表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/60

20

 三

 リタイア。

 その、あまりにも唐突で、冷たい響きを持った言葉が、俺の頭の中で、意味もなく反響した。

 何を、言っているんだ、この子は。

 俺の思考は、完全に停止した。隣にいるレシアも、息を呑んだまま、固まっているのが分かった。

「……どうして、だよ」

 俺の喉から、ようやく、掠れた声が漏れた。「俺達、仲間になったばっかりじゃないか。これから、一緒に戦うんじゃなかったのかよ」

「ごめんなさい」

 ライアは、ただ、そう繰り返すだけだった。その顔は、苦痛に歪んでいた。彼女もまた、この決断を、自らの心を切り刻むような思いで、下したのだということが、痛いほど伝わってきた。

 だが、俺には、納得できなかった。

 納得できるはずが、なかった。

 俺は、彼女の前に、一歩踏み出した。そして、彼女の、冷たくなった手を、強く、握りしめた。

 それは、俺達が初めて出会った、あのギルドの前で、俺が彼女にしたことと、全く同じだった。

「お願いだ」

 俺は、彼女の目を、真っ直ぐに見つめて、懇願した。

「言ってくれ。ライア。君が、一人で抱え込んでる、その『隠し事』とやらを、全部、話してくれ」

 俺の、魂からの叫びだった。

 もう、誰も失いたくない。

 もう、一人で抱え込ませたくない。

 その、一心だった。

「俺達、仲間だろ?」

 その言葉を口にした瞬間、俺の隣で、レシアが、はっと息を呑む気配がした。彼女の視線が、俺とライアが握りしめている手に、一瞬だけ、突き刺さる。そして、彼女は、何かを振り払うように、顔を上げた。

 俺には、その時の彼女の表情が、強く安堵したように見えた。

 ああ、良かった。レシアも、同じ気持ちだったんだ。ライアに、行ってほしくないと、心の底から願っていたんだ。俺の、この行動を、肯定してくれているんだ。

 その、安堵感が、俺の心を、少しだけ、軽くした。

 だが、そんな、俺の、ちっぽけな安堵など、次の瞬間に起こる、絶望的な現実の前では、あまりにも、無力だった。

 俺の言葉を聞いたライアは、しばらく、黙って、俺達の手を見つめていた。

 やがて、彼女は、ふっと、その顔を綻ばせた。

 それは、諦めと、悲しみと、そして、ほんの少しの、愛情が入り混じった、美しい、しかし、あまりにも痛々しい、笑顔だった。

「……そうだよね」

 彼女は、静かに言った。

「貴方達にとっては、私は、大切な仲間だよね」

 その言葉は、肯定でありながら、同時に、俺達と彼女の間にある、決して越えられない壁の存在を、示唆しているようだった。

「じゃあ、見せるしかないね。私の、隠し事の正体を」

 その、次の刹那。

 世界から、音が消えた。

 ライアの纏う空気が、変わる。

 夕陽の、穏やかな光が、彼女の周りだけ、歪んだ。

 彼女の、華奢な肩。その、背中の、皮膚を、突き破って、何かが、生えてくる。

 それは、夜の闇そのものを、固めて作ったかのような、漆黒の、翼だった。

 一枚、そして、もう一枚。

 蝙蝠のようであり、堕天使のようでもある、禍々しくも、美しい、一対の翼。

 その翼が、ゆっくりと、天に向かって、広げられる。

 同時に、彼女の顔が、変貌していく。

 栗色だった髪は、その色を失い、月光のような、白銀へと変わる。肌は、陶器のように白く、その頬には、幾何学的な、赤い紋様が、浮かび上がった。

 そして、何よりも。

 その、瞳。

 小動物のように、優しく、怯えていたはずの瞳は、今は、血のように赤く染まり、この世の全てを、嘲笑うかのような、冷酷な光を、宿していた。

 それは、ライアであって、ライアではない、何か。

 彼女の、可憐な面影と、魔族の、冒涜的な美しさが、奇跡的なバランスで同居した、その姿。

 あまりの、非現実的な光景に、俺は、声を失った。

 隣で、レシアが、ひっと、息を呑む音が、やけに、大きく聞こえた。

 変貌を終えたライアは、その、赤い瞳で、絶句する俺達を、値踏みするように、見下ろした。

 そして、その、俺達がよく知る、唇から、俺達が、一度も聞いたことのない、氷のように冷たい声で、告げたのだ。

「私はね」

 彼女は、楽しそうに、言った。

「実は、『愛眼』の執行者の一人。『嘘つき』のライア」

 嘘つき。

 その、言葉が、ハンマーのように、俺の、頭を、殴りつけた。

「ごめんね」

 彼女は、心底、申し訳なさそうに、でも、その目は、一切、笑っていなかった。

「私、二人の、味方には、なれないや」

「だから、戦おう。二人とも」

 その、最後の言葉は、死刑宣告だった。

 俺達が、信じた、仲間。

 俺達が、愛した、少女。

 その、全てが、嘘だったのだと。

 彼女自身が、その身をもって、証明していた。


「嫌だ!!!!!」

 俺の、喉から、獣のような、絶叫が、迸った。

 信じない。

 信じられるものか。

 何かの、間違いだ。

 これは、悪い夢だ。

「ライア!!!」

 俺の隣で、レシアが、俺の肩を、掴み、がくがくと、揺さぶった。彼女の顔は、涙と、怒りで、ぐしゃぐしゃになっていた。

「教えて!! ライア!!! どうしてこんなことを!!!」

 レシアの、魂からの、叫びが、嘆きの丘に、虚しく、木霊する。

 なぜ。

 なぜ、俺達を、裏切った。

 俺達との、あの日々は、全て、嘘だったのか。

 俺の、問いに、ライアは、悲しそうに、顔を歪めた。

 その、表情だけは、俺達が知っている、ライアの、ままだった。

「……言えないんだ」

 彼女は、震える声で、言った。

「あの方の力で、私の身体は呪われてるんだ」

 あの方。

 その、言葉に、俺は、聞き覚えがあった。

 そうだ。母、リリアも、そう言っていた。

『あの方の、計画のために』と。

「だからね、ごめんね」

 ライ.アは、その手に、漆黒の、剣を、出現させた。

 その、切っ先が、真っ直ぐに、俺達の、心臓を、捉える。

「私は、君達を、傷つけるよ」

 その、言葉と、共に。

 俺達の、信じた、世界が、音を立てて、崩れ落ちていった。


 第三部 ライア編

 第四章:嘘つきの鎮魂歌レクイエム


 言葉と同時。彼女の姿が掻き消えた。

 違う。消えたのではない。俺の動体視力が捉えきれない速度で踏み込んできたのだ。風を切り裂く音もなく空気を揺らす気配もなくただ結果だけが俺の眼前に突きつけられる。

 漆黒の剣が俺の喉元へと迫っていた。

 思考よりも早く体が動く。村の親方が打ってくれた新しい剣を抜き放ちその一撃を弾く。キィンという甲高い金属音。凄まじい衝撃が腕を痺れさせた。なんだこの重さは。彼女の細腕から放たれたとは到底思えない質量が俺の体勢を崩す。

「レシア! 下がってろ!」

 俺は叫びながら後方へ跳んだ。レシアとの間に距離を作り彼女を俺の背中にかばう。目の前の化け物は紛れもなくライアの姿をしている。だがその力は俺達と共に過ごした七日間で見たものとは比較にすらならない。

「どうして……」

 俺の唇から疑問が漏れる。共に巨大鼠と戦った時彼女は確かに強かった。だがそれはあくまで鍛錬を積んだ人間の域を出ないものだったはずだ。今のこれは違う。人という枠組みを遥かに超越した力。

「これが私の本当の力だよウオ」

 ライアが静かに答えた。まるで俺の心でも読んだかのように。

「私の固有魔法は”SAVE”。覚悟を力に変える魔法。私の覚悟が強ければ強いほど私は強くなる」

 覚悟。その言葉が俺の胸に突き刺さる。では目の前の彼女が抱いている覚悟とはなんだ。俺達を殺すという覚悟か。俺達との絆を断ち切るという覚悟か。

「ふざけるな……!」

 怒りが俺の体を突き動かした。理屈じゃない。ただ目の前の現実を認めたくなかった。俺は地面を蹴りライアへと斬りかかる。父さんに教わった剣術の全てを叩き込む。速く重く鋭く。だが俺の剣はことごとく彼女の漆黒の剣に阻まれた。

 彼女の剣筋は俺との模擬戦で見たものと同じだった。だがその一振り一振りに込められた力がまるで違う。俺の全力の斬撃を彼女は最小限の動きで受け流しその隙を的確に突いてくる。カウンターで放たれる一撃は俺の鎧を容易く切り裂き肌に赤い線を引いた。

 浅い傷だ。だが俺の心は深く抉られていた。なぜなら彼女の動きは俺の全てを知り尽くしていたからだ。俺の癖も呼吸の間合いも次の動きの予測も。この七日間俺が彼女に曝け出した全てが今牙となって俺に襲いかかっている。

「くそっ……!」

 俺は彼女の猛攻を防ぐので精一杯だった。圧倒的。これが絶望か。仲間だと信じた相手に全てを研究されその上で本気を出されるということがこれほどの絶望だとは知らなかった。

 俺達の過ごした時間はなんだったんだ。

 武器屋で交わした会話。下水道で背中を預け合った戦い。草原で重ねた訓練。図書館で分かち合った知識。その全てが彼女にとっては俺を殺すための情報収集に過ぎなかったというのか。

「違う……」

 俺は喘ぎながら呟いた。

「違うだろライア……! あの時間は嘘じゃなかったはずだ!」

 義母に傷つけられた君を俺が守った時君は泣いてくれたじゃないか。俺の言葉に救われたと言ってくれたじゃないか。あの涙も嘘だったというのか。

「……ウオは優しいね」

 ライアの赤い瞳が悲しげに揺れた。

「でもその優しさが君を殺すことになるかもしれないよ」

 彼女の剣が速度を増す。見えない斬撃の嵐が俺を襲う。俺は必死に防戦するが全身に少しずつ傷が増えていった。一つ一つの傷は浅い。だが確実に俺の体力と集中力を削っていく。

 そしてついに俺の剣が彼女の剣に弾き飛ばされた。がら空きになった胴体。そこにライアの漆黒の剣が突き込まれる。

 もう駄目だ。

 死を覚悟した。その瞬間。

「ウオ!!!!!」

 レシアの絶叫が響き渡った。

 彼女は俺とライアの間に飛び込んできていた。護身用の短剣を握りしめ震える足で必死に俺をかばうように立ちはだかる。

「ライア……やめて……! もうウオを傷つけないで……!」

 レシアの瞳からは大粒の涙が溢れていた。だがその瞳の奥には恐怖を凌駕する強い意志の光が宿っていた。

 ライアの剣がレシアの喉元寸前でぴたりと止まる。その赤い瞳が驚きに見開かれていた。

「レシア……どうして……」

「当たり前でしょ……!」レシアは叫んだ。「ウオは……ウオは私が守るんだから……!」

 その言葉は俺の魂を震わせた。彼女は戦えない。ただの村娘だ。だが今彼女は俺を守るためにこの化け物の前に立っている。俺が彼女に誓った言葉を今度は彼女が俺のために体現してくれている。

 俺は床に落ちた自分の剣を拾い上げた。痛みも疲労もどこかへ吹き飛んでいた。代わりに心の奥底から熱い何かが込み上げてくる。

 レシアを死なせるわけにはいかない。

 俺は再びライアの前に立った。今度はレシアと並んで。

「二人で相手だライア」

「……愚かね」

 ライアは悲しげに呟くと剣を構え直した。その体から放たれる魔力の圧力がさらに増していく。これが彼女の覚悟の力。

 二

 俺とレシア二人での戦いが始まった。

 それは無謀という言葉すら生ぬるい戦いだった。俺が前衛でライアの攻撃を受け止めレシアがその後方から隙を窺う。だが俺達の連携はあまりにも拙くライアの前では赤子の手をひねるようなものだった。

 レシアは驚異的な速度で成長していた。初めての実戦のはずなのに彼女は恐怖に呑まれることなくライアの動きを必死に目で追い俺に的確な指示を飛ばす。

「ウオ、右! 突きが来る!」

「足元ががら空きだよ!」

 その言葉に俺は何度も助けられた。彼女の戦場での観察眼は天性のものなのかもしれない。時折彼女が投げる石や短剣がライアへの牽制となり俺に反撃の機会を与えてくれた。

 だがそれだけだった。

 ライアの強さは次元が違う。俺とレシアの全ての攻撃を彼女は余裕を持って捌ききる。そして反撃に転じる時その剣は常に俺達の急所を的確に捉えていた。

 しかし。

 俺達は戦いながらある奇妙な事実に気づき始めていた。

 ライアの攻撃は常に寸止めなのだ。

 俺の首筋を薙ぐ剣は皮膚一枚のところで止まりレシアの心臓を狙う突きは服を切り裂くだけで肉には達しない。

 俺達は確かに傷を負っていた。だがその全てが掠り傷。戦闘が長引けば失血で倒れるかもしれないが致命傷には程遠い。

 まるで手加減されているかのようだった。

 いや違う。手加減というよりは……何かを躊躇っている。彼女の剣には迷いがあった。俺達を本気で殺そうとする殺意が感じられない。

 彼女の覚悟は俺達を殺すことではない。

 では一体何なんだ。彼女は何のためにこれほどの力を振るい俺達の前に敵として立っているのか。

「ライア……!」

 俺は叫んだ。「君の覚悟はなんだ! 俺達を殺すことじゃないなら一体何のために戦ってるんだ!」

 俺の問いにライアの動きが一瞬だけ止まった。その赤い瞳が激しく揺らぐ。

「……ウオには関係ない」

「関係なくない! 俺達は仲間だったんだぞ!」

「もう仲間じゃない!」

 彼女の絶叫が響き渡る。その声には拒絶とそして悲痛な響きが混じっていた。

 その瞬間俺は確信した。彼女は嘘をついている。俺達を仲間だと思っていないというのは嘘だ。彼女は何か巨大なものに縛られ抗うことのできない運命の中で必死にもがいている。

 彼女の固有魔法”SAVE”。覚悟を力に変える魔法。その名前の意味が今なら分かる気がした。

 彼女は何かを「救う」ために戦っているのだ。

 だが何を。誰を。

 その答えが見つからないまま時間だけが過ぎていく。俺とレシアの体力は限界に近づいていた。動きが鈍り始めた俺の隙を突きライアの剣が俺の肩を深く切り裂いた。

「ぐっ……!」

 激痛に膝が折れる。そこにレシアが悲鳴を上げて駆け寄ってきた。

「ウオ! しっかりして!」

 彼女が俺の傷口に回復薬を振りかけようとする。その無防備な背中をライアの冷たい視線が捉えた。

 まずい。

 そう思った時にはもう遅かった。ライアの姿がレシアの背後に回り込んでいる。漆黒の剣が振り上げられた。

「やめろぉぉぉ!!!!!」

 俺の絶叫も虚しくその剣が振り下ろされる。

 だがその切っ先はレシアの体を貫くことはなかった。

 剣はレシアのすぐ隣の地面に突き刺さっていた。衝撃で土が弾け飛ぶ。レシアは腰を抜かしその場にへたり込んだ。

 ライアは剣を突き立てたまま荒い息を繰り返していた。その顔は苦痛に歪み赤い瞳からは涙が溢れていた。

「もう……良いかな」

 彼女は絞り出すように言った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ