メイドを拾っただけなのに
木造アパートに帰ると、僕の部屋の玄関の前でメイドがうつ伏せで倒れていた。
そう、メイドである。どっからどう見てもメイド。
白と黒のコントラストが美しい誰もが想像するあのメイド服を着ているのだから、彼女はメイドに違いない。頭にはホワイトブリム──ヘッドドレスも付けられているし。
なんでメイドが倒れているのだろうか。それも、僕の部屋の前で。
よく見ると、彼女の周りには空の一升瓶や空き缶が散乱している。
酔い潰れてしまっただけなのだろうか。
僕の部屋の前で? メイド服で? 昼に?
なんで?
「うぅ、うん……。んっ」
どうやら彼女は生きているようだ。その証拠に、うめき声のようなものが時折聞こえてくる。
110か119に電話する前に、ひとまず声をかけておくべきだろうか。
そう判断し、僕はメイドさんの横にしゃがみこんで声をかけた。
「あの、大丈夫ですか」
数秒の沈黙の後、メイドさんは幽霊も顔負けな青白い顔をこちらに向けた。生気はごっそりと抜け落ちているが、とても端正なお顔だ。
「頭、いった……。飲み過ぎた」
彼女の口から、やけにハスキーな声が漏れた。酒焼けでもしているのだろうか。
彼女は虚ろな瞳を僕に向け、こう言った。
「あー、もしよかったらさ……」
彼女の震える手が僕の顔に近づいてくる。
水だろうか。今手元にはないが、僕の部屋にいけば二リットルのミネラルウォーターがあったはず。
そんなことを考えていると、メイドさんが厳かに口を開いた。
「酒、恵んでくれないか?」
「なんでだよ」
たぶん年上の見知らぬメイドに、僕はタメ口で突っ込んでしまった。
メイドさんは一瞬間の抜けた顔をして、少し嬉しそうに目を細めた。
なにが嬉しいのか、僕にはさっぱりわからない。
○
六畳の狭い僕の部屋に、メイドがいる。
小さな木製のローテーブルを挟んで、僕とメイドが向かい合って座っている。
「ありがとう。助かった」
「あ、いえ」
深々と頭を下げるメイドさん。頭を上げた際に改めて見えた彼女の顔があまりにも綺麗なものだったから、思わず僕は見惚れてしまう。
彫刻のような切れ長の瞳はどこかアンニュイな気品が漂っている。それはまあ、アルコールでダウンしているからだろうと言われればそれまでなのだが。
濡羽色のショートボブの髪も素敵だ。ところどころ、髪がぴょこぴょこと跳ねているのもかわいらしい。
そして、スタイルもかなりいい。座っている状態で僕よりも目の位置が高いから、恐らく彼女の方が身長が高いのではないだろうか。
これはやばいな。見た目とか、厭世的な雰囲気とか、どこか危げな雰囲気とか、凄く僕の好きな感じだ。
外で倒れていた彼女は不審者丸出しだったが、明らかに異常事態だったので僕は彼女を介抱することにしたのだった。
救急車を呼ぼうとしたが、病院は金がかかるからいかないと彼女に断られてしまった。
話を聞くと、どうやら本当に酔いつぶれただけのようだったので、救急車は呼ばないことにした。
で、なぜメイドさんを僕の部屋に招き入れたのか。
どうやら彼女は、このアパートに住む僕のお隣さんらしい。しかし、部屋の鍵をなくしてしまったようなのだ。で、そのあと飲み歩いていたら潰れてしまったと。
とにかく、水を飲ませ続けて休んでもらうこと数十分。彼女の頭は少しだけすっきりしたようで、今こうやってテーブルを挟んで向かい合って座っているのである。
……いや、冷静になると本当になんなんだこの状況。
緊急事態とはいえ、成り行きで女性を部屋に招いてしまった。そんなの、当たり前だが初めての経験だ。
「なあ」
急に声をかけられ、僕の背筋が伸びる。まずい、じろじろと見つめすぎただろうか。
そんなことを思っていると。
「煙草、吸っていいか?」
胸ポケットから煙草とライターを取り出した彼女を見て、僕は絶句した。
酔いつぶれたあとに煙草なんて吸ってもいいのだろうか?
「えっと、僕はいいですけど、このアパート的にいいんですかね」
「大家はいいって言ってた。ベランダか換気扇の下で吸えばいいって。苦情きたらやめろって言われたけど」
「なら、換気扇の下でなら」
「サンクス・サークルケー」
は?
彼女は台所の下までふらふらと歩いていき、勝手に換気扇を付け始めた。自由すぎる。
「あ、携帯灰皿なら持ってっから、大丈夫」
そうしてメイドさんは、僕の部屋で煙草を吸い始めた。なんなんだよ、これ。
しばらくすると、彼女は片手で頭を抱えて呻き出す。
「だ、大丈夫ですか?」
「あー。キタキタ……。ヤニクラが逆に頭痛を相殺してくれるんだわ」
「……」
半分白目を剥きながら言われてもな。
よくわからないが、煙草の不快感みたいなものがアルコールの頭痛を中和しているってことか? そんなわけないだろ。
しかし、僕はそんなメイドさんの姿に見入ってしまっていた。
容姿がいいからか、彼女、やけに煙草が似合う。
紫煙を纏うメイドさんを見ていると、彼女の流し目がこちらに飛んできた。
「今、エモいとか思ってるだろ? メイドが煙草吸うなんていうインスタントエモで喜べるなんて随分コスパいいな」
辛辣すぎるだろ。
「あたし、エモいって言葉あんま好きじゃねんだよな。別にあたしも使うけどよ、ご丁寧に流行が用意してくださりやがった言葉ばっか使ってたら、言語野腐り落ちてきそうで怖くてな」
「は、はぁ……」
確かに、彼女は独特な言葉選びをする。
そんなことを思いながらじっと彼女を見ていると。
「嬉しそうだな? 別にあたしは他人を喜ばすために煙草吸ってねぇけど、こんなんで喜んでくれんならいつでも喫煙シーン見せてやるよ」
「ど、どうも」
いや、どうもじゃない。吸いたいだけだろ、この人。
一本吸い終わり、二本目に手を伸ばそうとしてから、メイドさんはその煙草をしまった。
そして、再び僕の正面に座り込んだ。
「ありがとう。おま……きみのおかげで助かった」
「あ、いえ……。全然」
素直に礼を言われて驚いた。今、お前って言おうとしたことが気になったけど。……いや、別にいいんだけどね?
「おま……きみ、名前は?」
もうお前でいいって。僕もその方が嬉し……いや、なんでもないや。
「えっと。有馬公太郎です。有馬記念の有馬に、公園の公に、普通の太郎」
「ふぅん。公太郎な。よろしく、公太郎」
「あ、えと、はい」
いきなり名前呼びをされて、僕はなんだかむず痒くなる。
「有馬か、いい名字だな。一緒にいたら御利益ありそうだ」
メイドさんの片頬が歪に上がる。もしかしなくてもこの人、ギャンブルも好きらしい。役満だろ。
「公太郎は、学生か?」
「はい。大学一年生です。十八歳っす。今月、ここに越してきたばかりです」
ここに住み始めてまだ一週間も経っていないが、お隣さんにこんな濃い人物が住んでいるとは知らなかった。
「すみません、隣の部屋に挨拶とかもできていなくて」
「いや、全然いいけど。このご時世、挨拶なんてする方が怪しまれるだろ」
いや、そんなことはないだろ。
「えっと……。で、お姉さんは?」
「ん。あたしか? あたしは、榊夜白。二十二歳。榊に、夜に、白で、榊夜白」
いや、わからねぇよ。漢字。
「冗談だ。榊に、夜に、白で、榊夜白」
さっきとあんま変わってないだろ。
たぶん、榊夜白さん……かな。
「こういうとき漫画だとさ、一発で相手に漢字伝わってて凄いよな。あれなんなんだろうな」
「あ、そうスね……」
なんの話?
「よろしくお願いします。榊さん」
「おう。よろしく。ところでさ、公太郎」
いい作り笑顔を浮かべた榊さんは、ポンと僕の肩に手を置いてこう言った。
「さっきも伝えたけど、あたし、自分の部屋の鍵無くしてさ。大家に頼もうにもどっか旅行でもいってるみたいでいなくてな……。んで、外で泊まる金もないからさ」
なんだか、凄く嫌な予感がする。
「だから、しばらくこの部屋に泊まっていいか?」
「……は?」
やさぐれメイドを拾ったら、なぜだか彼女と共同生活が始まりそうな予感。
メ、メイドを拾っただけなのに……。
なにこれ?




