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私は走る。この時の中級魔族なためその速度に追いつけない。自らの無力さを呪う。
憲兵たちが去った後私は傷ついた体を引きずりながら立ち上がった。
そして走った。
処刑場へと。
馬車の轍を追いかけて。
肺が張り裂けそうだった。
足がもつれて何度も転んだ。
だが私は走り続けた。
自らの無力さを呪いながら。
なぜ私はもっと強くないのだ。
なぜ私は愛する者一人守れないのだ。
その悔しさが私を突き動かしていた。
そして遂に私は処刑場に着くがそこにあった光景は……
丸太の棒に弓くくりつけられたレシアに飛んでくる大量の矢とそこに飛び込もうとするアイだった。
処刑場は街はずれの荒野にあった。
そこにたどり着いた時私は地獄を見た。
レシアが丸太の杭に磔にされている。
その小さな体に無数の矢が突き刺さろうとしていた。
そしてその矢の雨の中にアイが飛び込もうとしていたのだ。
娘を守るためにその身を盾にしようと。
「やめろぉぉぉ!!!!!」
私は絶叫した。
だが声は届かない。
そしてその時私は何がなんでも二人を守りたいと思いその思いが実を結んだのかアシレの権能が及んだのかは分からないが世界の理を変えレシアとアイの二人を助けることに成功する。
奇跡が起きた。
いや私が起こしたのかもしれない。
あるいは私の中に眠っていたレシアと同じ神の力が目覚めたのかもしれない。
私の絶叫と共に時間が止まった。
世界から色が消え音も消えた。
降り注ぐ矢が空中で静止している。
アイの動きも止まっている。
私はその静止した世界の中を走り抜けた。
そしてレシアとアイの前に立ちはだかる。
私は静止した矢をその手で一本一本掴み取り地面に叩きつけた。
そして二人の拘束を解きその体を強く抱きしめた。
時間が再び動き出す。
アイは驚きに目を見開いていた。
レシアは私の腕の中で泣きじゃくっていた。
私は二人を守りきったのだ。
そう思った。
しかしその次の瞬間声がする。
その声は恐ろしく神秘的な声。
「お前は娘と妻……どちらが大切か?」
私の脳内に直接響き渡る声。
それは邪神アシレの声だった。
私の世界の理への干渉が眠っていた神を完全に目覚めさせてしまったのだ。
私はその時「もちろんどちらもだ」と答えたが「どちらかと言えば?」と聞かれた。
私の答えに神は満足しなかった。
その時私は娘の方に少し意識が向いた。親である以上娘が一番大切だからだ。
私は迷った。
だが選ばなければならなかった。
究極の選択。
私の意識がほんの僅かにレシアへと傾いた。
父親として当然の選択だった。
しかしそれがいけなかった。
そのせいでアイの心臓は止まり二度と動くなくなってしまったのだから。
私の腕の中でアイの体が力を失っていく。
彼女の瞳から光が消える。
「……アイ……?」
私の呼びかけに彼女はもう答えない。
その体は氷のように冷たくなっていた。
私の選択が。
私のほんの僅かな心の傾きが。
彼女の命を奪った。
神の悪戯。
あまりにも残酷な結末。
私の世界が再び音を立てて崩れ落ちていった。
第六部 ファイナルタワー編
第十章:君が為の鎮魂歌
ラザールの視点
私は何故ここにいる?
意識は闇よりも深い虚無の中に浮いていた。
思考と呼べるほどの明確な輪郭はなくただ存在するということだけが冷たい事実としてそこにあった。
体の感覚はない。
手足があるのか目蓋があるのかすら定かではない。
ただ巨大で禍々しくそして途方もない破壊衝動だけが私の全てであるかのように感じられた。
そうだ私は獣になったのだ。
理性を失い世界の終焉を告げるためだけに存在する終末の獣に。
全てを破壊しろと本能が叫んでいる。
光を喰らい尽くせと魂が渇望している。
この世界に存在する全ての生命全ての秩序全ての記憶を無に帰せと。
それこそが私の新しい存在理由なのだと。
だがその絶対的な破壊衝動の奥底でか細い声が聞こえる。
『やめろ』と。
それは私の声だった。
ラザールという名の男の最後の残骸。
獣の本能に抗い必死にその手綱を握りしめようとする哀れで無力な魂の囁き。
私はもう全てを失ったはずだ。
この手で築き上げようとした完璧な計画も。
百年以上をかけて積み上げてきた知性も理性も。
そして何よりも愛する者たちを。
妻が死んだ次の朝娘のレシアも消えた。
あの日邪神アシレの残酷な悪戯によって私の腕の中でアイの心臓が止まった時私の世界の半分は死んだ。
残された半分の世界。
レシア。
私のたった一つの光。
だがその光さえも私の手からこぼれ落ちた。
私が彼女の記憶を封印し人間としての偽りの幸せを与えたあの日から本当の意味で彼女はもう私の娘ではなくなった。
この世界のどこを探しても娘は見つからなかった。
私の知る純粋で無垢だったミカ・レシアはもうどこにもいない。
……そう。拾い親のエミールを殺したことを嘆くレシアを見つけるまでは。
私は彼女が幸せになれる世界を創ろうとした。
彼女がその心眼の力に苦しむことなくただ穏やかに笑っていられる世界を。
人間も魔族も全ての種族が私の管理の下で争うことなく永遠の平和を享受する世界を。
そのために私は神になる必要があった。
この世界の理を覆し新しい秩序を創造する狂神に。
でも結局はアシレに良いように操られていただけで私は父親としてもこの世界を背負う者としても何一つしてあげられなかったなあ。
私の計画はあの子供たちによって打ち砕かれた。
ジェイクの弟子ロザール。
聖女の末裔ナターシャ。
『愛眼』の裏切り者メアリー。
そして何よりも私の娘レシア。
彼女達の不確定で非合理な絆の力が私の完璧な幾何学模様の計画をいとも容易く破壊した。
結局私は世界を無茶苦茶にしただけでレシアの父親にすらなれなかった。
私はただの道化だったのだ。
壮大な悲劇の舞台の上で最後まで滑稽に踊り続けただけの哀れな狂人。
獣の意識の狭間でラザールとしての後悔が濁流のように押し寄せてくる。
ああもしも。
もしもあの時。
もし私があの時アイと出会わなければ。
私は賢者としての一生を終えていただろう。
書庫に籠り古文書を読み解き世界の真理を探究する孤独だが平穏な日々。
愛を知ることもなく家族を持つこともなくただ知識の海の中で静かに朽ちていく。
それはそれで一つの幸せな人生だったのかもしれない。
少なくともこんな風に世界を巻き込むほどの罪を犯すこともなかった。
もし私があの時両親の反対を押し切らなければ。
アイは別の人間と結婚し幸せな家庭を築いていたかもしれない。
街のパン屋の息子か腕のいい大工か。
私ではない誰かの隣で穏やかに笑い子供を育て孫の顔を見て安らかにその生涯を終える。
そんなありふれただが何よりも尊い幸せを彼女は手に入れられたはずなのだ。
私が彼女の人生を奪った。
魔族を愛したというだけで彼女は全てを失ったのだ。
もし私があの時もっと早く馬車に追いつけたら。
処刑場で娘が磔にされる前に私が国王の軍勢を打ち破ることができたなら。
あるいはアシレが目覚めることもなく私達は再び森の奥で静かに暮らせたかもしれない。
あの悪夢のような選択を迫られることもなく。
アイの心が止まることもなく。
私の無力さが彼女を殺した。
あの時の絶望的な光景は今も私の魂に焼き付いて離れない。
もし私があの夜、世界から消えてしまわないようにレシアを守れたら。
私が記憶を封印し、彼女を人間の村へと預けたあの日。
もっと別の方法があったのではないか。
彼女の力を恐れるのではなく共にその力と向き合う道が。
私が彼女のそばに居続けるという選択肢が。
だが私は逃げたのだ。
父親としての責任から。
彼女の中に眠る神の力から。
そして何よりも彼女を愛しすぎてしまう自分自身の弱さから。
もし私が……
レシアの父親じゃなければ。
その考えに至った瞬間、私の魂は凍てついた。
そうだ。
全ての元凶は私なのだ。
私が彼女の父親であったこと。
それこそが彼女の不幸の始まりだった。
魔族の血を引いて生まれなければ。
神の器として選ばれなければ。
私という存在がなければ。
レシアは苦しまずに済んだ。
ただの村娘として生まれウオという名の優しい少年と出会い、恋をしてささやかな幸せをその手で掴み取れたはずなのだ。
私が彼女の人生を歪めてしまった。
この世で最も愛する娘の幸せをこの手で奪ってしまった。
その罪の重さに私の魂は耐えきれず獣の破壊衝動の中に完全に沈み込もうとしていた。
もう良い。
全てを終わらせよう。
この後悔も罪悪感も全て破壊の奔流に飲み込ませてしまえ。
私はもうラザールではない。
ただの終末獣だ。
「ラザールお父さん!!!!!!」
声がする。
闇の底に差し込む一筋の光。
それは私の娘の声だった。
レシアの声だ。
どこから聞こえる…?
この暗闇の上からか。
破壊衝動の塊と化した私の意識が外界の情報を朧げに捉える。
そうだ私は今カリム村を破壊している。
いや破壊しようとしている。
そして私の巨大な獣の体に小さな影がしがみついている。
娘だ。
レシアだ。
終末獣となった私の身体にしがみついてくれているのか…?
彼女は私を止めようとしているのか。
無駄だ。
もう私にはこの破壊衝動を止めることはできない。
このままでは彼女をこの手で握り潰してしまう。
やめてくれ。
もう私に罪を重ねさせないでくれ。
もう私は私を止められない。
このままではレシア。君すらも殺してしまう。
私の娘をまた守れない。
獣の本能が彼女を異物として認識し排除しようと蠢き始めている。
やめろ。
やめてくれ。
レシアを殺してしまう。
レシアを…!!
「ラザールお父さん!!! よく聞いて!!!」
その声は泣き声ではなかった。
絶望の色もなかった。
それは私の魂に直接語りかけるような強くそして澄み切った声だった。
おそらく全てを思い出したであろう私の娘は泣きそうな声でしかし必死に言葉を続ける。
「私!!! 好きな人ができたんだ!!! ウオっていうんだけどね!!! すごく良い子で!! 私が人生をかけて愛したい人なの!!! それでね!! 私!! 大切な仲間にたくさん出会えたよ!!! ロザールさんも!! ナターシャさんも!! メアリーも!! ジェイクさんとライアも!! みんな私に力をくれた!! だから…!! 私は元気にやれてる!!! やれてるよ!!! だから……!!! 安心して…!!! 私は上手くやれてるから!!!」
その言葉の一つ一つが光の矢となって私の心の闇を貫いていく。
好きな人。
大切な仲間。
彼女は一人ではなかった。
私が去った後も彼女は自分の足で立ち上がり自分の世界を築いていたのだ。
私が与えた偽りの平穏の中ではなく彼女自身の力で。
私がいない世界で彼女は幸せを見つけようとしていた。
ああそうか。
私はずっとあの全てを失った日からずっと。
この言葉を待っていた。
娘が幸せに生きているというただその一言を。
私が救えなかった彼女の未来。
その未来を彼女は自らの手で掴み取っていた。
ならばもう私の役目は終わったのだ。
この世界に私がいる意味はもうない。
「もう十分だよ…!!! お父さん!!!」
レシアの最後の言葉が私の魂を震わせた。
もう…十分。
そうだ。
もう十分だ。
私は十分に戦った。
十分に苦しんだ。
十分に罪を犯した。
そして何よりも十分に愛した。
ずっとそう言って欲しかった。
私の娘に。
レシアに。
これでようやく。
悔いもなく死ねる。
獣の破壊衝動が潮が引くように消えていく。
後に残されたのはただ穏やかな安堵感だけだった。
ありがとうレシア。
君のおかげだ。
こうして、私の意識は終末獣と共に消えた。
私の体は光の粒子となって崩壊していく。
その光は破壊の光ではない。
娘の未来を祝福するかのような温かい光だった。
最後に私の目に映ったのは泣きながらも力強く微笑むレシアの顔とそして彼女の隣でその手を固く握りしめる金茶色の瞳の少年の姿だった。
ああアイ。
これで、ようやく君の元へ行ける。
長かった。
本当に長い旅路だった。
だが、終わりはいつもこんな風に唐突でそして静かなものなのだろう。
私のくだらない物語はここで終わる。
だが彼らの物語はここから始まるのだ。
それで良い。
それが良い。
私の魂は満足感に満たされながら完全な無へと還っていった。
第六部 ファイナルタワー編 完




