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第六部 ファイナルタワー編

第六章:忘れじの鎮魂歌、悪魔の産声

レシアの視点

世界が白と黒に塗りつぶされていく。

ロザールの黄金のオーラ。

ラザールの底なしの狂気。

その二つの絶対的な力が衝突し私の意識は現実から引き剥がされた。

耳鳴りがする。

目の前が明滅する。

ああまたダメだったんだ。

私だけが何もできずにただ守られて終わるんだ。

ウオを救うと誓ったのに。

仲間と共に戦うと決めたのに。

結局私は一番後ろで震えているだけの弱い村娘のまま。

ごめんねウオ。

ごめんねライア。

ごめんねジェイクさん。

ごめん……ロザールさん……ナターシャさん……メアリー……。

意識が途切れるその寸前。

私の脳裏に走馬灯が流れ始めた。

それは私がずっと忘れていた記憶。

私が私になる前の物語。

その記憶はいつも冷たい雨の匂いから始まる。

私の名前はまだなかった。

私はただの忌み子だった。

私がいた村は小さく貧しかった。人々はいつも何かに怯え互いを疑いそして自分達より弱い存在を探して石を投げることでしか心を保てないそんな場所だった。

そしてその最弱の存在が私だった。

人の心の揺らぎが私には見えた。

言葉にしなくても感情が色となって匂いとなって私の五感を直接殴りつけた。

嘘をつく大人の心は腐った泥のように濁っていた。

誰かを妬む子供の心は鋭いガラスの破片のように私の肌を切り裂いた。

彼らの恐怖や憎悪は私にとって物理的な苦痛だった。

「化け物」

「悪魔の子」

「あいつの近くに行くんじゃないよ」

囁き声がいつも私の周りを飛び交っていた。

両親の顔は知らない。

物心ついた時から私は一人だった。

村の片隅にある打ち捨てられた小屋が私の家。

食事は村人が捨てる残飯か森で採れる木の実だけ。

温かいものなんて一度も食べたことがなかった。

私はいつも独りだった。

誰かに触れられたことすらなかった。

優しさという感情がどんな色をしているのか私は知らなかった。

私の世界は灰色だった。

ただ冷たくて痛いだけ。

早くこの世界からいなくなりたい。

毎日そう願っていた。

私が三歳になった年のこと。

その日は特にひどい雨が降っていた。

もう何日も何も食べていなくてお腹と背中がくっつきそうだった。

雨で体温が奪われ指先の感覚がなくなっていく。

ああこのまま死ぬんだな。

私はぼんやりとそう思った。

小屋の軒下で体を丸めただその時が来るのを待っていた。

その時だった。

ざっざっと雨音とは違う足音が近づいてきた。

見上げるとそこに一人の男が立っていた。

大きなマントを羽織った背の高い男。

村の人間とは違う。

その人の心は嵐のようだった。

激しい戦いの記憶。深い悲しみ。そしてその奥に燃える太陽のような温かい光。

その光に私は目を奪われた。

「こんな所に一人でどうしたんだい」

男はそう言って私の前に屈み込んだ。

その声は私が今まで聞いたどんな声よりも優しかった。

私は何も答えられなかった。

ただ怯えて震えているだけ。

すると男は懐から一つの包みを取り出した。

中にはまだ温かいパンが入っていた。

いい匂いがした。

私の人生で初めて嗅ぐ幸せな匂いだった。

「お食べ」

男はパンをちぎって私の口元へ差し出した。

私は戸惑った。

食べたら何か酷いことをされるかもしれない。

村の子供たちがそうだったように。

でもお腹がぐうと鳴った。

その音を聞いて男は楽しそうに笑った。

その笑顔は私が今まで見たどんなものよりも眩しかった。

私は恐る恐るパンを口にした。

温かくて柔らかくてほんのり甘い味がした。

涙が溢れてきた。

美味しい。

美味しい。

美味しい。

私は夢中でパンを頬張った。

そんな私を男はただ黙って見つめていた。

その瞳はどこまでも優しかった。

パンを食べ終えると男は大きな手で私の頭をそっと撫でた。

これが優しさ。

これが温もり。

私はこの時初めて人という存在の温かさに触れたのだ。

「私の名前はエミール」

男は言った。

「君の名前は?」

私は首を横に振った。

私に名前なんかなかったから。

「そうか」

エミールさんは少しだけ悲しそうな顔をしたがすぐにまた笑った。

「じゃあ今日から君の名前はレシアだ」

レシア。

それが私の名前。

私が初めてもらった宝物だった。

エミールさんは私を抱き上げるとその大きなマントで雨から守ってくれた。

「一緒に行こうレシア。私の家へ」

私は頷いた。

この人とならどこへだって行ける。

そう思った。

この日私はエミールさんに拾われた。

私の灰色の世界に初めて光が差し込んだ瞬間だった。



エミールさんの家は村から遠く離れた森の中にひっそりと佇んでいた。

小さな丸太小屋だったけどそこは私の知るどんな場所よりも温かくて安全な場所だった。

エミールさんは私を本当の娘のように育ててくれた。

初めてふかふかのベッドで眠った夜のこと。

初めて温かいシチューを食べた時のこと。

初めて綺麗な服を買ってもらった日のこと。

その一つ一つが私の宝物だった。

私の心眼の力はエミールさんの前では不思議と穏やかだった。

彼の心はいつも澄み切った湖面のようだったから。

時折過去の戦いの記憶が悲しみの波紋となって広がることがあったけれどその中心にはいつも揺るぎない優しさがあった。

彼は私の力を恐れなかった。

むしろ彼は私のその力を美しいものだと言ってくれた。

「レシアのその瞳は素晴らしい贈り物だよ」

彼はよくそう言って私の頭を撫でてくれた。

「人の心の痛みが分かる。それは誰にでもできることじゃない。だから君はその力でたくさんの人を助けてあげられる優しい子になるんだ」

その言葉が私をどれだけ救ってくれたことか。

私はもう忌み子じゃない。

化け物じゃない。

私はエミールさんの娘レシアなのだと胸を張って思えるようになった。

エミールさんは私にたくさんのことを教えてくれた。

文字の読み書き。

森の歩き方。

花の育て方。

そして剣の振り方まで。

彼はかつて世界を救った勇者だった。

その剣技は神の領域に達していると人々は言っていた。

そんな彼が私のような小さな女の子に木の棒の振り方を教えてくれるのだ。

「いいかいレシア。剣は人を傷つけるためのものじゃない。大切なものを守るための力だ」

その言葉は今も私の心に深く刻み込まれている。

私達の毎日は穏やかで幸せに満ちていた。

春には二人で花の種を蒔き。

夏には川で魚を捕り。

秋には森で木の実を集め。

冬には暖炉の前で彼が語ってくれる英雄譚を聞いた。

私はこの幸せが永遠に続けばいいと心の底から願っていた。

エミールさんが私のたった一人の家族。

私のたった一人の英雄。

私の……お父さんだった。

そう……あの日が来るまでは。

私が六歳になった誕生日。

その日は朝から晴れ渡っていて小鳥のさえずりが森中に響いていた。

エミールさんは朝からそわそわしていた。

私を喜ばせるために何か特別な計画を立ててくれているようだった。

「レシア今日は君の誕生日だからな。何か欲しいものはあるかい?」

「ううん。お父さんがそばにいてくれるだけでいいよ」

私がそう答えると彼は少し照れくさそうに笑って私の頭をわしわしと撫でた。

その日彼は一日中私と一緒に遊んでくれた。

森を探検し花冠を作りかくれんぼをした。

日が暮れる頃私達は家に戻った。

テーブルの上には彼がこっそり作ってくれていた小さなケーキと一つのプレゼントの箱が置かれていた。

「お誕生日おめでとうレシア」

彼の優しい声。

私は嬉しくて飛び上がりそうになった。

ロウソクの火を吹き消しプレゼントの箱を開ける。

中に入っていたのは彼が手彫りで作ってくれた小さな木の小鳥の彫刻だった。

不格好だけど心のこもった温かい彫刻。

「ありがとうお父さん! 大好き!」

私は彼に抱きついた。

彼は優しく私を抱きしめ返してくれた。

私の人生で一番幸せな瞬間だった。

そう信じていた。

だがその幸せは次の瞬間に音を立てて崩れ落ちた。

私が彼に抱きついたその時だった。

私の体の中で何かが弾けた。

それは突然の出来事だった。

熱い。

体の芯からマグマのような熱い何かが込み上げてくる。

頭が割れるように痛い。

視界が赤く染まる。

そして、私の心眼が暴走を始めた。

エミールさんの心の奥底に眠っていた悲しみの記憶が濁流のように私の意識へと流れ込んでくる。

魔王との死闘。

仲間たちの死。

血と絶望と後悔の嵐。

そのあまりにも強大な負の感情が私の幼い精神を破壊しようとしていた。

「う……ああ……っ!」

私は苦しみに呻いた。

「レシア!? どうしたんだしっかりしろ!」

エミールさんの焦った声が聞こえる。

彼が私を支えようと私の肩に手を置いた。

その瞬間だった。

私の体からどす黒いオーラが迸った。

それは私の意志ではなかった。

私の内に眠っていた何かがエミールさんの優しさを拒絶し彼を敵だと誤認したのだ。

暴走した力は制御不能だった。

それは純粋な破壊の衝動そのものだった。

闇の触手が私の背中から伸びエミールさんの体を貫いた。

ザシュッという鈍い音。

「……え……?」

エミ-ルさんの体が大きく跳ねた。

彼の驚愕に見開かれた瞳が私を映している。

その胸の中心には大きな穴が空いていた。

私の力によって。

「……レ……シ……ア……」

彼が私の名を呼んだ。

その声は掠れていた。

そして彼の体はゆっくりと糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。

ドサリという重い音。

静寂。

部屋の中は誕生日ケーキの甘い匂いとそして生暖かい血の匂いで満たされていた。

私はただ呆然と立ち尽くしていた。

目の前で何が起きたのか理解できなかった。

お父さんが倒れている。

胸からたくさんの血を流して。

私がやった。

私が殺した。

その事実がようやく私の脳に届いた時私の精神は完全に壊れた。

「いやあああああああああああああああああああっ!!!!!」

絶叫。

私は家を飛び出した。

雨が降っていた。

三年前私がお父さんと出会った日と同じ冷たい雨。

私は泣きながら森の中を走った。

どこへ行くあてもない。

ただこの罪悪感からこの絶望から逃げ出したかった。

やがて私は森のはずれにある高い崖の上へとたどり着いた。

眼下には荒れ狂う川が渦を巻いている。

ここから飛び降りれば全てが終わる。

私がお父さんを殺したこの罪も。

この耐えられないほどの悲しみも。

全て。

彼は私にとっての父だった。

でも自分のせいで………。

そう思った私は、六歳にして自殺をしようとした。

私は崖の縁に立った。

冷たい風が私の体を吹き抜けていく。

さようならお父さん。

ごめんなさい。

そう心の中で呟き一歩踏み出そうとしたその時だった。

背後から静かな声がした。

「待て。私の娘レシアよ」



 その言葉は雷となって私の脳天を撃ち抜いた。

 お父さん?

 この人が?

 私の本当のお父さん?

 頭が混乱する。

 お父さんはエミールさんだけだ。

 でも目の前のこの男の心が嘘をついていないことを私の心眼が告げていた。

 男――ラザールは悲しげに顔を歪めるとその腕で私の小さな体を強く抱きしめた。

 その腕はエミールさんのように温かくはなかった。

 ひんやりと冷たくてどこか無機質だった。

 でもその腕は確かに私をこの絶望から引き上げてくれようとしていた。

「辛かったなぁ…!!! ごめんよ!!! 私が魔族であるばかりに…!!! 人間と結婚したばかりに…!!! 人間と魔族の狭間であるお前が産まれてしまった!!! お前が人間ではなく悪魔として産まれてしまった!!!」

 ラザールは叫んだ。

 その声は深い後悔とそして私への愛情に満ちているように聞こえた。

 魔族。

 悪魔。

 そうか私は人間じゃなかったんだ。

 だからあんな恐ろしい力が。

 だからお父さんを殺してしまったんだ。

 全ての辻褄が合った気がした。

 私の罪悪感が少しだけ軽くなった。

 私のせいじゃない。

 私が悪魔だったから。

 そう思うことでしか私の心はもう保てなかった。

「お父……さん…?」

 私の唇からか細い声が漏れた。

 その言葉を聞いてラザールはさらに強く私を抱きしめた。

「だから!!! 私は君が悪魔としてではなく!! 人間として幸せに生きることができる世界を作る!!! あの方から教わった…!! あの世界反転魔法で!!!」

 世界反転魔法。

 その言葉の意味を六歳の私には理解できなかった。

 だがお父さんが私のために何かすごいことをしてくれるのだということだけは分かった。

 彼は私をこの苦しみから救い出してくれるのだと。

「全て忘れなさいレシア」

 ラザールが私の額に手を当てた。

 その手から冷たい魔力が流れ込んでくる。

「辛い記憶は全て忘れなさい。エミールを殺したことも私と会ったことも。お前はただの人間の子として生きるのだ。新しい両親の元で幸せにな」

 意識が遠のいていく。

 エミールさんの笑顔が薄れていく。

 血の匂いが消えていく。

 最後に私の目に映ったのは悲しげに微笑むラザールの顔だった。


 第六部 ファイナルタワー編

 第六章:悪魔の鎮魂歌、英雄の産声

 レシアの視点

 一

「はい、終わり」

 その声は神の宣告だった。

 私達の運命を弄ぶ狂った神の気まぐれな終幕宣言。

 ラザールのその一言で私の仲間たちは崩れ落ちた。

 何が起きたのか分からなかった。

 ロザールさんの黄金の守護結界はまだそこに在った。

 傷一つない完璧な光のドーム。

 それなのに。

 結界の内側でナターシャさんが倒れていた。

 メアリーがうつ伏せに崩れていた。

 ロザールさんですら膝をつきその体から力が抜け落ちていくのが見えた。

 三人の体からたくさんの血が流れていた。

 どこから?

 傷はどこに?

 分からない。

 ただ命が溢れ出しているという事実だけが私の目の前にあった。

 ラザールの言っていた言葉が脳裏に蘇る。

『世界の理そのものに干渉する力』

 彼の攻撃は物理的なものではない。

 概念そのものへの攻撃。

 守護結界という『守る』という理。

 その内側にいる仲間たちの『生きる』という理。

 その二つの理の隙間を縫って彼は仲間たちの命だけを的確に奪いに来たのだ。

 私にはそれが分かった。

 私の心眼がその冒涜的な力の流れを朧げにだが確かに捉えていたから。

 そして分かってしまった。

 私だけが無事な理由も。

 彼は私を生かしたのだ。

 この地獄を特等席で見せるために。

 私の希望が完全に絶望へと変わるその瞬間を味わうために。

「ああ……」

 喉から乾いた声が漏れた。

 ロザールさんが倒れる。

 ナターシャさんが動かない。

 メアリーが息をしていない。

 そして私の目の前では。

 ウオが苦しんでいた。

 私の愛した少年が。

 大魔王の呪縛と私の愛の間でその魂を引き裂かれながら。

「ぐ……あああああああああああああっ!!!!」

 彼の絶叫が私の心を抉る。

 金色の光と黒いオーラが彼の体の上で激しくせめぎ合っていた。

 もう限界だった。

 どちらの力も彼の魂を喰らい尽くそうとしている。

 このままではウオは……ウオという人格は完全に消滅してしまう。

 全て私のせいだ。

 私が弱いから。

 私が無力だから。

 私がウオを救おうなんて烏滸がましいことを考えたから。

 私の希望が彼をさらに苦しめている。

 ラザールの言う通りだった。

 私はただの観客。

 いや観客ですらない。

 この悲劇を加速させるためだけの舞台装置。

 涙はもう出なかった。

 感情という感情が全て燃え尽きて灰になってしまったかのようだった。

 後に残されたのはただ一つの冷たい冷たい決意だけ。

 私が全てを終わらせなければ。

 この悲劇の連鎖を断ち切るにはもうそれしかない。

 私はゆっくりと立ち上がった。

 不思議と体は動いた。

 ラザールは私を殺さなかったから。

 ウオも私を傷つけなかったから。

 この場で唯一五体満足で立っているのは私だけだった。

 あの記憶を思い出した私の瞳には覚悟が映っていた。

 そうか。

 私はずっと逃げていたんだ。

 自分の本当の姿から。

 自分が犯した罪から。

 エミールさんを殺したあの日から。

 私はずっと人間でいたいと願っていた。

 普通の女の子としてウオの隣で笑っていたいと。

 でもそれはもう叶わない。

 私は人間じゃない。

 私は悪魔なのだ。

 ならば悪魔として死のう。

 それが私にできる唯一の贖罪。

 もう一度悪魔になるという覚悟が私の魂を黒く染め上げていく。

「レシア!!! やめろ!!!!」

 何かを感じ取ったウオが叫ぶ。

 大魔王の力とせめぎ合いながら最後の力を振り絞って。

 その声が私の胸を締め付けた。

 行かないでと私を引き留める彼の魂の叫び。

 ごめんねウオ。

 でももう決めたんだ。

 私は君を苦しめるためだけに存在している。

 なら私が消えることが君にとっての唯一の救いになるはずだから。

 依然として私の意思は変わらない。

 私はここで犠牲になるつもりだ。

 人間ではなく悪魔として死ぬつもりだ。

 私は倒れている仲間たちを見回した。

 ロザールさん。

 不器用だけど誰よりも仲間思いなリーダー。

 貴方と出会えて良かった。

 貴方の強さが私に勇気をくれた。

 ナターシャさん。

 いつも優しく私を支えてくれたお姉さんのような人。

 貴方の光が私の道を照らしてくれた。

 メアリー。

 同じ闇を抱えながらも光を見つけようともがいていた健気な子。

 貴女の隣にいられて幸せだった。

 ありがとうみんな。

 短い間だったけど私にも家族ができたみたいで本当に嬉しかったよ。

 私はみんなに心の中で別れの言葉を告げる。

 そして最後にウオに向き直った。

 彼の金茶色の瞳が涙に濡れながら私を真っ直ぐに見つめている。

 ああそんな顔をしないで。

 君には笑っていてほしいのに。

 私のせいで君はずっと苦しんできた。

 だからこれが最後。

 私が君にしてあげられる最後の贈り物。

 私は少し悲しそうな顔で振り返りこう言った。

「ウオ……私のこと忘れないで?」

 忘れないでほしい。

 レシアという名の少女がいたことを。

 君を心の底から愛していた女の子がいたことを。

 たとえ私がこの後どれだけ醜い化け物になろうとも。

 君の記憶の中にいる私だけは綺麗なままでいさせて。

 私は目を閉じた。

 そして体中の魔力を解放する。

 思い出せ。

 六歳のあの日の感覚を。

 お父さんを殺したあの時の絶望的な力を。

 私の背中からどす黒いオーラが翼のように広がり始めた。

 肌が裂け骨が軋む。

 人間としての私が死に悪魔としての私が生まれ変わろうとしていた。

 そして彼女が悪魔化しようとした……次の刹那。

 信じられないことが起きる。

「レシア。やめてくれ。お前にそんな術は向いてない」

 その声を聞いた瞬間私の世界の時間が止まった。

 忘れるはずがない。

 忘れたことなんて一度もなかった。

 私の罪の記憶の中心にいつもいたその人の声。

 優しくて温かくてそして私がこの世で最も愛した人の声。

 刹那レシアとウオの瞳が大きく見開かれる。

 私達の目の前に一人の男が立っていた。

 いつの間にそこに。

 ラザールの絶対的な支配空間にどうやって。

 そんな理屈などどうでもよかった。

 ただその人がそこにいるという事実だけで私の魂は歓喜に打ち震えていた。

 何故ならそこにいたのは。

 日に焼けた肌。

 戦いの痕跡である左目の上の傷跡。

 そして私とウオを見つめるそのどこまでも優しい蒼い瞳。

「大きくなったな。ウオ! レシア!! 俺はすべての記憶を思い出したからな!! 安心してくれ!!」

 1度目は私に殺され、2度目はリリアの駒として偽りの生を与えられ……

 2度死んだはずのエミールさんであった。


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