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 四

 ライアが仲間になって、七日が過ぎた。

 その日の昼下がり、俺達はゼノグラードの中央広場にいた。広場では、旅芸人の一座が陽気な音楽を奏で、多くの人々が足を止めてその芸に見入っている。俺達も、次の依頼を探す前の、ほんの束の間の休息を楽しんでいた。

 ライアは、すっかり俺達に打ち解けていた。彼女の口数も増え、時折見せる笑顔は、まるで固く閉ざされた蕾が、ゆっくりと綻んでいくかのようだった。レシアも、そんな彼女を、本当の妹のように気遣っていた。

 俺は、そんな二人の姿を、少し離れた場所から眺めていた。良かった。俺達は、確かに前に進めている。そう、実感できた。

 その、穏やかな空気が、唐突に引き裂かれた。

「ハッ!! ライア!! 元気そうじゃねえか!! ええ!!?」

 鼓膜を突き破るかのような、甲高い、ヒステリックな声。

 振り返ると、そこに、一人の女が立っていた。派手な化粧、けばけばしいドレス。その手には、扇子が握られている。年の頃は四十代だろうか。その目は、獲物を見つけた蛇のように、ギラギラとした光を放ち、ライア一人を、正確に射抜いていた。

 その女を見た瞬間、ライアの身体が、石のように固まった。顔から、さっと血の気が引き、その瞳に、怯えと、嫌悪の色が浮かぶ。

「……おば、さん……」

 ライアの唇から、か細い声が漏れた。

「おばさん? 違うだろォ!? お前の、新しい、お母様と呼べと、あれほど言ったはずだがなあ!!」

 女は、扇子でパン、と自分の手のひらを叩くと、ねっとりとした足取りで、ライアに近づいてきた。

 義母。

 ライアの、険悪な、義母。

 彼女の、両親が亡くなった後、その財産目当てで、ライアを引き取ったという、遠縁の親戚。ライアの話では、彼女の心を最も深く傷つけ、村から追い出した元凶だ。

「全く、こんな所で油を売っているとはな! お前ごときが、この私が与えてやった自由を、満喫できているようで、嬉しいよなあ!!! ええ!!?」

 義母は、ライアの腕を、乱暴に掴んだ。その指が、ライアの細い腕に、食い込んでいく。

「やめ……」

 ライアが、か細い抵抗の声を上げる。だが、義母は、それを鼻で笑った。

「なんだいその格好は! 冒険者の真似事かい!? 笑わせるんじゃないよ! お前のような、出来損ないに、何ができるというんだ!」

 周囲の人々が、何事かと、遠巻きにこちらを見ている。

 レシアが、俺とライアの間に、割って入ろうとした。

「あなた! やめなさい! この子に、乱暴するのは許さないわ!」

「なんだい、あんたは。ああ、そうかい。こいつの、新しいお仲間かい。お前ごときが勇者様のパーティーになれて嬉しいよなあ!!! ええ!!?」

 義母は、レシアを、ゴミでも見るかのような目で見下した。そして、その矛先を、今度は俺に向けた。

「あんたが、こいつらのリーダーかい。随分と、ガキじゃないか。こんな、出来損ないを、パーティーに入れて、あんた、見る目がないんじゃないのかい?」

 俺は、何も答えなかった。ただ、黙って、女の目を、見つめ返した。

 その、俺の態度が、気に食わなかったのだろう。女は、せせら笑うと、ライアの腕を掴んだまま、その手を、振り上げた。

「少し、躾が必要なようだねえ!」

 平手打ちが、ライアの頬に、叩きつけられる。

 その、寸前だった。

 俺は、動いていた。

 女が、瞬きをするよりも、速く。

 俺は、彼女と、ライアの間に、滑り込み、その振り上げられた腕を、手首で、掴んでいた。

 ミシリ、と。骨が軋む音が、聞こえたかもしれない。

「……なっ!?」

 女が、信じられない、といった顔で、俺を見下ろした。

 俺は、静かに、しかし、心の底からの、怒りを込めて、言った。

「手を離せよ」

 俺の声は、自分でも驚くほど、低く、冷たかった。

「……ライアから、手を離せ」

 その声に含まれた、絶対的な、拒絶の意志に、女は、一瞬、怯んだようだった。だが、彼女は、すぐに、ヒステリックな笑い声を上げた。

「勇者様…!! お前みたいなガキなんぞが勇者様だぁ!!? ……まあ、良い。勇者様ともあれば、ガキでも勝てねえか。命拾いしたな!! ライア!! お前なんぞがな!! ガハハ!!!」

 彼女は、そう、吐き捨てると、掴んでいたライアの腕を、乱暴に振り払い、憎々しげに俺達を睨みつけながら、人混みの中へと消えていった。

 後に残されたのは、呆然と立ち尽くす、ライアと。

 そして、重い、沈黙だけだった。

 ライアは、俯いたまま、小刻みに震えていた。その頬には、義母の指の跡が、赤く、残っている。

「……ごめん」

 彼女は、消え入りそうな声で、謝った。「私の、せいで……みんなを、嫌な目に……」

 その、あまりにも、痛々しい姿に、レシアが、そっと、彼女の隣に寄り添った。

「ううん、ライアは、悪くないよ。……辛かったね」

 レシアは、ライアの頭を、優しく、優しく、撫でた。まるで、壊れ物を、労わるかのように。

 俺も、彼女の、震える肩に、そっと、手を置いた。

 そして、俺は、彼女に、心の底からの、想いを込めて、言った。

 俺が、レシアに、かつてそうしてもらったように。今度は、俺が、彼女の光になる番だと。

「もう大丈夫だからな。ライア!!」

 俺は、とびっきりの笑顔で、彼女に、そう、告げた。

 その、笑顔は、俺の、偽りのない、本心だった。

 君は、もう一人じゃない。俺達が、いる。

 そう、伝えたかった。

 ライアは、俺の笑顔を見て、驚いたように、目を見開いた。そして、その瞳から、堰を切ったように、涙が、溢れ出した。それは、悲しみの涙ではなかった。安堵と、そして、生まれて初めて感じる、温かい、仲間という絆に、心が追いつかずに、溢れ出した、涙だった。

 俺は、良かった、と心の底から思った。

 彼女を、救うことができた、と。

 だから、俺は、気づかなかったのだ。

 俺の、隣で。

 ライアの頭を、撫でていた、レシアの手が、一瞬だけ、ぴたり、と止まったことに。

 そして、俺のその『とびっきりの笑顔』が、彼女の心の中に、どれほど、深く、そして、冷たい嫉妬の棘を、打ち込んでしまったのかということに。

 俺達の、パーティーに、生まれた、最初の、そして、最も厄介な亀裂の音に。

 この時の俺は、まだ全く、気づいてはいなかった。


 第三部 ライア編

 第三章:嘘つきの鎮魂歌レクイエム

 一

 ライアの義母だった女と対峙したあの日。俺の放った『とびっきりの笑顔』が、俺達三人の間に、見えない、しかし確かな亀裂を生んでしまったことを、この時の俺はまだ知らなかった。

 俺は、ただ安堵していた。仲間を守れた。ライアの心を、少しだけ救えた。俺は、父さんがそうであったように、頼れるリーダーに一歩近づけたのだと、そう信じていた。

 だから、その日の夕食の席で、レシアが不意に見せた、ほんの一瞬の寂しげな表情の意味を、俺は正しく理解することができなかった。

 ライアが仲間になって六日目の夜。宿の一室は、奇妙な静けさに包まれていた。昼間の騒動が嘘のように、三人はそれぞれのベッドで、ただ黙って天井を見つめている。

「……ありがとう。二人とも」

 最初に沈黙を破ったのは、ライアだった。その声は、まだ微かに震えていたが、芯には確かな温もりが戻っていた。

「私、一人だったら、きっと、何も言い返せないまま、また逃げ出してたと思う。……ウオが、レシアが、一緒にいてくれて、本当に、良かった」

「当たり前だろ」俺は、ぶっきらぼうに答えた。「俺達は、仲間なんだから」

「そうだよ!」レシアも、明るい声で続けた。「ライアは、もう一人じゃないんだからね! あんな奴に、二度と好き勝手させたりしないわ!」

 そうだ。俺達は仲間だ。家族だ。そう、俺は思った。

 レシアの言葉には、一点の曇りもなかった。彼女は、心の底からライアを心配し、その身を案じている。昼間、俺が感じた違和感は、やはり気のせいだったのだ。彼女の嫉妬なんて、俺の勝手な思い込みだったのだ。

 俺は、自分の鈍感さに少しだけ呆れ、そして、二人の優しさに、胸の奥が温かくなるのを感じていた。

 その夜、俺達はこれからの計画について話し合った。

「この街も、もう長居はできないな」俺が言う。「ライアの義母が、衛兵団に何か吹き込む可能性もある」

「そうだね」ライアが頷く。「それに、これ以上ここにいても、『愛眼』に繋がる手がかりは得られそうにない」

「次は、どうするの?」レシアが尋ねた。

「北へ向かおうと思う」ライアが、懐から一枚の古い地図を広げた。「私の故郷があった、北の雪深い山脈。あそこには、古くから伝わる伝承があるんだ。『貌無し』の厄災は、必ず北の果てからやってくる、って。もし、それが『愛眼』と関係しているなら、何か手がかりが掴めるかもしれない」

 それは、危険な賭けだった。だが、今の俺達には、その僅かな可能性に賭けるしかなかった。

「決まりだな」俺は言った。「明日の朝、出発しよう。北へ」

 その夜、俺は久しぶりに、ぐっすりと眠ることができた。仲間がいる。進むべき道がある。その事実が、俺の心を、確かな安らぎで満たしてくれていた。

 俺達の未来は、決して暗いだけじゃない。そう、信じることができたから。

 二

 七日目の朝。俺達は旅立ちの準備をしていた。

 保存食を革袋に詰め、水筒を満たし、武器の手入れをする。その手際は、旅を始めた頃とは比べ物にならないほど、洗練されていた。

 レシアは、俺とライアのために、傷薬や解毒薬を、種類ごとに小さな布袋に分けて整理してくれている。その横顔は真剣で、彼女の細やかな気遣いが、俺達の命を何度も救ってくれたことを、俺は改めて思い出した。

「レシア、ありがとうな。いつも助かる」

 俺がそう言うと、彼女は「当然でしょ。私は、パーティーの支援担当なんだから」と、少しだけ得意げに胸を張った。その仕草が、たまらなく愛おしかった。

 準備を終え、俺達は宿を出ようとした。その時だった。

「あの……ウオ、レシア」

 ライアが、俺達を呼び止めた。その声は、なぜか、ひどく思い詰めたような響きを持っていた。

「どうした、ライア? 忘れ物か?」

「ううん、違うの。……その、出発の前に、少しだけ、話したいことがあるんだ。二人だけに」

 彼女の表情は、真剣そのものだった。俺とレシアは、顔を見合わせる。

「分かった。どこで話す?」

「街の西に、『嘆きの丘』って呼ばれてる場所があるの。そこで、待ってる。……夕方になったら、来てほしい」

 嘆きの丘。その、不吉な名前に、俺の胸が、ざわりと揺れた。

 なぜ、そんな場所に。そして、なぜ、夕方まで待つ必要があるのか。

 疑問は、いくつも浮かんだ。だが、ライアの、有無を言わさぬ真剣な眼差しに、俺はただ頷くことしかできなかった。

「……分かった。必ず、行く」

 ライアは、その返事を聞くと、何かから逃れるように、足早に宿を出て行った。その小さな背中が、朝の光の中に消えていくのを、俺達は、ただ黙って見送ることしかできなかった。

 その日の昼間は、奇妙なほど、長く感じられた。

 俺とレシアは、街をぶらつきながら、時間を潰した。だが、心は少しも晴れなかった。ライアの、あの思い詰めた表情が、頭から離れない。

「大切な話って……なんだろうね」

 レシアが、不安そうに呟いた。

「さあな。……だが、悪い話じゃないと、思う」

 俺は、自分に言い聞かせるように言った。「きっと、あいつ、自分の過去と、ちゃんと向き合おうとしてるんだ。俺達に、全てを打ち明ける覚悟を、決めてるんだよ」

 そうであってほしい。俺は、心の底から願った。彼女が、一人で抱え込んできた、全ての痛みを、俺達に、分けてくれるのだと。

 夕暮れが、街を茜色に染め始める。

 俺とレシアは、約束の場所へと向かった。

 嘆きの丘は、その名の通り、どこか物悲しい雰囲気を纏った場所だった。街の喧騒から切り離され、ただ、風の音だけが、枯れた草の間を吹き抜けていく。

 丘の頂上に、ライアは、一人で立っていた。

 夕陽を背にした彼女のシルエットは、あまりにも小さく、儚げで、今にも風に消えてしまいそうだった。

「ライア」

 俺が声をかけると、彼女はゆっくりと、こちらを振り返った。

 その顔は、穏やかだった。だが、その穏やかさは、嵐の前の静けさのように、俺の心を、ひどくざわつかせた。

「……来てくれたんだね。ありがとう」

 彼女は、そう言って、力なく微笑んだ。

「急に呼び出して、ごめんね」

「いいんだ。それより、話って、なんだ?」

 俺は、単刀直入に尋ねた。もう、回りくどいやり取りは、たくさんだった。

 ライアは、一度、目を伏せた。そして、意を決したように、顔を上げる。

「あのね、私……」

 彼女の声は、震えていた。

「……隠してたことがあるんだ」

 その言葉に、俺の心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。

「そして、それは……とてつもないほど大きくて、取り返しのつかないことで、二人にとても言えない隠し事なの」

 彼女は、まるで、罪を告白する、罪人のように、俯いて、言葉を続けた。

「だから、私ね。この勇者パーティーから、リタイアしたいの」



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