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第六章:伝説の英雄譚、その一閃

私達は新しい仲間を手に入れた。

いや違う。

私達は絶望の淵にいた一人の魂を救い出したのだ。

それはどんな戦いの勝利よりも尊くそして温かい奇跡だった。

部屋の中央でメアリーと名乗った少女はまだ泣きじゃくっていた。長い間溜め込んできた感情の堰が切れたように、その瞳からはとめどなく涙が溢れている。私は彼女の隣に静かに座りその小さな背中を優しくさすり続けた。言葉は必要なかった。ただ傍にいること。それだけで凍てついた人の心は少しずつ溶けていくのだと、私自身が教えてもらったから。

しばらくして部屋の扉が勢いよく開かれた。

「レシア! 無事か!」

「大丈夫!?」

ロザールさんとナターシャさんだった。二人の服はところどころ破れその顔には激しい戦いの跡が刻まれていたが、その瞳には確かな勝利の光が宿っていた。彼らもまたそれぞれの戦場を乗り越えてきたのだ。

二人は部屋の中の惨状と泣いているメアリー、そしてその隣にいる私を見て一瞬言葉を失っていた。

「……そいつは……」ロザールさんが警戒を滲ませた声で尋ねる。「親衛隊の幹部じゃなかったのか?」

「うん」私は頷いた。「でももう違うよ。この子はメアリー。私達の新しい仲間」

私のその言葉にロザールさんは訝しげに眉をひそめた。無理もない。ついさっきまで敵だった相手をそう易々と信じられるわけがない。だが彼の隣でナターシャさんが優しく微笑んだ。

「そっか……。良かった」

彼女は私の心眼が見たものと同じものを、その優しい心で感じ取ってくれたのかもしれない。メアリーがただの悪人ではないということを。

「辛かったね。もう大丈夫だよ」

ナターシャさんはメアリーの前に屈み込むと、その栗色の髪をそっと撫でた。その慈愛に満ちた仕草にメアリーの嗚咽が少しだけ和らぐ。

ロザールさんもそんな二人の様子を見て何かを察したのだろう。彼は一つ大きなため息をつくとやれやれと頭を掻いた。

「……まあお前がいいって言うなら信じるしかねえか」

その不器用な優しさが彼らしかった。

私達はついにダイン親衛隊の幹部三人を全員打ち破ったのだ。

倒した者そして救い出した者。

形は違えど私達は確かに、ジェイクさんから与えられた試練を乗り越えた。

だが安堵している暇はなかった。

ズゥゥゥン……!

砦全体が地鳴りのように激しく揺れた。

壁から埃がぱらぱらと舞い落ちる。

「……ジェイクさんとダインの戦いだ」

ロザールさんが緊張した面持ちで呟いた。

そうだ。私達の戦いは終わったが本当の戦いはまだ続いているのだ。

私達は顔を見合わせた。

ジェイクさんは言っていた。『早く片付けて、俺の戦いを見に来いよ』と。

「行こう!」

私が言うと三人は力強く頷いた。

私はまだ立ち上がれないメアリーの肩を支える。

「メアリー、立てる?」

「……うん……」

彼女は涙に濡れた顔でこくりと頷いた。

私達は謁見の間を飛び出し、ジェイクさんとダインが戦っているであろう砦の入り口へと急いだ。

砦の入り口へと続く長い廊下を私達は走った。

先ほど私が通ってきた時には静寂に包まれていたはずの場所。

だが今はまるで嵐の中心にいるかのようだった。

ドドォォォン!!!

壁が砕け散る。

天井が崩落する。

凄まじい衝撃音が断続的に砦全体を揺るがしていた。

それはただの剣戟の音ではない。

二つの人知を超えた力が激突する音。

私達は息を呑みながらその音の中心へと近づいていく。

そしてついに、入り口の大広間へとたどり着いた。

そこに広がっていたのは地獄のような光景だった。

あれほど堅牢だったはずの石造りの広間は見る影もなく破壊し尽くされていた。

床には巨大なクレーターがいくつも穿たれ、壁はまるで巨人に殴りつけられたかのように大きく抉られている。

そしてその破壊の中心で、二つの影が目にも留まらぬ速さで交錯していた。

一人はジェイクさん。

その手には古びた木刀だけ。だが彼のその身のこなしは神業としか言いようがなかった。

彼はただ防御に徹している。

ダインが放つであろう嵐のような猛攻のその全てを、最小限の動きで受け流しいなしている。

まるで荒れ狂う大波と戯れる老練な船乗りのように。

そしてもう一人。

『沈黙』のダイン。

その姿は私達が最初に出会った時よりもさらに凶暴性を増していた。

銀色の体毛は逆立ちその黄金色の瞳は憎悪と屈辱の炎で燃え盛っている。

彼の両腕の爪は禍々しい闇のオーラを纏い、振われるたびに空間そのものを切り裂くかのごとき斬撃を放っていた。

「なぜだ……! なぜ当たらん!!!」

ダインが絶叫する。

彼の攻撃は間違いなく山をも砕く威力を持っている。

だがその全ての攻撃はジェイクさんの纏う見えない何かに阻まれ、その体に届くことはなかった。

私達はそのあまりにも次元の違う戦いをただ呆然と見つめることしかできなかった。

あれが伝説の勇者。

そしてあれが『愛眼』の執行者。

私達がこれまで戦ってきた相手とは格が違う。

「……すごい……」

ロザールさんが感嘆とも絶望ともつかない声を漏らした。

彼の瞳はジェイクさんの神業のような剣捌きに釘付けになっていた。

だが戦況は拮抗しているように見えてその実、ジェイクさんが圧倒的に有利なわけではなかった。

彼はあくまで防御に徹している。

私達に『見取り稽古』をさせるために。

だがその防御の裏でダインの力が徐々に増大していくのを私の心眼は捉えていた。

ダインの心の波紋。

それは最初静まり返った湖面のようだった。

だがジェイクさんという絶対的な存在を前にその静寂は徐々に乱され、今や荒れ狂う嵐と化している。

屈辱、怒り、憎悪。

その負の感情が彼の魔力を際限なく高めていた。

「ジェイク・ローデルベルク……!」ダインが呻く。「伝説の勇者だと……? ふざけるな! 俺がこの俺が六十年前に死んだはずの亡霊ごときに後れを取るものか!」

彼の全身からそれまでとは比較にならないほどの禍々しい魔力が噴き上がった。

それは私があの王都で見たウオのお母さんであるリリアさんや、ライアが使っていた力。

世界の理に選ばれた強者のみが許されるという魔法の極致。

「貴様を殺す。貴様を殺して俺はあの方の右腕となる!」

ダインが絶叫する。

彼の人狼の姿がさらに変貌していく。

体は一回りも二回りも巨大化しその銀色の毛皮は血のような赤黒い色へと変わる。背中からは蝙蝠のような皮膜の翼が生え、その黄金色の瞳は純粋な破壊衝動だけを映し出す真紅へと染まっていった。

冠位装填。

その圧倒的な力の奔流を前に私達は後ずさることしかできなかった。

「面白い」

だがジェイクさんはその化け物を前にしても一切動じていなかった。

彼はただ静かにそしてどこか楽しそうにそう呟いた。

変貌を遂げたダインが咆哮する。

そしてその姿が掻き消えた。

次の瞬間彼はジェイクさんの目の前にいた。

その禍々しい爪がジェイクさんの顔面を薙ぐ。

ジェイクさんはそれを木刀で受け止める。

だが今度の一撃は今までとは明らかに威力が違った。

バキィッ!

という乾いた音と共にジェイクさんの木刀が中央から真っ二つに折れた。

そしてダインの爪がジェイクさんの頬を浅く切り裂く。

一筋の赤い血がジェイクさんの頬を伝った。

初めてジェイクさんが傷を負った。

その事実に私達は息を呑んだ。

「は……はは……ははははは!」

ダインが狂ったように笑い始めた。

「効いたぞ! 効いた! やはりただの人間! この冠位装填を遂げた俺の前では無力!」

彼は勝利を確信していた。

だがジェイクさんは傷を負ってもなおその表情を一切崩さなかった。

彼は指で頬を流れる血を拭うとその血を興味深そうに眺めた。

そして私達の方を振り返りにやりと笑ったのだ。


「みんな来たようだな」

ジェイクさんのその声は驚くほど穏やかだった。

まるで近所の子供たちに声をかけるような気軽な口調。

だが私達は知っていた。

その穏やかさの裏に隠された底知れない強さの片鱗を。

「ではこちらも冠位装填を使うとしよう」

その言葉に今度はダインが息を呑む番だった。

「……なんだと……?」

ジェイクさんはそんなダインを意にも介さず私達、特にロザールさんに向かって言った。

その瞳には師匠としての厳しさと優しさが宿っていた。

「三人ともよく見ておけ。……特にロザール坊っちゃん。これがアンタのたどり着くべき"強さ"の最終地点だ」

その言葉が何を意味するのか。

私達にはまだ分からなかった。

「ふざけたことを……!」

ダインが再び襲いかかってくる。

その全てを破壊し尽くさんとする一撃がジェイクさんに迫る。

だがジェイクさんは動かない。

ただ静かに目を閉じそして詠唱した。

そのたった一言を。

「冠位装填―――“Re:0”」

ジェイクさんがそう言い放った瞬間。

世界が光に包まれた。

いや違う。

光ではない。

時間が歪んだのだ。

私の目の前で信じられない光景が繰り広げられた。

ジェイクさんの体に刻まれた深い皺が見る間に消えていく。

雪のように白かった髪が艶やかな漆黒へと変わっていく。

少し曲がっていた背筋が天を突くようにまっすぐに伸びる。

その顔から老いの影が消え失せ、代わりに精悍で自信に満ち溢れた青年の顔が現れた。

ジェイクさんが全盛期の姿に若返ったのだ。

そこに立っていたのはもはや好々爺然とした老人ではなかった。

歳はおそらく二十代半ば。

その鋭い眼光は星々のように輝き、その全身から放たれるオーラはもはや人間という枠組みを遥かに超えていた。

伝説の大英雄。

その名に相応しい神々しいまでの立ち姿。

「これが俺の冠位装填……擬似的な若返りだ」

若返ったジェイクさんが静かに言った。

その声もまた若々しく張りのある声に変わっていた。

「もっともこの冠位装填のありがたみを俺が感じるようになったのは、五十歳になってからだがな」

彼は悪戯っぽくそう笑った。

その言葉が言い終わった時には既に全てが終わっていた。

私には何が起きたのか全く分からなかった。

ジェイクさんが動いたことすら認識できなかった。

ただ目の前でダインの巨大な体が動きを止め、その首が胴体からずり落ちゴトリと重い音を立てて地面に転がっただけ。

……しかし。

私達は勝利を確信し安堵の息をつこうとした。

その瞬間だった。

地面に転がったダインの生首がその真紅の瞳を見開き、喋り出したのだ。

「……ジェイクか」

その声は静かだった。

だがその静けさの中には先ほどまでの狂気とは全く質の違う、底なしの憎悪とそして初めて感じたであろう敗北という屈辱が渦巻いていた。

「お前、名前……覚えたからな」

ダインはそう言うと、胴体を失ったはずの体がまるで意思を持っているかのように動き出し自らの生首を拾い上げた。

そして若返ったジェイクさんが一瞬だけ見せた虚を突き、凄まじい速度で砦の奥へと逃げ去っていった。

あっという間の出来事だった。

私達はただ呆然とその場に立ち尽くすことしかできなかった。

後に残されたのは半壊した大広間と、全盛期の姿のままやれやれと肩をすくめているジェイクさんの姿だけ。

「……ちっ。不死身かあいつは」

ジェイクさんは忌々しげにそう吐き捨てた。

そして彼の若々しかった姿がまるで幻だったかのように、再び元の老人の姿へと戻っていく。

私達は戦いに勝った。

だが敵を討ち取ることはできなかった。

そして私達は知ってしまったのだ。

ジェイク・ローデルベルクという伝説の本当の力を。

そしてそんな彼ですら一撃で仕留めきれない『愛眼』の執行者の底知れない恐ろしさを。

私の本当の英雄譚はまだ始まったばかり。

その道のりは想像を絶するほど長くそして険しいものになるだろう。

だが私の心にはもう迷いはなかった。

この頼れる仲間たちとそして伝説の英雄と共に。

私は必ずウオを救い出してみせる。

そう固く固く誓った。





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