05
その言葉が、僕の脳天に警鐘を鳴らした。
嫌な予感がする。
何かが、おかしい。
次の瞬間。
レイザーの背中から、何かが突き破るように生えてきた。
それは、漆黒の、鳥の翼のようだった。
だが、片方だけ。
彼の右肩のあたりから生えた、一枚の、不気味で禍々しい片翼。
翼が生えた瞬間、レイザーの体から、これまでとは比較にならないほどの、邪悪な魔力が噴き出した。
死にかけていたはずの彼の体が、まるで有り得ない力で、再び立ち上がろうとしている。
父は、その光景に愕然としていた。
満身創痍の体で、最後の力を振り絞って敵を倒した、その直後の、絶望的な光景。
父の体に、致命的な隙が生まれていた。
そして、僕の、進化した視界は、その先を見てしまった。
片翼のレイザーが、父の心臓を貫く、未来の光景を。
彼の動き出し、剣の軌道、到達時間。
その全てが、僕の脳内でスローモーションで再生される。
間に合わない。
父は、反応できない。
「あ……」
僕の口から、声にならない声が漏れた。
駄目だ。
父が死ぬ。
思考よりも早く、僕の体が動いていた。
僕は、石柱の影から飛び出し、ありったけの声で、絶叫していた。
「父さん!!! 危なぁい!!!!」
僕の声に、父がはっとしたように、こちらを向いた。
その驚愕の表情。
しかし、父が僕の声に反応し、レイザーの方を向き直る、そのコンマ数秒が、運命を分けた。
時、すでに遅し。
覚醒したレイザーの黒い魔剣は、僕の声よりも速く、父の胸の中心――その心臓を、正確に貫いていた。
ザシュッ、という、聞きたくなかった音。
父の体が、大きく跳ねた。
聖剣アスカロンが、カラン、と乾いた音を立てて、手から滑り落ちる。
父の目が、大きく見開かれ、信じられないといった様子で、自らの胸を貫く剣を見下ろした。
そして、僕の顔を見て、何かを言おうとしたかのように、その唇が、微かに動いた。
「あ……!! お父さぁぁん!!!!」
僕の、二度目の絶叫が、崩れ落ちる塔の最上階に、虚しく響き渡った。
息子の刃
世界が、赤と黒に染まって見えた。
父の胸から噴き出す血の赤。
そして、僕の心を塗りつぶす、絶望の黒。
父の体は、ゆっくりと、スローモーションのように、後ろへ倒れていく。
その瞳から、光が消えていくのが、はっきりと見えた。
死んだ。
父さんが、死んだ。
僕の目の前で。
僕の声が、かえって父の注意を逸らし、とどめを刺されるきっかけを作ってしまった。
僕が、父さんを殺したんだ。
「あああああああああああああああああああああああ!!!!」
僕の喉から、獣のような叫び声が迸った。
悔しさと、悲しみと、自分への怒りと、レイザーへの憎悪が、ぐちゃぐちゃに混ざり合って、僕の理性を焼き切っていく。
レイザーは、父の体から魔剣を引き抜くと、まるで汚物でも払うかのように、その血を振るった。
「……ふぅ。
ようやく、終わったか。
全く、手間をかけさせおって」
片翼を生やしたその姿は、もはや僕の知る預言者レイザーの面影はどこにもなく、邪悪な悪魔そのものだった。
だが、彼は次の瞬間、信じられないものを見るかのように、目を見開いた。
「……まだ…!! 息をしているのか!!! 信じがたし!! この男!!!」
僕も、その声にはっと我に返り、父を見た。
父は、倒れていなかった。
心臓を貫かれ、常人なら即死しているはずの傷を負いながら、膝をつき、辛うじて片手で床を支え、まだ、生きていた。
その胸の穴からは、血が流れ続けている。
だが、その傷口の周りに、金色の魔力が、まるで蛍のように集まり、必死に出血を抑えようとしていた。
心臓は、もう動いていないはずだ。
それなのに、父は、自らの魔力だけで、壊れた心臓の機能を擬似的に再現し、無理やり全身に血液を送っている。
それは、もはや生命力という言葉で表現できる現象ではなかった。
それは、執念。
ただ、生きるという、純粋で、狂気的なまでの執念だった。
「……自らの魔力で擬似的に壊れた心臓を無理やり動かしつつ、止血と回復を行っているのか!!? ……まあいい。
どうせ、それも数分と持つまい」
レイザーは、驚愕から、やがて冷酷な嘲笑へと表情を変えた。
そして、僕の方へと視線を向ける。
「見ておけ、小僧。
お前の父さんが死ぬ様……を」
その言葉が、僕の中で、最後の何かが切れる音だった。
恐怖は、もうなかった。
悲しみも、怒りも、憎しみも、全てが昇華され、一つの、冷たく、鋭利な感情へと変わっていた。
殺意。
僕の思考も、体も、全てがその感情に支配された。
レイザーが、僕に意識を向けた、その一瞬。
彼の足元に伸びる影が、僅かに揺らいだ。
僕は、その影から、音もなく飛び出した。
これまでの人生で、これほど速く動いたことはなかった。
まるで、風になったかのように、僕の体はレイザーとの距離をゼロにする。
レイザーは、僕の存在に気づいていたはずだ。
だが、彼の意識は、まだ僕を「勇者の息子」という、無力な子供としてしか認識していなかった。
その油断が、彼の命取りになる。
僕が手にしていたのは、護身用の、何の変哲もない小さなナイフ。
だが、そのナイフは今、僕の殺意の全てを乗せて、レイザーの首筋――頸動脈へと、最短距離で迫っていた。
「!?」
レイザーが、僕の殺気に気づき、驚愕に目を見開いた。
咄嗟に、左腕を盾にするようにして、僕の攻撃を防ごうとする。
ザクリ、という鈍い手応え。
僕のナイフは、彼の左腕に深々と突き刺さった。
狙いは外れた。
だが、それで終わりではない。
僕は、ナイフを突き刺したまま、体重をかけて、無理やり横に引き裂いた。
「ぐっ……あぁっ!?」
レイザーの腕から、鮮血が噴き出す。
彼の顔が、信じられない痛みと、子供に傷つけられたという屈辱に歪んだ。
僕は、すぐに後方へ跳躍し、距離を取る。
そして、床に転がっていた父の聖剣――アスカロンを拾い上げた。
子供の僕には、重すぎる剣だ。
だが、不思議と、今の僕にはそれを扱うことができるという、絶対的な確信があった。
「うるさい」
僕は、静かに、しかしはっきりと、レイザーに告げた。
「父さんは、死なせない」




