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「これで、私が2人の敵だということが分かったはず」

彼女は地面から剣を引き抜くとゆっくりと俺達に背を向けた。その背中がひどく小さく見えた。

去ろうとする彼女に俺は最後の力を振り絞って叫んだ。

「ライア!!!」

彼女の足が止まる。だが振り返ることはなかった。

「ウオ。私と仲間になることはあきらめて。他の仲間やレシアと幸せになって」

それが彼女の最後の言葉だった。

その言葉を残すと彼女の体は黒い霧となって掻き消えた。翼を羽ばたかせる音も空を飛ぶ影もなかった。ただ忽然とそこにいたはずの存在がこの世界から消え失せた。

後に残されたのは夕闇に包まれた嘆きの丘と傷だらけで立ち尽くす俺とレシアそして地面に突き刺さった剣が作った深い傷跡だけだった。

どれくらいの時間そうしていただろうか。

俺はへたり込むレシアの隣に崩れるように座り込んだ。肩の傷がズキズキと痛む。だがそれ以上に心が痛かった。

ライアは敵だった。

その事実は揺るがない。俺達を裏切り剣を向けた。

だが彼女の最後の涙。

「幸せになって」という言葉。

それは敵に向ける言葉じゃない。

「……嘘つき」

隣でレシアがぽつりと呟いた。その声は怒りではなく深い悲しみに濡れていた。

「あの子……最後まで嘘つきだったね。敵だって言いながら全然本気じゃなかった。私達が憎いならもっと容赦なく殺せたはずなのに」

レシアの言う通りだった。ライアは俺達を殺せた。何度もその機会はあった。だが彼女はそうしなかった。

彼女の覚悟。

彼女が「救おう」としているもの。

そのために彼女はあえて俺達の敵となり俺達の前から去るという道を選んだのではないか。

俺達を遠ざけるために。

俺達をこれ以上危険な道に引きずり込まないために。

もしそうだとしたら。

なんという不器用でなんという自己犠牲的なやり方だろうか。

「……行こう」

俺は立ち上がった。まだ体は痛む。だが休んでいる暇はなかった。

「え……どこへ?」

レシアが涙に濡れた顔で俺を見上げる。

俺は北の空を見据えた。ライアが故郷だと語った雪深い山脈が広がる方角。

「決まってるだろ」

俺の声に迷いはなかった。

「あいつを追いかけるんだ」

「でも……あきらめてって……」

「あきらめるわけないだろ」俺はレシアの手を取り彼女を立ち上がらせた。「あいつは一人で何かを背負い込んでる。俺達に嘘をついてまで守ろうとしている何かがあるんだ。それを放っておけるかよ」

俺はレシアの目を真っ直ぐに見つめた。

「俺はあいつを信じる。仲間だからな」

それは誓いだった。たとえ彼女が俺達を拒絶しようとも俺は彼女との絆を諦めない。

俺の言葉にレシアの瞳が揺れた。彼女はしばらく黙って俺の顔を見つめていたがやがて小さくしかし力強く頷いた。

「……うん。そうだね。私達は三人で一つのパーティーだもんね」

彼女の顔にようやく笑顔が戻った。その笑顔はまだ少しだけ痛みを湛えていたが俺達がこれから進むべき道を照らすには十分すぎるほど明るかった。

俺達は傷ついた体を引きずりながら丘を下り始めた。

夜の闇が完全に世界を覆っていたが不思議と怖くはなかった。

俺達には進むべき道がある。

取り戻すべき仲間がいる。

ライア、お前がどんな嘘をつこうとも俺達はお前を見つけ出す。そしてお前が一人で背負っているその荷物を俺達にも背負わせろ。

俺は心の中でそう誓った。

俺達の旅はまだ終わらない。いや本当の意味で始まったのは今この瞬間からなのかもしれない。

嘘つきの彼女に本当の鎮魂歌レクイエムを歌ってやるための旅が。


第三部 ライア編

第五章:反逆者の鎮魂歌レクイエム

ライアが俺達の前から姿を消して三日が過ぎた。

焦りが鉛のように腹の底に溜まっていくのを感じていた。二百日という死刑宣告の砂時計は俺達の都合などお構いなしにその砂を落とし続けている。一日一日と村が死に近づいていく感覚が俺の精神を苛んだ。

「大丈夫だよウオ。きっと見つかる」

隣を歩くレシアが俺の顔を覗き込み力付けるように微笑む。彼女は俺が不安に押し潰されそうになるたびにこうして手を差し伸べてくれた。その優しさがありがたくて同時に自分の不甲斐なさが歯痒かった。

俺達はあの日以来ライアの行方を追って街から街へと渡り歩いていた。だが手がかりは皆無だった。彼女ほどの腕利きが本気で身を隠せば俺達のような素人同然の追跡者に見つかるはずもない。冒険者ギルドで情報を集めようにも「銀髪で赤い瞳の翼を持つ少女」なんて突拍子もない人相書きは酒場の笑い話にされるのが関の山だった。

「今日も駄目だったね」

その日も俺達はとある街のギルドで徒労に終わっていた。カウンターの女性は俺達を哀れな妄想に取り憑かれた子供を見るような目で見ていたし周囲の冒険者達のひそひそ笑いが背中に突き刺さる。もう何度目になるか分からない屈辱だった。

「焦らないでいこう。ライアだってきっとどこかで無事でいるよ」

レシアはそう言って俺を励ます。だが彼女の笑顔に僅かな翳りがあることに俺は気づいていた。彼女もまた不安なのだ。俺と同じように。それでも俺を支えるために気丈に振る舞ってくれている。その健気さが俺の胸を締め付けた。

俺は一体何をやっているんだ。

彼女にこんな顔をさせるために村を出たわけじゃない。

俺は壁に貼られた依頼書を眺めるふりをして自分の無力さを噛み締めていた。その時だった。ギルドの隅にあるテーブルで古びた新聞を広げていた老人の記事がふと目に留まった。その見出しに俺の心臓が凍りついた。

『王都速報:世界を脅かす悪の組織『愛眼』内部抗争か。裏切り者に死の鉄槌を』

王都。愛眼。その単語だけで俺の全身の血が逆流するような感覚に陥る。俺は老人に断りもせずその新聞をひったくるように手に取った。記事は小さかった。だがそこに書かれていた内容は俺達のこれまでの三日間を嘲笑うかのようにあまりにも残酷で明快な答えを突きつけていた。

『今日の昼頃、旧王城跡に特設された処刑台にて『愛眼』の裏切り者とされる少女の公開処刑が執り行われる模様。情報筋によれば裏切り者の名は“嘘つき”のライア。彼女は組織の最高機密を外部に漏洩しようとした罪で同組織の長であるリリア自らの手によって裁かれるという』


「……なんだよ……これ……」

俺の喉から掠れた声が漏れた。新聞を持つ手がカタカタと震える。嘘だ。何かの間違いだ。だって今日は。今この瞬間も時間は進んでいる。今日の昼頃。もう残された時間はほとんどないじゃないか。

「ウオ……?」

俺の異変に気づいたレシアが記事を覗き込む。そして彼女の顔からさっと血の気が引いていくのが分かった。

「そんな……ライアが……処刑……?」

絶望が部屋の空気を満たした。俺達がこうして無為に過ごしている間に彼女は捕まりそして今まさに殺されようとしている。俺達を遠ざけるための嘘。その結果がこれなのか。俺達を幸せにと言い残した彼女が今たった一人で死の淵に立たされている。

ふざけるな。

ふざけるな。

ふざけるな!!!!

腹の底からマグマのような怒りが噴き上がった。それは母リリアに対する怒りであり『愛眼』という理不尽な組織に対する怒りでありそして何より自分の無力さに対するどうしようもない怒りだった。

俺は新聞をぐしゃりと握り潰した。

「ウオ……」

レシアが涙声で俺の名を呼ぶ。彼女の瞳が「どうしよう」と俺に問いかけていた。

決まっている。

答えは一つしかない。

俺は顔を上げた。レシアの潤んだ翠色の瞳を真っ直ぐに見つめる。

「行こう」

俺の声に迷いはなかった。

「王都に!! ライアを助けるために!!」

俺の絶叫がギルドの喧騒を切り裂いた。周囲の冒険者達が何事かとこちらを振り返る。だがもうそんなことはどうでもよかった。

レシアは俺の言葉に一瞬だけ目を見開いたがすぐにその瞳に俺と同じ決意の光を宿した。彼女は涙をぐいと拭うと力強く頷いた。

「うん!!!」

俺達はギルドを飛び出した。幸運だったのは俺達が今いるこの街が王都から馬車で半日ほどの距離にあったことだ。全力で走れば間に合うかもしれない。

その僅かな可能性に俺達は全てを賭けた。

王都の正門が見えてきたのは午前十時を少し回った頃だった。

息は切れ心臓は破裂しそうだった。だが俺達は足を止めなかった。門の前には武装した衛兵が何人も立ち物々しい雰囲気に包まれている。今の王都は完全に『愛眼』の支配下にあるのだろう。

「どうするのウオ。正面からは無理だよ」

レシアが喘ぎながら言う。

「いや正面から行く」

俺は即答した。裏口や抜け道を探している時間はない。たとえ無謀だろうとこの壁をこじ開けて進むしか道はなかった。

俺は腰の剣を抜いた。衛兵達が俺達に気づき槍を構える。

「止まれ! 何者だ!」

問答無用。俺は地面を蹴った。父さんに鍛えられた剣術とこの一年間で培った実戦経験。そして何よりライアを助けるという一心不乱の覚悟が俺の体を常人離れした速度で動かしていた。

衛兵達が反応するよりも早く俺は門番の懐に飛び込みその鳩尾に柄頭を叩き込む。呻き声を上げて崩れ落ちる衛兵。残りの衛兵達が驚愕に目を見開く隙に俺はレシアの手を掴み門の内側へと駆け込んだ。

警鐘がけたたましく鳴り響く。

「侵入者だ! 捕えろ!」

街のあちこちから衛兵やそして武装した民衆が駆けつけてくる。彼らの目は狂信的な光を宿していた。俺達を『悪』だと断じ裁こうとする瞳。一年前の悪夢が蘇る。

だが今の俺はあの時の無力な少年じゃない。

「レシア! 俺から離れるな!」

「うん!」

俺はレシアを背後にかばいながら旧王城跡へと続く大通りを疾走した。追い立ててくる民衆から石や棒が投げつけられる。そのいくつかが俺の背中や腕を打ち据え鈍い痛みが走った。だが俺は決して彼らに刃を向けることはしなかった。

彼らは操られているだけだ。騙されているだけだ。父さんが最後まで守ろうとした人々を俺が傷つけるわけにはいかない。俺は全ての攻撃をその身で受け止めながらただひたすらに前へと進んだ。

レシアが俺のすぐ後ろを走りながら叫ぶ。

「ウオ、右から三人! 棍棒持ってる!」

「左、屋根の上から弓兵!」

彼女の的確な指示が俺の死角を補ってくれた。俺は飛んでくる矢を剣で弾き棍棒を振りかざす男達の間をすり抜ける。暴力の嵐の中を俺達は一つの生き物のように連携し駆け抜けていった。

旧王城跡の無残な姿が見えてきた。そこには既に黒山の人だかりができていた。皆が皆一様に城跡の中心に建てられた処刑台を見上げている。その表情は様々だった。恐怖に歪む者もいればこれから始まる見世物を楽しむかのような下卑た笑みを浮かべる者もいる。

俺は人垣を強引にかき分けた。そして見てしまった。

処刑台の上。一本の杭に無数の鎖で磔にされている少女の姿を。

銀色の髪は汚れその身に纏うのはボロ布だけだった。顔は俯いていて表情は見えない。だがそれが誰なのか俺には一目で分かった。

「ライア……!」

俺の喉から声にならない声が漏れた。

彼女の隣には母リリアが立っていた。その表情は氷のように冷たくまるで芸術品でも鑑賞するかのようにライアを見下ろしている。リリアの背後には他にも数人の人影があった。おそらく『愛眼』の執行者達だろう。

「時間だ」

リリアが静かに告げた。執行者の一人が巨大な斧を振りかざす。その刃が陽光を反射して不吉にきらめいた。

やめろ。

間に合え。

俺は最後の力を振り絞り処刑台へと続く階段を駆け上がろうとした。だが群衆の壁がそれを阻む。

「どけ! どいつもこいつもどけぇぇ!!」

俺は絶叫した。だが狂乱した民衆は俺の声など聞こえていないかのようだった。

その時だった。

「みんな! 落ち着いて聞いて!」

レシアの澄んだ声が響き渡った。彼女は俺の隣で精一杯の声を張り上げていた。

「処刑されているあの子は悪者じゃない! 私達を騙しているのはあそこに立つ女よ! みんな目を覚まして!」

彼女の必死の訴え。だがその声は群衆の狂気の前ではあまりにも無力だった。

「うるさい! 偽勇者の仲間め!」

「魔王の手先が!」

罵声がレシアに浴びせられる。一人の男が彼女に殴りかかろうとした。

その瞬間だった。俺の中で何かが切れた。

俺は男の腕を掴みそのまま背負い投げの要領で地面に叩きつけた。もちろん手加減はした。だがその圧倒的な力の差に周囲の民衆が一瞬だけ怯む。

その僅かな隙。それだけで十分だった。

群衆の混乱で処刑台への道が僅かに開いた。そして同時に処刑台の上の執行者達の意識が下の騒ぎへと一瞬だけ逸れた。

今しかない。

俺は地面を蹴った。世界がスローモーションになる。群衆の驚愕の顔。レシアの祈るような瞳。リリアの僅かに見開かれた目。その全てが俺の視界を流れ去っていく。

俺は処刑台の上に舞い降りた。そして斧を振りかぶった執行者の横をすり抜けライアを縛る鎖に剣を叩きつける。

ガキン!という金属音と共に鎖が断ち切れた。

俺は拘束から解放されたライアの体を抱きかかえた。驚くほど軽くそして冷たい。

「ライア!」

呼びかけると彼女はゆっくりと顔を上げた。その赤い瞳は虚ろで焦点が合っていない。

「……うお……?」


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