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 第六部 ファイナルタワー編

 第二章:賢者の仮面 狂人の心

 夜が更けても私の意識は冴え渡っていた。

 仲間たちの穏やかな寝息が聞こえる。ロザールさんナターシャさんメアリー。三人は久しぶりのベッドの心地よさに身を委ね深い眠りに落ちているようだった。彼らの心はラザールさんという新たな希望を見出し安堵に満ちている。

 だが私は眠れなかった。

 ラザールさんという存在が私の心を乱し続けていたからだ。彼の心の静寂が不気味でならなかった。まるで嵐の前の静けさ。これから起こるであろう破滅的な何かを予感させていた。

 私はそっとベッドを抜け出し音を立てないように部屋を出た。

 向かったのは最上階のホール。私達がラザールさんと話をしたあの場所だ。

 ホールは静まり返っていた。

 巨大なステンドグラスから差し込む不気味な紫色の月明かりが床に幻想的な模様を描き出している。

 ラザールさんはいない。

 外の空気を吸ってくると言っていたがまだ戻っていないのだろうか。それともどこかの部屋で眠っているのか。

 私はステンドグラスの前に立ち窓の外を眺めた。

 ここからは眼下に広がる荒廃した大地が一望できた。かつてウオが父であるエミールさんと共に旅をした道。その風景はまるで世界の墓場のようだった。黒いガラス質の地面が月明かりを反射して鈍く光っている。

 本当にこの世界は救われるのだろうか。

 私達の戦いは意味があるのだろうか。

 ウオを助け出したとしてその先に待っているのは本当に幸せな未来なのだろうか。

 そんな弱気な考えが頭をよぎる。

 その時だった。

 私の心眼が捉えた。

 塔の遥か下。地上で。

 ラザールさんの心の気配を。

 それは相変わらず完璧な幾何学模様を描いていた。

 そしてその隣にもう一つの気配を。

 それはあまりにも禍々しくそして馴染み深い絶望の気配だった。

 リリアさん。

 ウオのお母さん。

 なぜあの二人が一緒に。

 まさか。

 私の脳裏に最悪の可能性が浮かび上がる。

 ラザールさんは敵と通じている。

 いや彼自身が敵そのもの。

 そう思った瞬間。

 私の全身を悪寒が走り抜けた。私達は罠に嵌められたのだ。

 私は急いで仲間たちの部屋へと戻ろうとした。

 危険を知らせなければ。ロザールさん達を起こさなければ。

 だがそれは遅かった。

 私の背後の闇から静かな声がした。

「どこへ行くのかねレシア君」

 振り返るとそこにラザールさんが立っていた。

 いつの間に。

 気配が全くしなかった。彼の移動は完全に無音だった。

 彼の顔にはいつもの穏やかな笑みが浮かんでいる。

 だがその瞳の奥。

 完璧な幾何学模様の中心でどす黒い狂気が渦を巻いているのを私の心眼は見逃さなかった。

「……見てしまったようじゃな。儂の秘密を」

 彼は残念そうに首を振った。その声にはもう慈愛の響きはなかった。ただ冷たい無機質な音がそこにあるだけだった。

「君のその瞳は少々見えすぎる。儂の計画にとっては少々邪魔じゃのう」

 計画。

 やはり彼が全ての黒幕。

「ジェイク殿もライアという小娘もそして君の大切なウオ君も。全ては儂の計画通り。儂の掌の上で踊っておるに過ぎん」

 彼は楽しそうに語る。その言葉の一つ一つが私の心を絶望の淵へと突き落としていく。ジェイクさんが死んだのもライアが苦しんだのも全てこの男の筋書き通りだったというのか。

「さてどうしたものか。ここで君を消してしまうのが一番手っ取り早いが……それでは面白くない」

 彼は顎に手をやり思案するように言った。その仕草はまるでチェスの駒を動かす名人のようだった。

「そうだ。一つ面白いことを思いついた」

 彼は私に向き直るとその瞳を不気味に輝かせた。

「君に選択肢を与えてやろうレシア君。これから起こる悲劇の筋書きを君自身に選ばせてやる」

 選択肢?

 悲劇の筋書き?

 何を言っているんだこの狂人は。

 そう私が思ったその時だった。

 ラザールさんが何かを合図するように指を鳴らした。

 パチンという乾いた音がホールに響く。

 その瞬間。

 私の心眼が捉えたのだ。

 ラザールさんの心がほんの一瞬。

 ほんの僅か。

 どす黒い方向に揺れたのを。

 それは完璧な幾何学模様に生じた初めてのそして唯一の乱れだった。

 彼がリリアさんを呼び寄せるための合図。

 そして私は理解した。

 これから何が起きるのかを。

 私の魂が絶叫した。

 ダメだ。

 ここにいてはダメだ。

 みんなを逃がさなければ。

「みんな避けて!!!」

 私は最後の力を振り絞り部屋の奥で眠る仲間たちに向かって叫んだ。

「何か来る!!!!」

 私の絶叫と同時。

 ホールの巨大なステンドグラスが内側から凄まじい轟音と共に粉々に砕け散った。

 ガラスの破片が嵐のように部屋中を舞う。

 そしてその砕け散った窓の外から音速で一つの影が飛び込んできた。

 黒いドレスを纏った銀髪の女。

 ウオのお母さんにして私達を苦しめた元凶。

 リリアさんだった。


 第三章:絶望の選択肢 平和への渇望

 一

 ガラスの破片が嵐のように吹き荒れる中リリアさんは音もなく床に着地した。その所作は優雅でありながら死神の舞踏のように禍々しい。月明かりを浴びた彼女の銀髪がキラキラと輝きその美しさが逆にこの世のものとは思えない恐怖を私に感じさせた。彼女の冷たい瞳が眠りから覚め茫然と立ち尽くすロザールさん達をそして私を射抜いた。

「あらあら随分と賑やかですこと」

 彼女は楽しそうにその唇を歪めた。その声は鈴を転がすように美しいのに私の魂を直接凍てつかせるような冷たさを持っていた。

「お師匠様! これは一体どういうことです!」

 ロザールさんがラザールさんに向かって叫ぶ。彼の心は混乱の極致にあった。信じていた師が敵を呼び寄せた。その事実が彼の脳の処理能力を超えていた。彼の心に広がっていくのは純粋な信頼が裏切られた時の深い絶望の波紋だった。

「見たままだよロザール君」ラザールさんは肩をすくめた。その態度はどこまでも飄々としていて自分の行いを悪びれる様子は微塵もなかった。「儂とリリアは協力関係にある。いや儂が彼女を使っていると言った方が正しいかのう」

「そんな……!」ナターシャさんが絶句する。彼女の心は敬愛する師の裏切りに深く傷つき悲しみの色に染まっていた。メアリーはただ震えているだけだった。彼女は『愛眼』の恐ろしさを誰よりも知っている。その頂点に立つリリアさんとそしてその背後にいるラザールさんという存在にただただ怯えていた。

「さてレシア君」ラザールさんは私に向き直った。「君の叫びのおかげで皆目を覚ましてくれたようじゃな。では始めようか。君に与える絶望の選択肢とやらを」

 彼は一歩下がり舞台の主役をリリアさんに譲る。まるでこれから始まる演劇の開幕を宣言する演出家のように。

 リリアさんはゆっくりと私達に歩み寄ってきた。その一歩一歩が私達の命の終わりを告げるカウントダウンのようだった。カツンカツンと彼女のヒールの音が静まり返ったホールに不気味に響く。

 だが彼女は攻撃してこなかった。

 私達の目の前で立ち止まると意外な言葉を口にしたのだ。

「貴女達に最後の希望を与えましょう」

 希望?

 この状況で?

 この女の口からそんな言葉が出てくるなんて信じられなかった。

「そのためにはまず……私の話を聞いて」

 彼女は語り始めた。その声は静かだったがホール全体に響き渡る不思議な力を持っていた。それは聞く者の心を無理やり引きつける抗いがたい魔力を含んでいた。

「私は憎しみよりも大きな平和への渇望を抱いているの」

 その言葉に私達は耳を疑った。

 平和?

 この女が?

 ジェイクさんを殺しライアを苦しめウオを絶望の淵に突き落としたこの女が。

「この世界は戦いが消えない。人間も魔族も……お互いを睨み合っている。何より魔族の同胞が憎き人間に殺されるのが耐えられない。ジェイク・ローデルベルクのような偽りの英雄によって父が殺されたように」

 彼女の瞳に深い悲しみの色が浮かぶ。それは演技ではない。私の心眼が告げている。彼女は本気でそう信じているのだ。彼女の中ではジェイクさんは英雄ではなく父を殺した憎むべき敵なのだ。

「だから私が大魔王様を介して人間だけでなく魔族をもコントロールすることにしたの。全ての争いの芽を摘み取り永遠の平和を実現するために」

「その鍵となるのはキミシダイ帝国。私と大魔王様の強大な魔力でその解釈を広げれば世界反転魔法だけでなく世界そのものをコントロールできる。つまり戦争がなくなり悪となった人間は何もできなくなる」

 彼女の壮大な計画。

 それはあまりにも独善的で狂気に満ちていた。

 だがその根底にあるのが純粋な平和への渇望なのだとしたら。

 私は勇気を振り絞り彼女に問いかけた。

「世界を管理できるのに何故人間を悪にして虐げるのですか? 平和を望むなら全ての種族が平等であるべきじゃないのですか?」

 私の問いにリリアさんは悲しそうに微笑んだ。その表情はまるで物分かりの悪い子供を諭す母親のようだった。

「私や大魔王様の世界の管理にも限界があるの。全ての個人の思考を完全に支配することは不可能。自由意志という不確定要素が残る限り争いの火種は消えない。だから私は世界の共通の敵を作ることで世界平和を作りやすくしたの。人間を悪として世界管理の能力で力を奪い思考すらコントロールする。これこそが私の平和よ」

 管理された平和。

 作られた敵。

 それは本当の平和なんかじゃない。

 ただの家畜の安寧だ。

「それなら魔族同士の戦争が起こるのでは?」私はさらに食い下がった。「人間という共通の敵がいなくなれば今度は魔族の中で争いが起きるんじゃないですか?」

「それも私と大魔王様による魔族の思考のコントロールで防げるわ。キミシダイ帝国の解釈を広げた世界では何でもできるのよ」

 彼女の答えは完璧だった。

 彼女の理論には一点の隙もない。

 だがその完璧さこそが何よりも恐ろしかった。

 彼女は人の心を理解していない。

 愛も憎しみも喜びも悲しみも全てをただの管理すべきデータとしか見ていない。彼女の言う平和とは感情を失った人形たちが暮らす色のない世界なのだ。

 その時だった。

「お師匠様……! なぜ黙っているのです! こいつは狂っている! 早く俺達と一緒に……!」

 ロザールさんがラザールさんに助けを求めた。彼の心はまだ師への信頼を完全に捨てきれてはいなかった。

 ナターシャさんとメアリーも不安そうな目でラザールさんを見つめている。

 だがラザールさんは動かない。

 ただ面白そうにこの光景を眺めているだけ。その姿を見て私の心は完全に冷え切った。

 やはりこの人は敵だ。

 私達の絶望を肴に酒でも飲むかのような絶対的な悪意。

「そしてここでレシア達に一つ提案があるわ」

 リリアさんが言った。

 その瞳は私達を憐れむかのようだった。

「みんな……魔族にならない? 魔族になるなら生かしてあげるよ」

 それは最後の選択肢。

 希望という名の絶望への招待状だった。

 二

 魔族になる。

 リリアさんのその提案は死刑宣告よりも重く私達の心にのしかかった。

 それはただ生き延びるためだけの選択肢ではなかった。

 私達がこれまで戦ってきた理由そのものを否定し自分達の魂を売り渡すことと同義だったからだ。

「ふざけるな!」

 最初に叫んだのはロザールさんだった。彼の心は怒りの炎で燃え盛っている。

「誰がお前達の仲間になるものか! 俺は両親を殺したお前をこの手で……!」

「あらそう」リリアさんは彼の言葉をあっさりと遮った。「残念ね。貴方のその剣の才能は魔族になればさらに開花したでしょうに」

 彼女の視線が次にナターシャさんとメアリーに向けられる。

「貴女達はどうかしら? 特にそこの闇魔法を使う子。人間でありながらそれだけの闇を扱えるなんて素晴らしい才能よ。私達の仲間になればもっと高みを目指せるわ」

 メアリーは恐怖に震えながらも強く首を横に振った。その心には私達への揺るぎない忠誠心が灯っている。

「……私は……レシアさん達といます……! もう二度と闇には戻らない……!」

「そう……」リリアさんは心底残念そうにため息をついた。「では貴女はどうなの? レシア」

 全ての視線が私に集まる。

 私はリリアさんを真っ直ぐに見つめ返した。

 そしてはっきりと告げた。

「お断りします」

 私の声は震えていなかった。

「私達は人間としてあなた達と戦います。そして必ずウオを助け出します。それが私達の答えです」

 私の言葉にリリアさんは一瞬だけ驚いたように目を見開いた。そして次の瞬間その顔に深い深い悲しみの色を浮かべた。

「……そう。やはり貴女もそちら側なのね。……残念だわ」

 彼女の心の波紋が初めて大きく揺れた。

 それは純粋な悲しみ。

 まるで愛する我が子に拒絶された母親のような。

 だがその感傷は一瞬で消え失せた。

 彼女の瞳に再び氷のような冷たさが戻る。

「ならば仕方ないわね。ここで貴女達には死んでもらう」

 彼女の全身から禍々しいオーラが噴き上がった。

 冠位装填。

 戦いが始まる。

 私達は覚悟を決めて武器を構えた。

 だがその私達の前にラザールさんが静かに立ちはだかった。

「待てリリア」

 彼は言った。

「こいつらの処遇は儂が決める」

「あら? お師匠様。約束が違うではありませんか」

「計画に変更はない。だがこの者達にはまだ利用価値がある」

 ラザールさんは私達を見回した。その瞳は獲物を見定める狩人のように冷たい。

「特にこのレシア君。彼女のその瞳はウオ君を完全に覚醒させるための最後の鍵となるやもしれん。今殺してしまうのは惜しい」

 彼の言葉にリリアさんは不満そうに眉をひそめたが逆らうことはなかった。この二人の中ではラザールさんの方が上位の存在なのだ。

「……分かりましたわ。貴方様がそうおっしゃるなら」

「うむ」ラザールさんは頷くと私達に向き直った。「さて若人たちよ。君達にはこれから本当の地獄を見てもらうとしよう。君達の希望が絶望へと変わるその瞬間を儂は特等席で眺めさせてもらうとしようかのう」

 彼はそう言うと高らかに笑った。

 その笑い声はもはや賢者のそれではない。

 世界の破滅を望む狂人の哄笑だった。

 私達の戦いはまだ終わらない。

 いや本当の意味での絶望は今この瞬間から始まろうとしていた。

 私達はファイナルタワーの最上階で二人の狂人が作り出す悪夢の舞台の役者として、ただ立ち尽くすことしかできなかった。


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