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第七部 キミシダイ決戦編
第四章:模倣される神威
世界が白銀に染まる。
俺の体から迸る光は、父さんから受け継いだ勇者の黄金でもなければ、俺自身の内に眠っていた大魔王の漆黒でもなかった。
その二つの相反する力が、レシアの愛を、仲間たちの想いを触媒として、俺という名の器の中で奇跡的な融合を遂げた結果生まれた、純粋な魂の色。それは、始まりの色であり、終わりの色でもあった。
「顕現せよ。我が冠位装填”全模倣”」
俺の唇から紡がれた言葉は、神々の領域へと至るための俺だけの鍵。この世界の理に、俺という存在を新たに刻み込むための宣告。
その言葉がこの死の世界に響き渡った瞬間、俺の認識が、俺という存在そのものが作り変えられていく。
見える。
いや、理解できる。
目の前に立つ二つの絶望。魂を抜かれた師の亡骸、ラザールさん。そして、心を縛られた仲間の亡霊、ライア。
彼らの存在そのものが、膨大な情報となって俺の魂へと流れ込んでくるのだ。
ラザールさんの杖に込められた魔力の質、その流れ、術式の構成。彼の魂がかつて至ったであろう狂気の深淵、その完璧な幾何学模様の心。空間を歪め、時間を捻じ曲げ、世界の理そのものに干渉する、あの冒涜的でさえある神の御業。その全てが、解析され、分解され、俺の力として再構築されていく。
ライアの剣筋、その一振り一振りに込められた速度と質量。彼女が生前、血の滲むような努力の果てに辿り着いたであろう剣技の極致。風のように舞い、嵐のように猛る、あの無慈悲なまでの剣の舞。
その全てが、俺の力として、この手に宿る。
これが”全模倣”。
俺が敵だと認識した者の能力、技術、経験、その全てを模倣し、自らのものとして顕現させる力。
ただし、制約がある。この力は、目の前にいる敵の前でしか使うことができない。そして、俺自身が明確な敵意を向けた相手でなければ、その力は模倣の対象とならない。
故に、俺はラザールさんの全てをコピーできた。彼の代名詞であった空間転移も、父さんを苦しめたあの呪いの瞳「背理ノ章」さえも。俺の魂が、彼の狂気を理解し、その力を我が物として定義したからだ。
だが、ライアの力はコピーできなかった。
彼女の剣技も、彼女が嘆きの丘で見せたあの翼も、俺の力にはならなかった。
その事実に、俺は気づいてしまった。
俺の魂が、心の最も深い場所が、彼女を「敵」だと認めることを、頑なに拒絶しているのだ。
たとえフィボ-ナッチに操られた亡霊であろうと、その瞳から光が失われていようと、俺にとって彼女は、今もかけがえのない仲間なのだと。魂が、そう叫んでいた。
(……それでいい)
俺は心の中で呟いた。
この力は借り物だ。俺自身の強さじゃない。大魔王という得体の知れない存在から、無理やり引きずり出した禁断の果実。
ならばせめて、この力の使い方だけは、俺自身の意志で決める。
仲間を傷つけるためじゃない。仲間を、この悪夢から解放するために。
同時に、俺の魂の奥底で、一つの強烈な違和感が疼いていた。
それは全能感に酔いしれる俺の精神に、冷水を浴びせるような、不吉な囁き。
(この能力は、大魔王から盗み取ったはずだ。俺の意志で、奴の力を喰らい、俺自身の力へと変えたはずだ。でも、”何故か”、大魔王から与えられた気がする。まるで、この矮小な俺の魂では到底御しきれない強大すぎる力を、奴が憐れんで貸し与えてくれたかのように。大魔王の所有していたこの肉体を譲る代わりに。この俺マイダ・ウオが、まるでただの大魔王の駒であるかのように)
思考が黒い沼に沈みそうになる。
だが、今は考えるな。
目の前の現実に集中しろ。
俺は構えた。
自らの魂から生み出した漆黒の魔剣。その切っ先を、二つの悲しい影へと向ける。
「レシア、母さんのそばに。絶対に離れるな」
俺は背後の二人に短く告げる。
レシアはこくりと頷き、深手を負って意識が朦朧としている母さんの体を支えた。彼女の心眼が、俺の背中を守るように、戦場全体を鋭く見据えている。
行くぞ。
俺は地面を蹴った。
最初の標的は、ラザールさん。
この悲劇の連鎖を断ち切るには、まずこの狂神の操り人形を無力化するしかない。
「――空間転移」
俺の体が光の粒子となって掻き消える。
次の瞬間には、俺はラザールさんの背後に回り込んでいた。初めて使う能力のはずなのに、体は何千回も繰り返したかのように自然に動く。大魔王としての戦闘経験が、俺の魂に刻み込まれているかのようだ。
「なにぃ!?」
背後から聞こえるはずのない俺の声に、魂のないラザールさんの動きが僅かに、ほんの僅かに硬直した。人形であろうと、その体に染み付いた戦闘経験が、ありえない事態に驚愕しているのだ。
そのコンマ数秒の隙。
それだけで十分だった。
俺は模倣したラザールさんの杖ではなく、俺自身の魔剣を振るう。
狙うは、彼の両足を断ち切る一閃。
だが、その刃が届く寸前、俺の目の前に漆黒の剣が割り込んできた。
ライアだ。
彼女は俺の空間転移を予測し、ラザールさんを守るように回り込んでいたのだ。
キィィィィン!!!!
鼓膜を突き破るかのような甲高い金属音。
凄まじい衝撃が俺の腕を痺れさせる。
なんて速さだ。魂がなくても、彼女の剣技は健在。いや、感情という枷が外れたことで、その動きはさらに洗練され、機械のように完璧なものと化している。
「ちっ……!」
俺は一度距離を取る。
ライアとラザールさん。二人の亡霊は完璧な連携で俺を挟み撃ちにする陣形を取っていた。
無言。
無表情。
ただ、俺を殺すという目的のためだけに動く二つの影。
そのあまりにも悲しい光景に、俺の胸は張り裂けそうだった。
ライア。
お前とこんな風に剣を交えたかったわけじゃない。
ラザールさん。
アンタには、もっと教わりたいことがたくさんあった。
そんな感傷を振り払うように、二人が同時に動いた。
ライアの剣が疾風となって俺に襲いかかる。その連撃の一つ一つが、俺の急所を的確に狙っていた。
俺はその全てを捌きながら、後方から放たれるラザールさんの魔法を警戒する。
レシアの心眼が、彼の魔力の流れを読み、俺に伝えてくれる。
『ウオ! 右から闇の刃! 左上からは岩の槍が来る!』
俺はライアの剣をいなしながら、半身になって闇の刃をかわし、屈んで岩の槍をやり過ごす。
紙一重。
一瞬でも判断を誤れば、即死。
息もつけないほどの攻防。
だが、俺は徐々にこの異質な戦いに順応し始めていた。
俺の脳が、魂が、大魔王としての戦闘経験を『思い出して』いく。
何百年、いや、何千年も、数多の戦場を駆け巡った記憶。
その記憶が、俺に囁くのだ。
敵の動きの『先』を読めと。
ただの予測ではない。
因果そのものを読み解き、確定した未来を見据えろと。
俺の金と黒のオーラが、さらに輝きを増した。
俺はライアの剣の嵐の中心で、あえて一歩踏み込んだ。
「なっ!?」
ライアの赤い瞳が、初めて感情らしきもの――純粋な驚愕を映し出した。
彼女の完璧な剣技。その流れの中に存在する、唯一の『淀み』。
剣を振り抜いた後、次の動作に移る、コンマ数秒にも満たない僅かな時間。
俺はその一点を突いた。
俺の魔剣が、彼女の漆黒の剣を弾き飛ばす。
がら空きになった彼女の胴体。
そこに俺は、剣ではなく、掌を叩き込んだ。
衝撃はない。
ただ、俺の魂の力が、彼女の魂の牢獄へと直接流れ込んでいく。
「起きろライア!!!!」
俺の魂の叫び。
彼女の体が大きく痙攣した。
その赤い瞳の奥で、俺が知っている、あの優しい光が、一瞬だけ灯った気がした。
だが、すぐにフィボナッチの呪いがその光を飲み込んでしまう。
「ぐ……う……」
ライアは苦悶の声を漏らし、後方へ大きく飛び退いた。
あと一押し。
そう思った俺の背後を、ラザールさんの絶対的な殺気が襲う。
振り返る余裕はない。
俺は咄嗟に、模倣したもう一つの力を使った。
「――背理ノ章」
俺の瞳が、ラザールさんと同じ、幾何学模様の狂気を宿した呪いの瞳へと変わる。
だが、俺は呪いを発動させない。
ただ、その理を逆用し、ラザールさんの呪いを『相殺』する。
俺の背後で、空間が歪む音がした。
ラザールさんの放った混沌の力が、俺の呪いの瞳によって中和され、霧散していく。
「……面白い」
ラザールさんの人形から、初めてラザールさん自身のものとは思えない、フィボ-ナッチの感心したような声が響いた。「儂の力をここまで使いこなすとはな。だが、それもここまでじゃ」
ラザールさんの人形が、杖を天に掲げた。
その先端に、世界の全てを飲み込むかのような、闇の球体が生成されていく。
父さんを一度は殺した、あの技。
あれを喰らえば、俺もただでは済まない。
だが、俺はもう逃げない。
俺は、再びライアへと向き直った。
彼女はまだ、俺の魂の一撃から立ち直れていない。
今しかない。
俺は、レシアに心の声を送った。
『レシア! 俺の全魔力を、ライアの心に直接流し込む! 母さんに、俺達を守る結界を!』
『……分かった!』
レシアの決意に満ちた声が返ってくる。
母さんが最後の力を振り絞り、俺達の周囲に聖と魔の力が入り混じった防御障壁を展開した。
俺は、ライアの前に立った。
そして、彼女の冷たくなった手を、強く握りしめる。
「帰ってこい、ライア。お前がいないと、レシアが悲しむ」
俺の言葉。
それは、俺自身の本心でもあった。
俺の全身のオーラが、白銀の輝きとなって、彼女の中へと流れ込んでいく。
その光景を、ラザールさんの人形が放つ、終末の光が飲み込もうとしていた。
光と闇が激突する。
世界の全てが白く染まる。
俺は、その中で、ただ、ライアの名を叫び続けていた。
閃光が収まった時、俺は荒野に膝をついていた。
全魔力を使い果たし、体は鉛のように重い。
だが、俺の目の前には、ライアが立っていた。
その赤い瞳から、呪いの光は消え、代わりに、大粒の涙が溢れ出していた。
その手から、漆黒の剣が滑り落ちる。
彼女は、俺の名を呼んだ。
俺がずっと聞きたかった、彼女自身の声で。
「……ウオ……」
俺は笑った。
心の底から。
「……おかえり、ライア」
だが、安堵したのも束の間だった。
俺達の背後で、ラザールさんの人形が、まだ健在だった。
終末の光を防いだ母さんの結界は砕け散り、彼女は再び倒れ伏している。
レシアも、俺に力を貸したことで、消耗しきっていた。
俺も、ライアも、もう戦う力は残っていない。
万事休す。
ラザールさんの人形が、俺達に止めを刺すべく、ゆっくりと歩み寄ってくる。
こうするしか、勝てる方法はなかった。
だから、俺はコピーしたラスボス反転第一幕の術式範囲をライアとラザールにだけ絞って、使おうとする。
最後の力を振り絞り、立ち上がった。
そして、ラザールさんの人形に向かって、詠唱を始める。
俺自身の解釈を加えた、反逆の詠唱を。
「ラスボス反転……」
しかし、その次の刹那。
俺の胸に、内側から、焼けるような激痛が走った。
視界が、赤く染まる。
「がは…!!」
俺の口から、大量の血が溢れ出した。
信じられない光景だった。
俺自身の右腕が、俺の胸を、背中まで貫いていたのだ。
体の自由が利かない。
意識が、内側から、乗っ取られていく。
この感覚には覚えがあった。キミシダイ帝国で、父さんの偽物に貫かれた、あの時と同じ。いや、それ以上の、絶対的な支配。俺の魂を、深淵の底から、鷲掴みにする、冷たい感触。
大魔王ダイマ・オウが、この瞬間を待っていたかのように、完全に、俺の体の支配権を奪ったのだ。
乗っ取られた俺の腕が、俺自身の胸から、ゆっくりと引き抜かれる。
その手には、どくどくと脈打つ、俺の心臓が握られていた。
「ウオ!!!!!」
レシアの絶叫が聞こえる。
大魔王は、俺の顔で、恍惚とした笑みを浮かべた。
そして、俺の心臓を、その手の中で、ぐしゃり、と握りつぶした。
生温かい血が、彼の、いや、俺の顔に飛び散る。
大魔王は、その指についた俺の血を、美味そうに啜りながら、天を仰いだ。
俺の意識が、急速に薄れていく。
体が冷たくなっていく。
遠のいていく意識の中で、俺は聞いた。
世界の終わりを告げる、悪魔の詠唱を。
「……第二幕。"死海逆夢・生命滅色・刹那ノ終ワリノ始マリ"」
そして、その詠唱と、レシアと、何故か正気を取り戻したライアの、二人の悲痛な叫び声を聞き終わる頃に、俺の意識は……
闇に堕ちた。




