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第七部 キミシダイ決戦編

第九章:君が為の反転世界

戦いの火蓋は、あまりにも静かに、そしてあまりにも一方的に切って落とされた。

俺達の最後の戦いは、もはやそれを戦いと呼んで良いのかすら分からない、ただ純粋な蹂躙の嵐だった。

「――心眼より伝達! フィボナッチの魔力核、右肩後方!」

レシアの声が、俺の魂に直接響き渡る。

それはもはや単なる未来予測ではなかった。彼女の心眼は、この戦場で起こる全ての事象の因果を読み解き、俺達に絶対的な『正解』だけを示し続けていた。

「応っ!」

俺の返事と同時に、父さんが動いた。

冥府の王との契約によって全盛期の力を取り戻した勇者エミール。その聖剣アスカロンが、レシアの示した一点を、寸分の狂いもなく貫く。

「がっ……!?」

空間転移で回避しようとしたフィボナッチの右肩が、聖剣によって深々と抉られた。奴の驚愕の声が響く。

「なぜ儂の動きが読める!?」

「今だロザール!」

俺の叫びに、炎の化身が応える。

「魔法剣――『聖炎爆龍覇』!!」

ロザールさんの剣から放たれた黄金の炎の龍が、体勢を崩したフィボナッチを完全に飲み込んだ。凄まじい轟音と熱波。キミシダイ帝国の建造物が、その余波だけでガラスのように砕け散っていく。

だが、フィボナッチは死なない。

炎の中から、その禍々しい気配が再び立ち昇る。奴がその身に蓄えた、無数の魂を対価として、その命を繋ぎ止めているのだ。

「無駄だ! 儂は不死身! 貴様らごときが神に成り代わろうとする儂を……!」

「――心眼より伝達! 魂の再構成、所要時間3秒! 中心核は心臓部!」

レシアの冷徹な宣告。

その言葉が、フィボナッチの命運を決定づけた。

俺は、父さんとロザールさんが作り出した、ほんの一瞬の隙間を縫って、奴の懐に飛び込んでいた。

勇者の心と、大魔王の力。

その二つを融合させた俺の魔剣が、再構成されつつある奴の心臓を、正確に、そして無慈悲に、貫いた。

「ぐ……あああああああああああっ!!!!」

フィボナッチの絶叫。

その体は塵となり、霧散していく。

だが、すぐに、空間の歪みから、奴は再び姿を現した。消耗はしている。その霧のような体が、以前よりも薄くなっているのが分かる。だが、まだ死んではいない。

フィボナッチの体内に蓄積していた魂の貯蔵庫にある魂が尽きるのも、もはや時間の問題だった。キミシダイ帝国の権能が弱まっていくのが、瓦解していく建造物と、その度に薄くなっていく奴の存在感で、誰の目にも明らかだった。

俺達は、神を殺し続けていた。

「貴様……! 貴様らごとき虫けらが……!」

フィボナッチの顔が、怒りと屈辱に歪む。

だが、その声は、もう、俺達の心には届かない。

俺達は、一つの完璧な生命体と化していた。

レシアの心眼が未来を示し、父さんとロザールさんが道を切り拓き、そして俺が、その心臓を貫く。

その完璧な連携の前では、神を名乗る道化師ですら、ただの的でしかなかった。

あと、何度殺せば終わる?

十回か、百回か。

分からない。

だが、俺達は止まらない。

みんなの未来のために。

フィボナッチは叫ぶ。

もはや、それは王の威厳も、神の傲慢さも失った、ただの獣の断末魔だった。

「貴様なんぞに俺は負けない!!! 顕現せよ!!!!」

奴の体から、最後の魔力が、黒い光となって噴き上がった。

それは、奴が持つ全ての魂を賭けた、最後の一撃。

空間そのものを捻じ曲げ、この一帯を因果の理から抹消する、絶対的な虚無の魔法。

そして、次の刹那。

レシアは叫ぶ。

その声は、俺が今まで一度も聞いたことのない、絶望と、そして、絶対的な覚悟に満ちた、魂の絶叫だった。

「ウオ!!!! 逃げて!!!!」

伸びていくレシアの手。

俺を、この絶望から、一人だけでも逃がそうとする、その必死な想い。

終わりを告げるフィボナッチの闇の詠唱。

世界が、白く染まっていく。

それでも、レシアの手は遠い。

それで良い。

俺は、そう思った。

俺はどうせ消える。

この戦いが終われば、俺という名の夢は、この世界から消え失せるのだから。

だから、君は……どうか、生きて。

俺のいない未来を、仲間たちと共に。

愛してる、レシア。

「……せよ!」

……?

声が聞こえる。

光と轟音の中で、レシアが何か叫んでいる。

聞き取れない。

だが、彼女の心が、その魂の全てが、俺に流れ込んでくる。

それは、祈り。

それは、誓い。

そして、それは、あまりにも、残酷な、愛の形。

「事実を婉曲せよ…!! 我が心眼よ!!!!」

その次の刹那。

レシアが、この世界から消えた。

俺の目の前で。

光に飲み込まれたのでも、何かに殺されたのでもない。

ただ、すぅっと、その存在が、空気の中に溶けるように、いなくなった。

俺の目の前には、彼女が伸ばしたはずの腕の残像だけが、キラキラと光の粒子となって舞っている。



「……なんで」

どこにもいなくなった。

まるで、彼女なんて、最初からどこにもいなかったように。

フィボナッチの最後の一撃も、主を失ったかのように霧散していく。

後に残されたのは、静寂と、そして、俺の心に空いた、宇宙よりも巨大な、空洞だけだった。

「ウオ。……俺は、この魔法を知っている。お前とは全く別の反転魔法だ。レシアが作り出した奴らのデータにない……全く新しい反転魔法だ」

背後から、父さんの声がした。

その声は、震えていた。

彼は、そう言って、自分の頭を抱えた。その英雄の背中が、ひどく小さく見えた。

「どういうことだよ…!? 父さん!!!」

俺は叫んだ。

理解したくなかった。

聞きたくなかった。

だが、父さんの言った言葉は、信じられない言葉ばかりだった。

「レシアは…!! あいつは!! お前とレシアの立場を反転させたんだ!!! 元々、レシアは神アシレの反転者だ!! アシレは、ラザールが反転魔法という夢のような概念……つまり、お前を創り出す手助けをしたから、彼女の反転者であるレシアは分かったんだろう!!! この反転魔法の本質は事実の婉曲だから!! それを世界だけでなく…!! 個人の立場の反転に応用できるってな!! そうすれば、お前はその事実の婉曲によって!! 反転魔法という名で造られた!! 夢でも概念でもない!! 普通の人間になれるんだ!!!」

反転。

俺とレシアの立場を。

つまり、消えるはずだったのは、俺。

生き残るはずだったのは、レシア。

その運命を。

彼女は、たった一人で、捻じ曲げたというのか。

俺を、生かすために。

「なんだよ。レシア…!! 幸せに生きてくれるって言って…!! 頷いたのは、あれは嘘だったのかよ…!! どこまで優しいんだよ…!!!! お前は!!! レシアぁ!!!」

嗚咽が、止まらない。

涙で、前が見えない。

俺の光。

俺の世界。

俺の、全てだった君が。

俺の、身代わりになった。

これ以上の地獄があるものか。

そう嗚咽する俺の肩を、エミール父さんは、強く叩く。

その手もまた、震えていた。

「それでも、生きていくしかないんだ…!! お前は…!!! この戦いが終わって俺やレシアがいなくなっても!!! 生きていくしかないんだ!!!」

お父さんは、涙ながらに続ける。

その瞳は、父親としての、最後の願いを、俺に託していた。

「それに…!!! お前にはリリア達みんながいる!!! だから…!! 胸を張って生きなきゃならねえ!!! いや!! 生きてくれ!!! 愛してるからな!!! 俺のたった一人のウオ!!!」


第七部 キミシダイ決戦編

第十章:父が為の反転世界

レシアがいない。

その絶対的な事実だけが、俺の世界の全てだった。

彼女がいたはずの空間には、キラキラと輝く光の粒子が、まるで彼女の涙の跡のように、儚く舞っている。

温もりも、匂いも、声も、全てが消えた。

俺の魂の半分が、抉り取られてしまったかのようだった。

父さんの、涙ながらの絶叫が、俺を現実に引き戻す。

『生きていくしかないんだ!!!』

そうだ。

生きなければ。

レシアが、その命と存在そのものを賭けて、俺に遺してくれた、この未来を。

だが、その未来は、あまりにも残酷な形で、俺達に牙を剥いた。

先程の黒魔術で、全ての魔力を使い切ったフィボナッチ。

神を名乗った道化師がその力を失った瞬間、彼が作り上げた狂気の世界もまた、その存在を維持できなくなった。

彼の帝国は、レシアの死を俺達がもっと深く悲しむ猶予すら与えずに、瓦解を始めた。

ゴゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!!!

地鳴り。

いや、違う。

世界そのものが、断末魔の悲鳴を上げている音だ。

俺達が立っている大地に巨大な亀裂が走り、そこから光ではなく、存在しないはずの『無』が溢れ出してくる。空はガラスのように砕け散り、その破片がスローモーションで地上へと降り注ぐ。建造物は、もはやその形を保てず、粘土のように歪み、捻じれ、やがて意味のない情報の奔流となって混沌の中へと溶けていった。

ここは、もはやただの都市国家の崩壊ではない。

一つの世界、一つの理が、その法則を失い、死滅していく過程そのものだった。

「走れ!」

父さんの鋭い声が響く。

俺達は、なんとか瓦解していく狂気の世界から逃げようと、ただひたすらに走った。

ロザールさんがナターシャさんを、俺がメアリーを。そして父さんが、まだ深手を負っている母さんの肩を支え、崩れ落ちる足場を駆け抜ける。

背後から、全てを飲み込む虚無が、津波のように迫ってくる。

瓦礫が、いや、世界の残骸が、雨のように降り注ぐ。

その一つ一つが、俺達の体を掠め、傷つけていく。

だが、痛みなど感じなかった。

心の痛みがあまりにも大きすぎて、肉体の感覚など、とうに麻痺してしまっていた。

しかし、間に合わない。

絶望的な事実。

俺達の走る速度よりも、世界が崩壊する速度の方が、遥かに速かった。

もう、逃げ道はない。

行き止まりだ。

俺達は、ここで、レシアの後を追うように、この虚無の中に飲み込まれて消えるのだ。

それも、いいかもしれない。

そう、心が折れかけた、その時だった。

父さんが、叫ぶ。

それは、この世界の崩壊音にも負けない、英雄の、最後の咆哮だった。

「聞け!!! 冥界の王!!! 俺の短い命を全て消費する代わりに、他のみんなをキミシダイ帝国の外に飛ばしてくれ!!!!」

その声は、ただの願いではなかった。

魂と魂で結ばれた、絶対的な契約の宣言。

父さんの体から、金色のオーラと共に、黒い冥府の気が立ち上るのが見えた。

彼が、俺を助けるために、一度死んだ時に結んだ、あの王との契約。

その最後の切り札を、彼は、今、俺達のために使おうとしていた。

俺は父さんの方を、思わず振り向く。

「父さん……」

やめてくれ。

そんなこと、しないでくれ。

レシアを失って、あんたまでいなくなってしまったら、俺は……!

俺の魂が、そう叫んでいた。

だが、声にはならなかった。

しかし、父さんの目線は、未来を向いていた。

彼は、崩れ落ちる世界も、迫りくる虚無も、そして、泣き叫ぶ俺の心さえも見ていなかった。

彼の蒼い瞳は、ただ、この絶望の先にあるはずの、俺達が生きるべき未来だけを、真っ直ぐに見据えていた。

「ウオ。前を向け。胸を張って生きろ。父さんとの約束だ」

その言葉は、呪いだった。

そして、祝福だった。

俺が、これから、一生をかけて守り抜かなければならない、父との、最後の誓い。

父さんは、彼に支えられているリリア母さんの方も見た。

その瞳には、憎しみも、憐れみもなかった。

ただ、同じように、子供を愛する、一人の親としての、深い、深い、共感と、信頼だけが宿っていた。

「リリア。ウオのこと、頼んだぞ」

「うん。その役……受け取ったわ」

この時、意識を取り戻していたリリア母さんは、手負いながらもしっかりと頷き、そう言った。

彼女の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。

それは、彼女が人間としての心を取り戻した、最初の、そして、最後の涙だったのかもしれない。

そして、その次の瞬間。

俺達の体を、抗いようのない、絶対的な力が包み込んだ。

エミール父さんと契約していた冥界の王の転移魔法によって、俺達は、キミシダイ帝国から脱出することに成功した。



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