50
第七部 キミシダイ決戦編
第二章:母の鎮魂歌
レシアの視点
一
世界が終わる日。
その空は血のように赤くそしてどこまでも静かだった。
私はキミシダイ帝国の玉座の間にいた。
冷たい石の柱に禍々しい呪いを刻まれた鎖で磔にされている。
手足の感覚はもうない。
ただ目の前で繰り広げられる終焉の儀式を特等席で見せつけられているだけ。
私の前には彼らがいた。
魂のない人形のように立ち尽くす者たち。
『沈黙』のダイン。
その黄金色の瞳は感情を映さずただ私を監視している。
魔王ワールド。
かつて父エミールとウオが倒したはずの災厄の王。
その巨体はフィボナッチの権能によって蘇り今はただの番犬に成り下がっている。
そして。
私の心を最も深く抉る者たち。
ジェイクさん。
ライア。
ラザールさん。
死んだはずの仲間。
死んだはずの私の父。
彼らの亡骸はフィボナッチに操られその瞳に光はなくただ無機質に虚空を見つめているだけ。
ジェイクさんの手には木刀が握られている。
ライアの手には漆黒の剣が。
ラザールさんの手にはあの禍々しい杖が。
彼らはもう何も語らない。
ただフィボナッチの命令を待つだけの哀れな駒。
ああ。
これが本当の地獄。
愛した者たちの亡骸に拘束され見守られる中で世界の終わりを見る。
これ以上の絶望を私は知らない。
玉座にはフィボナッチが座っていた。
その姿はもはやレイザーのそれではない。
黒い霧そのものが人の形をとったかのような不定形の存在。
『愛眼』の真の支配者。
全ての悲劇の脚本家。
彼が高らかに両腕を広げた。
「時は満ちた! 我が権能よキミシダイ帝国の解釈を広げよ! この星を我らが箱庭へと作り変えるのだ!」
彼の声に応えるように玉座の間全体が激しく揺れた。
床に刻まれた巨大な魔法陣が不気味な紫色の光を放ち始める。
世界の理が軋む音がする。
空間が歪み空気が悲鳴を上げる。
そして祭壇の中央に一人の女性が静かに進み出た。
リリアさん。
ウオのお母さん。
その銀色の髪は月光のように輝き黒いドレスは夜の闇そのもの。
彼女こそが世界反転魔法の術者。
この終末の儀式の巫女。
彼女の瞳には何の感情も浮かんでいない。
ただ与えられた役割をこなすだけの人形のようだった。
彼女が祭壇の中央に立ち両腕を掲げる。
詠唱が始まろうとしていた。
もう終わりだ。
ウオも、エミールさんも、ロザールさんたちも、もういない。
私一人がこの絶望を見届けて死ぬ。
そう覚悟したその時だった。
リリアさんの動きが止まった。
彼女は掲げていた腕をゆっくりと下ろすと玉座に座るフィボナッチへと静かに向き直った。
そして問いかけた。
その声は凪いだ湖面のように穏やかだった。
「フィボナッチ」
彼女は言った。
「貴方は何故世界を反転させるの?」
二
その問いはあまりにも静かでそしてあまりにも唐突だった。
玉座の間の空気が凍り付く。
フィボナッチの動きが止まった。
彼の赤い目が驚きに見開かれている。
儀式の最も重要な局面で術者であるリリアがその動機を問う。
それは計画の根幹を揺るがす禁忌の質問だった。
フィボナッチはすぐに平静を取り戻した。
彼は嘲笑うかのようにその不定形の体を揺らした。
「何を今更リリア。お前らしくもない」
彼の声はどこまでも傲慢だった。
「決まっているだろう。全ては我ら魔族の悲願のためだ。人間に虐げられ支配されてきた我らの歴史に終止符を打ち魔族が支配する新しい世界を創造する。そのために我々は何百年も前からこの計画を進めてきたのではないか」
彼は続けた。
「お前の父もそれを望んでいたはずだ。そうだろ? リリア」
その言葉。
その悪魔の囁き。
それが引き金だった。
次の刹那。
リリアさんの世界が変わる音がした。
閃光。
彼女の掌から放たれた極大の闇の魔弾が音もなくフィボナッチに炸裂した。
ズドオオオオオオオオオン!!!!
玉座の間が揺れる。
玉座が粉々に砕け散りフィボナッチの体が黒い霧と共に吹き飛んだ。
何が起きたのか。
私には理解できなかった。
ダインも操られた者たちもただ呆然と立ち尽くしている。
リリアさんの裏切り。
あまりにも鮮やかな反逆。
やがて黒い霧が晴れていく。
その中心にフィボナッチがいた。
その不定形の体は半分ほどが消し飛んでいたがまだ死んではいない。
だが彼の赤い目には初めて焦りの色が浮かんでいた。
「リリア…!! お前!! いつからその記憶に気づいた…!!?」
フィボナッチの絶叫が響き渡る。
記憶。
その言葉の意味を私はまだ知らない。
だがリリアさんの次の言葉が全ての真実を物語っていた。
彼女は傷ついたフィボナッチを冷たい瞳で見下ろしていた。
その瞳にはもう憎しみも狂気もなかった。
ただどこまでも深い悲しみとそして鋼のような決意だけがそこにあった。
「さあね」
彼女は静かに答えた。
「だが私は……もう間違わない」
彼女の全身から禍々しいオーラが噴き上がる。
だがそれはこれまでのような闇の力ではなかった。
聖なる光と冒涜的な闇。
その二つの相反する力が彼女の体の中で奇跡的な調和を保っている。
人間であり魔族である彼女だけの力。
彼女は言った。
その声は全ての罪を背負いそれでもなお愛する者のために戦う覚悟を決めた母の声だった。
「人間の子である私は、ここでお前を殺して死ぬ」
第七部 キミシダイ決戦編
第三章:集いし英雄 最後の戦い
ウオの視点
一
母さんの声が玉座の間に響き渡った。
「人間の子である私はここでお前を殺して死ぬ」
その言葉は反逆の狼煙だった。
フィボナッチへの絶対的な訣別。そして愛する息子である俺と世界を守るための、母としての最後の覚悟。
彼女の全身から聖なる光と冒涜的な闇が同時に溢れ出しその二つの力が奇跡的な調和を保ちながら彼女を新たな存在へと昇華させていく。
フィボナッチの赤い目が驚愕とそして裏切られたことへの純粋な怒りに見開かれた。
「リリア…!! 貴様ァァァ!!!」
彼の絶叫。だがそれは母さんの行動を止めることはできない。
母さんはフィボナッチに止めを刺すべくその神々しいまでの力を解放しようとしていた。
だがフィボナッチもまた黙ってやられるような小物ではなかった。
彼の権能が発動する。
「冠位装填――”キミシダイ帝国”」
その言葉と共に世界の理が歪んだ。
「”魂の縛り”よ! 我が駒たちを呼び覚ませ!」
フィボナッチの命令に応え魂のない人形のように立ち尽くしていた者たちが動き出す。
ジェイクさん。
そしてラザールさん。
二人の伝説の英雄の亡骸が母さんとそして彼女が庇うレシアへと襲いかかった。
ジェイクさんの木刀が見えざる刃となり空間を切り裂く。
ラザールさんの杖から放たれる混沌の力が全てを無に帰そうとする。
その二つの絶対的な攻撃を前に母さんは歯を食いしばった。
彼女は咄嗟に俺達を守るために自らの冠位装填を発動させた。
聖と魔の力が渦を巻き彼女の周囲に絶対的な防御障壁を形成する。
凄まじい轟音と衝撃波。
玉座の間が再び揺れる。
母さんの障壁はジェイクさんとラザールさんの同時攻撃を防ぎきった。
だがその代償はあまりにも大きかった。
障壁が砕け散ると同時に母さんの体から夥しい量の血が噴き出したのだ。
「母さん!」
俺は叫んだ。
彼女は膝から崩れ落ちその場に倒れ伏した。
まだ死んではいない。
だが深手を負いもう戦うことはできないだろう。
その痛々しい姿を見てフィボナッチは心底楽しそうに喉を鳴らした。
「愚かな女よ。母親ごっこにうつつを抜かし自らの命を縮めるとは。だがまあ良い。お前の役目は終わった」
彼は冷徹に言い放つ。
そして魂のないジェイクさんへと命令を下した。
「愛眼の裏切り者には死を。ジェイク……やれ」
ジェイクさんの木刀が振り上げられる。
その切っ先は倒れている母さんとその傍らで震えるレシアの二人を正確に捉えていた。
絶体絶命。
もう誰も二人を救うことはできない。
そう誰もが思ったその時だった。
二
一陣の風が玉座の間を吹き抜けた。
その風は血の匂いと絶望に満ちたこの場所に似つかわしくないほど温かくそして力強い希望の匂いを運んできた。
気がつけば俺はそこに立っていた。
倒れている母さんとレシアの前に立ちはだかるように。
その手には自らの魂から生み出した漆黒の魔剣が握られている。
いつの間に動いたのか自分でも分からなかった。
ただ愛する者たちが傷つけられるのを黙って見ていられるほど俺の魂はまだ死んではいなかったのだ。
ジェイクさんの振り下ろされた木刀を俺の魔剣が受け止めていた。
甲高い金属音。
俺の腕に痺れるような衝撃が走る。
だが俺は一歩も引かなかった。
「ウオ…?」
背後からレシアのか細い声が聞こえる。
俺は振り返らなかった。
ただ目の前の師の亡骸とそしてその背後で驚愕に目を見開くフィボナッチを睨みつけたまま静かに言った。
「待たせたなレシア。………そして母さん」
俺は母さんの記憶も取り戻していた。
ラザールの走馬灯を通して垣間見た彼女の悲しい人生。
その全てを受け入れた上で俺は彼女を母と呼ぶことを決めたのだ。
「俺もあんたのこと思い出したよ」
俺の言葉に母さんの肩が小さく震えた。
「ウオ……私は」
「良いんだ母さん」俺は彼女の言葉を遮った。「これが終わったら罪を償ってもらう。だから今は良い」
今はただ目の前の敵を討つ。
それだけだ。
俺のその覚悟を嘲笑うかのようにフィボ-ナッチが絶叫した。
「ラザール!! ライア!! 魔王ワールド!! ジェイク!!ダイン!! 貴様らに命令する!!! そこにいるそいつらを殺せ!!!!」
彼の命令に応え魂のない駒たちが一斉に俺達へと襲いかかる。
ダインの爪が俺の喉元を狙い魔王ワールドの大剣が俺の頭上から振り下ろされる。
ライアの漆黒の剣とラザールさんの混沌の杖もまた俺に狙いを定めていた。
四方八方からの死角なき攻撃。
もうダメだ。
そう思ったその時だった。
玉座の間に新たな光が差し込んだ。
それは希望の光。
俺の仲間たちの光だった。




