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終章 反転魔法編

第六章:神殺しの道化

母さんの魂は、温かい光の粒子となって、俺の腕の中から消えていった。

後に残されたのは、彼女の最後の微笑みの残像と、「愛してる」という、あまりにも優しく、そしてあまりにも悲しい言葉の響きだけだった。

俺は天を仰ぎ、絶叫した。

声にならない、魂の慟哭だった。

母さん。母さん。母さん……!

生まれて初めて、その名を心から呼んだ時、俺の世界は完全に終わったのだと、そう思った。

悲しみに暮れている暇さえ、神は俺に与えてくれなかった。

「……茶番は、終わりか」

アシレの、感情の欠片も感じられない、絶対零度の声。

憎悪が、腹の底から、マグマのように噴き上がった。

この女が。この神が、母さんを。

俺はゆっくりと立ち上がった。

母さんが遺してくれたもの。それはただの悲しみではなかった。絶望の淵から立ち上がるための、最後の、そして最強の力だった。

俺は、アシレを、真っ直ぐに睨みつけた。

その瞳に宿っていたのは、もはや憎しみではなかった。

ただ、静かな、そして燃えるような、決意。

愛する者たちの想いを、全てこの身に背負い、それでもなお、未来を掴み取ろうとする、一人の男としての、最後の覚悟。

俺は、最後の力を振り絞り、アシレへと向かって駆け出した。

だが、その一歩は、あまりにも重く、そしてあまりにも無力だった。致命傷を負った俺の魂は、もう限界だったのだ。足がもつれ、俺は無様に黒曜石の床に倒れ伏した。

「……無駄だと言ったはずだ」

アシレが、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。その足音の一つ一つが、俺の命の終わりを告げる秒針のようだった。

彼女の指先に、再び、あの漆黒の魔弾が生み出される。

今度こそ、誰も俺を守る者はいない。

レシアとの約束も、仲間たちとの誓いも、ここで全て潰えるのか。

ごめん、レシア。

ごめん、みんな。

俺は、目を閉じた。

その、最後の瞬間に。

俺の魂の奥底で、忘れていた声が響いた。

『――まだ、終わりではないぞ。もう一人の俺、マイダ・ウオよ』

その声は、俺自身の声でありながら、俺のものではない、重く、威厳に満ちた声。

キミシダイ帝国で、俺に未来を託して消えていった、もう一人の俺。

大魔王ダイマ・オウ。

彼の声だった。

『思い出せ。俺がお前に残した、最後の置き土産を。キミシダイの決戦の折、俺は確かにお前と一つの契約を結んだはずだ』

契約。

そうだ。忘れていた。

あの時、俺の魂が肉体へと帰還する、その刹那。彼の魂の残滓が、俺に囁いたのだ。

『俺の魔力の全てを、お前の魂に託す。だが、それは劇薬だ。お前の矮小な器では、到底御しきれん。故に、一度きりの契約とする。お前が真に覚悟を決め、神にさえ牙を剥くと誓った時、その道は開かれん』

一回きりの、切り札。

大魔王の魔力を、完全に我が物とするための、悪魔との契約。

その対価は、おそらく、俺の魂そのもの。

使えば、俺は、人間ウオとして、二度と元には戻れないかもしれない。

だが、迷っている暇はなかった。

俺は、心の奥底で、その名を叫んだ。

力を貸せ、ダイマ・オウ!

俺に、神を殺す力を!

『――契約は、成立した』

その声と共に、俺の魂が、内側から爆発した。

凄まじい魔力の奔流。

それは、俺自身の力などでは到底ありえない、世界の理そのものを捻じ曲げるかのような、絶対的な力の奔流だった。

傷ついた魂が、瞬時に再生していく。失われた力が、それ以上の熱量を持って、体の芯から湧き上がってくる。

俺は、ゆっくりと立ち上がった。

その姿を見て、アシレの、感情のない赤い瞳が、初めて、純粋な驚愕の色に見開かれた。

「……その魔力……。ダイマ・オウか……! 馬鹿な、奴の魂は完全に消滅したはず……!」

「ああ、そうだ」俺は答えた。「だが、その意志は、俺が継いだ」

俺の全身から、金と黒のオーラが、嵐のように噴き上がる。

そして、その二つの力が、奇跡的な融合を遂げ、純粋な白銀の輝きへと昇華されていく。

俺は、天に手を掲げ、詠唱した。

神々の領域へと至るための、俺だけの言葉を。

俺が、一度だけ、捨てたはずの、禁断の力を。

「顕現せよ。我が冠位装填“全模倣フル・コピー”」

世界が、白銀に染まる。

俺の認識が、俺という存在そのものが、作り変えられていく。

見える。

理解できる。

目の前に立つ、絶対的な神。邪神アシレ。

彼女の存在そのものが、膨大な情報となって、俺の魂へと流れ込んでくる。

彼女の魂が至った、原初の『心眼』の理。

人の心を読み、操り、破壊する、あの冒涜的でさえある神の御業。

その全てが、解析され、分解され、俺の力として、再構築されていく。

「――面白い」

アシレの唇が、初めて、笑みの形を作った。だが、その瞳は笑っていない。

「我が力を、模倣するか、人間の子よ。良いだろう。神の力を盗んだ道化が、どれほどのものか、その身をもって、教えてやる」

彼女の姿が掻き消える。

だが、俺には見えていた。

俺の心眼が、彼女の動きの『先』を、完璧に捉えていたからだ。

彼女は、俺の右斜め後方に出現し、光の槍を放つ。

俺は、振り返ることなく、その槍を、左手で掴み取った。

凄まじい衝撃。だが、今の俺には、そよ風に等しい。

俺は、掴んだ光の槍を、そのまま、彼女へと投げ返した。

「なっ!?」

アシレが、驚愕の声を上げる。

彼女は、自らが放った槍を、咄嗟に、別の魔法で相殺した。

その、コンマ数秒の隙。

それだけで、十分だった。

俺は、彼女に、肉薄していた。

そして、模倣した彼女自身の力、原初の心眼を、解放する。

俺の瞳が、彼女と同じ、血のように赤い色に染まった。

だが、俺は、彼女の心を破壊するつもりはなかった。

俺がやるのは、その逆。

彼女の、魂の最も深い場所に、蓋をされた、悲しい記憶を、こじ開けること。

「思い出せ、アシレ」

俺の言葉は、呪いとなって、彼女の魂を縛る。

俺の心眼が、彼女の精神世界に、ダイブしていく。

そして、見た。

彼女が、邪神となる前の、物語を。

――それは、光と、裏切りの記憶だった。

彼女は、元々、邪神などではなかった。

世界が生まれた時に、光と共に誕生した、純粋で、心優しき、原初の女神。

彼女は、まだ未熟だった世界を、そこに生きる、か弱い生命を、誰よりも、愛していた。

だが、彼女のその愛は、彼女の双子の妹である、別の女神の嫉妬を招いた。

妹は、姉であるアシレを陥れ、彼女を、世界を滅ぼす邪神へと、仕立て上げたのだ。

信じていた妹に裏切られ、愛した世界から拒絶され、彼女の心は、憎しみと絶望に染まった。

その、あまりにも悲しい、神の走馬灯。

俺は、その記憶の全てを、彼女の魂に、叩きつけた。

「あああああああああああああああああああああっ!!!!」

アシレの絶叫が、冥界の大図書館に木霊する。

彼女の魂が、忘れていたはずの、耐えきれないほどの悲しみに、内側から破壊されていく。

完璧だったはずの神気が乱れ、その体から、黒い瘴気が噴き出した。

狂乱。

俺の狙い通りだった。

神が、ただの、傷ついた一人の少女へと、還っていく。

俺は、その隙を見逃さなかった。

俺は、再び、心眼の力を解放する。

今度の標的は、アシレではない。

この図書館のどこかに存在する、『反転魔法』のアーカイブ。

そして、その中に囚われている、俺の、たった一つの光。

レシアの魂。

俺の意識が、光の速さで、無数のアーカイブの海を駆け巡る。

あった。

冥王が指し示した、あの禍々しい紫色の光。

俺は、そのアーカイブに、俺の魂を、直接接続する。

そして、模倣した心眼の力で、その内側に、干渉を始めた。

そこは、闇の牢獄だった。

反転魔法という、概念の奔流が、鎖となって、一つの魂を、縛り付けている。

レシア。

彼女は、その中心で、膝を抱え、泣いていた。

俺を、殺してしまったという、偽りの罪悪感に苛まれながら。

「レシア!」

俺は叫んだ。

俺の魂の声が、その闇の牢獄に、響き渡る。

彼女が、ハッとして、顔を上げた。

その、涙に濡れた翠色の瞳が、俺の魂の姿を捉える。

「……ウオ……?」

「迎えに来た。帰ろう、レシア」


 俺は、彼女に、手を差し伸べた。

 彼女は、戸惑っていた。

 信じられない、といった表情で。

「でも……私……貴方を……」

「違う」俺は、きっぱりと否定した。「君は、何もしていない。全部、あいつらの仕業だ。君は、悪くない」

 俺の言葉が、彼女を縛る、呪いの鎖に、亀裂を入れる。

「だから、思い出せ、レシア」

 俺は、彼女に語りかける。

 俺達が出会った、あの日のことを。

 村で、笑い合った、日々のことを。

 そして、港町で、交わした、あの約束を。

「一緒に、花火、見に行くんじゃなかったのかよ」

 その言葉が、最後の一押しだった。

 彼女の瞳に、強い、強い、光が宿る。

「……うん……!」

 彼女は、頷いた。

 そして、俺の、差し伸べた手を、強く、強く、握り返した。

 その瞬間、彼女を縛っていた、反転魔法の鎖が、ガラスのように砕け散った。

 アーカイブが、内側から、光を放ち、崩壊していく。

 俺は、彼女の魂を、固く抱きしめたまま、その光の中へと、飛び込んだ。

 現実世界への、帰還。

 俺達の、奇跡の脱出劇が、今、始まろうとしていた。

 第七章:君が為の鎮魂歌

 光。

 どこまでも続く、温かい光の中を、俺はレシアの魂を抱きしめて、駆け抜けていた。

 背後から、アシレの絶叫が聞こえる。狂乱から覚めた彼女が、俺達を追ってきているのだ。

 だが、もう遅い。

 冥王が、俺達のために、道を開いてくれていた。

 現世へと続く、魂のトンネル。

 その出口が、すぐそこに見えていた。

『――よくやった、小童ども』

 冥王の、満足げな思念が、俺の魂に響く。

『俺の賭けは、勝ちのようじゃな』

 俺は、心の中で、彼に深く感謝した。

 そして、光の中へと、飛び出す。

 ふわり、と。

 魂が、肉体へと、帰還する感覚。

 俺は、ゆっくりと、目を開けた。

 最初に映ったのは、灰色の空ではなかった。

 どこまでも青く澄み渡った、カリム村の空。

 そして、俺の顔を、心配そうに覗き込む、仲間たちの顔だった。

「ウオ!」

「目が覚めたのね!」

 ロザールさん、ナターシャさん、メアリー。

 彼らの魂も、無事に、肉体へと戻っていた。

 俺は、ゆっくりと、身を起こした。

 体の感覚が、ある。

 温かい、血が、巡っている。

 俺は、生きている。

 そして。

 俺の腕の中には、眠るように、目を閉じた、レシアがいた。

 その体には、確かな、温もりがあった。

「……レシア……?」

 俺が、その名を呼ぶと、彼女の瞼が、ぴくり、と震えた。

 そして、ゆっくりと、その、翠色の瞳が、開かれる。

 その瞳が、俺の顔を映した。

「……ウオ……?」

「……ただいま、レシア」

 俺の言葉に、彼女の瞳から、堰を切ったように、涙が溢れ出した。

「……おかえり……! おかえりなさい……!」

 彼女は、俺の胸に、顔を埋め、子供のように、泣きじゃくった。

 俺も、彼女を、強く、強く、抱きしめ返した。

 もう、二度と、離さないと。

 この温もりを、この存在を、決して、失わないと。

 俺達の、奇跡の再会を、仲間たちが、温かい涙と、笑顔で、見守ってくれていた。

 戦いは、終わった。

 邪神アシレは、冥界の王によって、再び、魂の欠片へと砕かれ、封印されたと、後に聞いた。

 骸の連中も、主を失い、冥界の闇の中へと、散り散りになったという。

 そして、フィボナッチ。

 全ての元凶である、あの男は、アシレが敗れたことで、その不死の力を失い、ただの、抜け殻となった。その亡骸は、ロザールさんの手によって、彼の両親の墓の前に、静かに、葬られたそうだ。復讐の連鎖は、そこで、完全に、断ち切られた。

 カリム村に、本当の平和が、戻ってきた。

 ラザールさんの呪縛から解放された村人たちは、俺達を、英雄として、迎えてくれた。

 だが、俺は、もう、英雄ではなかった。

 ただ、愛する者たちと、共に生きる、一人の男として、この村で、生きていくことを決めた。


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