を開く。
「じゃあさ。せっかくだし、明日のライブいってみる?」
お笑いライブ、か。
今日は飛野さんとたくさんお笑いの話をしていたため、ライブにかなりの興味が出始めていた。
それに、僕はまだ東京にきてからどこかの施設にいって遊ぶということを一度もしておらず、少しだけ憧れがあったのだ。
あと、これは少し恥ずかしい理由だが、近くでお笑いに触れ、少しでも面白くなって榊さんに好きになってもらいたいという気持ちもある。
……いや、本当に恥ずかしいな、僕!?
「よし、こういうのは勢いだ。いってみようかな?」
「お、いいねぇ! じゃあ、二人で席取れるか見てみるね。明日は講義何限まで?」
「僕は、三限まで」
「じゃ、明日の十八時から二人で席取ってもいい? 場所は新宿なんだけど」
「うん。大丈夫だと思う」
そうして、飛野さんは二人分のチケットをネットで取ってくれたのだった。
「ありがとう」
僕は、その場で自分のチケット代を現金で飛野さんに渡すことにした。
すると。
「まいどー」
そう言いながら、僕の現金を受け取る飛野さん。
今の、まいどのイントネーション……。
「飛野さんって、もしかして関西出身?」
「うわ、バレちゃった? 実は、そうなんだよね」
彼女は、恥ずかしそうにおさげの先を指で弄っていた。
「私、大阪出身なんだ。東京は当たり前だけど標準語の人ばっかりだから、自然と私も方言封印しちゃってね」
「わかる。ちょっと息苦しいよね」
「ってことは……。やっぱり有馬くんも関西出身?」
「あ、うん。京都出身。田舎の方だけど」
「そっかそっかー。ラウンド水月にいったって言ってたから、そうじゃないかなとは思ってたけど、そっかー!」
飛野さんの目が線になる。そんなに嬉しいのだろうか。
「いやぁ。私、周りに知り合いが一人もいなくてね。初めてできた友達が有馬くんで本当によかったよ。……あ、友達なんてまだ、おこがましいかな?」
言いつつ、彼女は一瞬眉を曇らせる。
「ううん。一緒に遊ぶ約束をしたんだし、もう僕らは友達だよ」
……ちょっと、慣れ慣れしすぎたかな?
そう思っていたのだが、飛野さんはぱっと表情を晴れ渡らせた。表情がコロコロと変わって、かわいらしい人だ。
「実は、僕も学校に友達がいなくて困ってたんだ。飛野さんがよければ、これからも話し相手になってよ」
「うん。私でよかったら、ぜひ。有馬くんといると、関西弁出そうでやばいなー」
「あはは。別に我慢するものでもないでしょ」
今の「やばいな」のイントネーションも「や」にかかっており、一瞬関西の香りを感じたのだが、いじらないでおこう。




