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第六部 ファイナルタワー編

第七章:心眼の誓い、冥王の刃

レシアの視点

お父さんが帰ってきた。

私の罪を赦し私達の希望となるために。

その事実は凍てついていた私の魂を溶かすには十分すぎた。

目の前で繰り広げられる光景はもはや現実のものではない。

神話の一場面。

伝説の勇者エミールと全ての元凶である狂神ラザール。

二つの絶対的な存在が今このカリム村の広場で対峙している。

「面白い……! 面白いぞエミール! 死してなお儂の計画を阻むか! さすがはジェイクが見込んだ男よ! よかろう! その魂ごと貴様を完全に消滅させてくれるわ!」

ラザールの狂気に満ちた哄笑が響き渡る。

彼の完璧な幾何学模様の心に純粋な破壊衝動が渦巻いているのが私の心眼には見えた。

彼は本気だ。

私達全員をこの村ごと世界の理から抹消するつもりだ。

対するエミールさんはただ静かに聖剣アスカロンを構えていた。

その蒼い瞳は凪いだ湖面のよう。

だがその奥底には冥府の闇よりも深くそして揺るぎない決意の光が宿っていた。

彼の心はもう迷っていない。

ただ守るべき者たちのために目の前の悪を討つ。

その純粋な意志だけがそこにあった。

「さてラザール」

エミールさんの声は静かだった。

だがその静けさこそが彼の怒りの深さを物語っていた。

「お前の悪趣味な茶会ももう終わりだ。俺の可愛い子供達をここまで弄んでくれた落とし前きっちりとつけてもらうぞ」

その言葉が戦いの合図だった。

だが先に動いたのは二人ではなかった。

ウオだった。

私の愛した少年。

その魂が大魔王の呪縛から解放されたばかりの彼がよろめきながらも立ち上がった。

その手にはまだ父であるエミールさんの聖剣アスカロンが握られている。

「父さん……」

ウオがか細い声で呼びかける。

「俺も戦う。これは俺自身の問題でもあるから」

その瞳にはもう迷いはなかった。

大魔王としての記憶と力。

そしてウオとしての心と愛。

その二つを受け入れた彼は今本当の意味で覚醒しようとしていた。

だがエミールさんはその申し出を静かに首を振って否定した。

「いいやウオ。お前はまだ戦うな」

「でも!」

「お前の力はまだ不完全で不安定だ。下手に使えば再び闇に呑まれかねん。それに」

エミールさんは私達の方を振り返り優しく微笑んだ。

「お前にはもっと大事な役目があるだろうが。レシア達を守ってやれ。それが今の父さんからの唯一の頼みだ」

その言葉は父親としての絶対的な命令だった。

ウオは唇を噛み締めた。

悔しそうだった。

だが彼は父の言葉に頷くと私の隣まで下がり私達の前に立ちはだかるように剣を構えた。

その背中はまだ小さい。

だが私達を守ろうとするその意志は父であるエミールさんにも劣らないほど大きく見えた。

「さてこれで邪魔はいなくなったな」

エミールさんが再びラザールへと向き直る。

そして彼の全身から金色のオーラが静かにしかし力強く立ち昇り始めた。

それはただの闘気ではない。

もっと異質で神々しい何か。

「ほう……」ラザールが初めて興味深そうな目を向けた。「その力……ただの魂だけの存在にしては強力すぎる。冥府で何か面白いものでも拾ってきたと見えるな」

「ああ」エミールさんは頷いた。「お前を倒すために冥府の王と契約してきた。この戦いが終われば俺の魂は奴のものだ。だがそんなことはどうでもいい。俺の子供達の未来を守れるならな」

冥王デス・ロンダ。

その名をエミールさんが口にした瞬間世界の空気が震えた。

彼の背後に一瞬だけ巨大な骸骨の王の幻影が見えた気がした。

エミールさんの金色のオーラがさらに輝きを増していく。

そして彼は詠唱した。

神々の領域へと至るための禁断の言葉を。

「冠位装填――」

その声に応えるように彼の周囲に無数の光の粒子が現れる。

それは桜の花びらのようだった。

一枚一枚が極限まで研ぎ澄まされた刃。

その無数の刃が嵐のように彼の周りを舞い始める。

「――”無限楼閣ジーク・アクス”」

美しい。

だがどこまでも残酷な光景。

それがエミールさんの冠位装填。

桜吹雪の如き無数の刃の塊で敵を蹂躙する絶対的な殲滅の力。

私は息を呑んだ。

これが勇者エミールの本当の力。

父としてではなく英雄としての彼の姿。

「クク……クハハハハ!」

ラザールが狂ったように笑い始めた。

「素晴らしい! 素晴らしいぞエミール! それほどの力を隠し持っていたとはな! だがその力も儂の前では無意味だと思い知らせてやろう!」

彼もまた杖を掲げ詠唱する。

世界の理を覆す悪魔の言葉を。

「冠位装填――”ラスボス反転”」

その詠唱はまだ終わらない。

彼の狂気はさらに深くさらに冒涜的な領域へと踏み込んでいく。

「――第一段階……”背理ノ章”!」

ラザールがそう叫んだ瞬間。

彼の纏う魔力の質が変わった。

それはもはやただの闇の力ではない。

世界の法則そのものを捻じ曲げ無へと還す混沌の力。

彼の瞳が不気味な光を放つ。

その瞳を見た者は魂ごと滅びるという絶対的な呪いの光。

まずい。

そう思った瞬間だった。

「レシア!」

エミールさんの声が私の脳内に直接響いた。

「俺に目を貸せ! ラザールの心を読むんだ!」

私はハッとした。

そうだ。

私には心眼がある。

私は頷くと意識を集中させた。

そして私の魂はエミールさんの魂と繋がる。

彼の視界が私の視界となった。

彼の心が私の心となった。

そして私達は見た。

ラザールの心の奥底に構築された背理ノ章の術式を。

その絶対的な呪いの発動条件と縛りを。

『縛り一:対象は善の属性を持つ者に限定される』

『縛り二:対象は戦う意志を持った上で地の上に立ち上がらねばならない』

『縛り三:対象は術者の瞳を直視しなければならない』

『効果:上記三つの条件を満たした時対象の身体中の細胞は内側から崩壊を始める』

そしてエミールさんは即座に理解する。

この戦いは目を閉じて戦わないといけないと。

彼は迷いなくその蒼い瞳を固く閉じた。

英雄としての視力を自ら捨てたのだ。

そして彼は私の心眼を通して世界を見始めた。

よってレシアの心眼を介して戦場の景色と敵の位置と技を認識しながらエミールは戦うことになる。

私は地面に横たわっていた。

これなら私がラザールの瞳を見ても呪いは発動しない。

ラザールの眼を見ても問題はない。

エミールさんはその条件のもとでラザールを圧倒する。

私とエミールさん。

二心同体の戦いが今始まった。


「目を閉じたか。愚かな」

ラザールが嘲笑う。

「視力を捨ててこの儂と戦うと申すか。その傲慢さが命取りよ」

彼は杖を振るった。

数十発の闇の魔弾がエミールさん目掛けて放たれる。

だがエミールさんは動じない。

私の心眼が全ての魔弾の軌道を完璧に捉え彼の脳へと伝達している。

彼は目を閉じたまま最小限の動きでその全てを回避した。

まるで未来予知でもしているかのように。

その神業のような動きにラザールの顔から笑みが消えた。

「……なるほど。そういうことか」

彼は私に視線を向けた。

「その小娘の瞳を通して世界を見ておるのじゃな。面白い。実に面白い趣向よ」

だが彼の余裕はまだ崩れない。

「だがいつまで持つかな。その精神共有とやらも相当な負荷がかかるはずじゃ。お主らの魂が焼き切れるのが先か儂の魔力が尽きるのが先か。試してみようではないか」

ラザールの姿が掻き消える。

空間転移。

彼はエミールさんの背後に回り込み杖を薙ぎ払った。

だがエミールさんはそれに反応していた。

振り返ることなく聖剣アスカロンを背後へと突き出す。

杖と剣が激突し甲高い金属音が響き渡った。

「なぜ儂の動きが読める!?」

ラザールの驚愕の声。

「言ったはずだ」エミールさんは静かに答えた。「俺は一人ではない。俺の娘の瞳が全てを見ている」

その言葉と同時にエミールさんの背後から無数の刃の桜が咲き誇った。

無限楼閣ジーク・アクス。

桜吹雪がラザールへと襲いかかる。

ラザールは咄嗟に空間障壁を展開しそれを防いだ。

だが刃の嵐は止まらない。

一枚一枚が聖剣に等しい威力を持つ刃が休みなく障壁を打ち据える。

ミシリと障壁に亀裂が入った。

「おのれ……!」

ラザールは後方へ飛び距離を取る。

だがエミールさんはそれを逃さない。

私の心眼が彼の次の転移先を予測する。

「左上!」

私の心の声に応えエミールさんは空へと跳んだ。

ラザールが転移したその場所に先回りするように。

そして聖剣を振り下ろす。

ラザールは驚愕の表情でそれを杖で受け止めた。

だが体勢が崩れている。

そこへ再び桜吹雪が襲いかかった。

「ぐ……あああああっ!」

ラザールの体から初めて血が舞った。

数枚の刃が彼のローブを切り裂きその肌を浅く傷つけたのだ。

圧倒している。

エミールさんがラザールを。

私と二人で。

その事実に私の心は奮い立った。

私にも戦える。

ウオや仲間たちを守ることができる。

だが戦いはまだ始まったばかりだった。

傷を負ったラザールの狂気がさらに増していく。

「素晴らしいぞエミール! レシア! その連携! その絆! それこそが儂が見たかったものよ! その美しい光が絶望に染まる瞬間をな!」

彼の全身から禍々しい魔力が噴き上がった。

それは背理ノ章の力をさらに増幅させる詠唱。

「理よ歪め! 偽りの因果よ真実となれ!」

彼の周囲の空間がぐにゃりと歪み始めた。

地面が隆起し空が渦を巻く。

カリム村の風景がまるで悪夢のように変貌していく。

そして歪んだ空間から無数の魔物が召喚された。

それはかつてジェイクさん達が戦ったという六十年前の魔王軍の怪物たち。

その軍勢が私達へと襲いかかってくる。

「ロザール! ナターシャ! メアリー!」

エミールさんが叫んだ。

「お前達の出番だ! あの者達を頼む!」

「応!」

ロザールさん達が十字架から解放された仲間達を守るように魔物の群れの前に立ちはだかった。

そして私とエミールさんは再びラザールと対峙する。

この世界の運命を決する最後の戦いはまだ終わらない。

いや本当の意味で始まったのは今この瞬間からなのかもしれない。

戦場は混沌を極めていた。

ロザールさん達は召喚された魔物の軍勢と死闘を繰り広げている。

ロザールさんの魔法剣が炎を吹きナターシャさんの光の槍が闇を貫きメアリーの影が敵を縛る。

三人の連携は完璧だった。

ジェイクさんの教えとこの旅で培った絆が彼らを本当の戦士へと成長させていた。

だが敵の数はあまりにも多い。

倒しても倒しても歪んだ空間から次々と魔物が湧き出してくる。

そして私とエミールさんはラザールとの戦いに集中していた。

彼の力は底が知れない。

空間を操り過去の魔物を召喚するだけではない。

彼は時間そのものにすら干渉し始めた。

「時よ滞れ」

彼がそう呟くとエミールさんの動きが僅かに鈍る。

その一瞬の隙を突きラザールの杖がエミールさんの脇腹を抉った。

「ぐっ……!」

エミールさんが呻く。

だが彼は倒れない。

冥王との契約によって得た彼の魂の体は並大抵の攻撃では砕けない。

そして彼の傷はすぐに桜の花びらに包まれ癒えていく。

「おのれ不死身か!」

ラザールが忌々しげに吐き捨てる。

私とエミールさんの連携は完璧だった。

私が敵の動きを読みエミールさんがそれを討つ。

だがラザールもまた完璧だった。

彼は無数の魔物を盾とし時間と空間を操り私達をじわじわと追い詰めていく。

戦いは拮抗していた。

だがその均衡は唐突に破られた。

「レシア!」

ウオの声だった。

彼は十字架から解放された村人達を守りながら戦っていた。

その瞳にはもう大魔王の影はない。

だが彼の力はまだ不安定だった。

「ラザールの狙いは俺達じゃない! あの十字架だ!」

彼の言葉に私はハッとした。

心眼を十字架に向ける。

そこには禍々しい魔力が渦巻いていた。

村人たちを繋ぐ鎖。それはただの拘束具ではなかった。

村人たちの生命力を吸い取りラザールの魔力へと変換するための装置だったのだ。

そしてその魔力は今まさに臨界点に達しようとしていた。

「まずい!」

エミールさんもそれに気づいた。

「奴の狙いは自爆か!」

ラザールは不気味に笑った。


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