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家の前で酔い潰れてたダウナーやさぐれメイドを助けたらなぜか同棲が始まった  作者: 雨谷夏木
一章 駄メイドと過ごす一週間

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榊さんが好きだから

 ザリガニを釣ってはリリース。ザリガニを釣ってはリリースを繰り返す。

 特に変化のないその一連の流れであったが、無為のように過ぎるその時間が僕には心地よかった。

 それは、隣にいるのが(さかき)さんだからであろう。

 僕一人では虚しいだけだと思うし、隣にいるのがほかの人間であっても、ここまでは楽しくないはずだ。


 しばらく二人とも無言でザリガニを釣っていると、不意に榊さんがこんなことを言い始めた。

「その……公太郎(こうたろう)。最近どうなんだ。大学生活の方は」

「急にお父さんみたいなこと言って、どうしたんです?」

「……。ふっ……」

 初めは耐えていた榊さんだったが、ツボに入ったらしくぷるぷる震えながら笑っていた。


「真面目な話なんだから、突っ込むなよな」

「ボケといてその言い分は無理があるでしょ」

「お前が拾うから小ボケもボケになるんだよ。あ、褒めてるからな、これ」

 水面を見たまま、榊さんが白い歯を見せる。彼女は、横顔もとても美しい。


「んで、どうなん? 大学。友達できたか?」

 これは本当にただの質問なのだろう。僕は真面目に答えることにした。


「なんというか、できかけました」

「初めて聞く言い回しだな」

 小さく笑った後、彼女は僕に続きを促す。


「どういうこった?」

「今日ゼミがあったんですけど、そのときにカラオケに誘われたんですよ。懇親会みたいなものらしいんですけど」

「おお、よかったじゃんか」

 心底嬉しそうに、榊さんは目の奥に光を呼んだ。


「まあ断ったんですけど」

「なんでだよ」

 一瞬にして榊さんの瞳の光が消える。


「いや、カラオケは今日だって聞いたんで。今日は榊さんと楽しいことするって約束したじゃないですか」

 ぴくりと、榊さんの眉が一瞬動いたのを僕は見逃さなかった。


 彼女は少しだけ目を伏せる。榊さんの長い睫毛が、彼女の瞳に影を落とした。


「お前、学校よりあたしを優先したのかよ」

「……。はい」


 榊さんの声は、今までに聞いたことのないくらいにトーンダウンしていた。その声の調子からは、彼女の静かな怒りのような色が窺えた。


「公太郎。お前が所属してんのは、大学だ。()()()じゃねぇ。あたしなんか気にせず、大学で友達作ってきたらいいんだぞ?」

 そこまで言って、彼女はなぜだかバツの悪そうな顔になる。


「……いや、お前と一緒に住みたいって言い始めたあたしが、こんなこと言えた義理はねえか……」

 榊さんは、もどかしそうに首の辺りを掻いた。


 なんだか、榊さんの様子がおかしいように感じる。


 彼女がなにを思っているのか、なにを言いたいのか。僕にはわからない。僕は彼女みたいに、人間の感情の機微に鋭くはないから。


「まー、なにが言いたいのかというとだな。大学生なんだから、もっと自由に楽しんだらいいんだぞ。あたしとこんな、変なことばっかしてないでさ」

 どこか投げやりにも聞こえるその言い方が、少しだけ気になってしまった。


「変なことなんかじゃ……」

 榊さんの言葉を否定しようとして、僕は口をつぐむ。メイドとちくわでザリガニを釣るのは、間違いなく変なことだからだ。

 でも、僕はその変なことを、変なメイドさんと一緒に最高に楽しんでいる。

 それの、なにがいけないのだろうか。


 なんだか、行き場のない怒りのようなものが湧いてきた。

 それを僕は、榊さんにぶつけるのではなく、自分にぶつけるつもりで言葉を編んだ。


「榊さんがなにを言いたいのか、正直僕にはわかりません。でも、今、僕は最高に楽しいです。あなたといるから、こんな変なことも……ザリガニ釣りも最高に楽しくなるんです。だって、僕は──」


 ──榊さんが好きだから。

 その言葉を口にする勇気を、今の僕は有していない。


「ごめんなさい。急に変なこと言って」


 榊さんの前で、初めて感情を(たかぶ)らせてしまった。

 遅れて、羞恥心が全身を走り出す。


「いや、先に変なこと言ったのはあたしだ、すまん」

「あ、いえ。別にそれは」

「あとお前さ。ホントあたしのこと好きな」

「え」


 今のは、からかわれたのだろうか。それとも、本当に僕の気持ちがばバレてしまっているのだろうか。それか、バレた上でからかわれてる?

 榊さんはずっと真面目な顔をしているから、判断がつかない。


「お前が楽しいなら、あたしはそれでいいんだ。公太郎が楽しいと、あたしも楽しいからさ」

 そうして現れた榊さんの微笑は、少しの憂いも含まれていないように思われた。


 榊さんが無言でザリガニを釣り上げながら、顔を(うつむ)ける。

「な、なあ、公太郎」


 横髪で彼女の表情は窺えないが、髪の間から微かに覗く彼女の頬はわずかに茜に色づいていた。


「……一週間経ったあとのこととかって、ちょっとは考えてたりするか?」


 それは、約束の日がきたあとということだろうか。


 一週間後、僕たちの限定的な同棲期間は終わりを迎える。


「いえ、特に考えてないです」

「そ、そか」


 彼女はなにやら言いづらそうに、時折言葉に詰まりながらも言葉を紡ぐ。


「あ、えっと。前も言ったけど、お前といると楽しいしさ。公太郎はどうか知らねぇけど、今ンところ一緒に住んでても不満ねぇし。その、家賃の負担も減るし……。ええっと」

 口をまごつかせながらも、榊さんはやがて顔を上げて僕の方を見据えた。


 そして。


「……一週間一緒に住んで、特に問題なかったらさ。その先も、試しに一緒に住んでみるか……?」


 一瞬、風が止まった。


 世界から音が消えた気がした。


 僕の心も、波のない湖のように凪いでいた。


 真剣だけど、少し恥ずかしそうに口を曲げる榊さんを見て。

 僕は。


「はい」

 真顔で即答したのだった。


「即答かよ」

 榊さんは嘆息しつつも、どこか安心したような微笑みを頬に乗せた。


「いや、もっとなにか葛藤とかあれよ。恥ずかしがったり嬉しがったりしろよ。なにか悩んだりしろよ」

「あ、いや……。まだ脳の処理が追いついてなくて……。というか、逆に断る理由あります?」

「ありまくりだろ」

「なんでだよ」

 お前が言うなよ。

 あ、お前って言っちゃった。まあツッコミだし、脳内だし、いっか。


「いや、だって、お前は大学生なりたてで新生活始めたてだしさ。そんな、今からなににでもなれるようなやつが、早々にあたしなんかと一緒にいる道選ぶなんて──」

「榊さん」

 真剣な声音で僕が言うと、榊さんは驚いたように肩を上げた。


「どうして榊さんが自分の自己評価が低いのか知りませんが、榊さんは僕にとってはとても素敵な人です。僕が、榊さんと一緒にいたいんです。それじゃ、駄目ですか?」

 僕らは、正面から見つめ合った。

 僕の瞳を見た榊さんの表情が、徐々に引き締まっていく。僕の言葉が本気だとわかってくれたのだろうか。


 そして彼女は、その言葉を噛みしめるかのように何度も瞬きをした。

 遅れて恥ずかしさが追いかけてきたのか、彼女は微かに赤面しながらかぶりをふった。


「駄目じゃ、ない……」

「榊さん」

「なんだよ」

「めちゃくちゃかわいいです」

「はぁっ!?」

 ぎょっとして、猫みたいに跳び上がる榊さん。なんだか、彼女の目も猫の目のような形に広がっている。


「そ、そのかわいいっての、禁止!」

「かわいい」

「せめて綺麗とか」

「かわいい」

「マジでこいつは……」

「かわいい」

「も、もう好きにしろや……」


 じゃれ合いながら、僕たちは()が沈むまでザリガニ釣りを続けていたのだった。



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