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大魔王の反転者。

 その忌まわしい呼び名に、僕の眉がひくついた。

 僕の最も触れられたくない部分を抉るかのような、悪意に満ちた呼び名。

 僕は吐き気をこらえながらその先を読み進めた。

『貴方がこの手紙を読んでいる頃には、勇者エミールの死から一年が過ぎていることでしょう。貴方が偽りの平穏に浸り、牙を抜かれてしまっているのではないかと少し心配していましたが、その必要はなかったようですね。貴方の魂の輝きは、この遠い王都からでもはっきりと感じられます。順調に「目覚め」の時が近づいているようで、母としてこれほど嬉しいことはありません』

 まるで僕の一年間を全て監視していたかのような口ぶり。

 そのねっとりとした視線が背中に突き刺さるような悪寒に襲われる。

『さて、本題に入りましょう。貴方も薄々気づいていると思いますが、この世界は欠陥品です。

 戦争、貧困、差別、憎悪……。

 人間という愚かな種族がいる限り、これらの醜い要素がこの世界から消え去ることは決してありません。

 勇者という偽りの光は一時的に闇を払うだけで、その根本的な解決にはならない。むしろ光が強ければ強いほど闇もまた色濃くなる。堂々巡りの歴史がそれを証明しています』

 母の歪んだ思想がそこには綴られていた。

 彼女の言葉には奇妙な説得力があった。

 僕もこの一年間考えていたことだったからだ。

 父の戦いは本当に意味があったのだろうか、と。

『だから我々は決めました。

 この欠陥だらけの世界を一度完全にリセットし、新しい世界秩序を創造するのです。

 それこそが我々の「世界反転計画」』

『その計画の要となるのが、貴方、ウオ。

 いいえ、『大魔王ダイマ・オウ』である貴方様の存在です。

 貴方様が完全に覚醒した時、この世界は真の変革を迎えることになるでしょう』

『しかしその覚醒にはもう一つ、最後の儀式が必要となります。

 それは貴方の古い殻……つまり『人間ウオ』としてのしがらみを完全に断ち切ること。

 貴方が最も愛し執着しているものをその手で失うことによる、絶対的な絶望です。

 それこそが貴方様を真の大魔王へと昇華させる最後の鍵となるのです』

 手紙を読む僕の手がカタカタと震え始めた。

 彼女が何を言おうとしているのか、嫌でもわかってしまったからだ。

 僕が最も愛し執着しているもの。

 それはこのカリム村。

 そして隣にいるレシア。

『この手紙が貴方の元に届いた今日から200日後。

 我々は貴方の愛するカリム村を焼き尽くします。

 一人残らず皆殺しにし、その絶望を貴方様への覚醒の贄として捧げましょう』

「……っ!!」

 僕は息をのんだ。

 全身から血の気が引いていく。

 怒りと恐怖で目の前が真っ赤に染まった。

『ですが貴方様は我々の主君。

 ただ無慈悲に奪うだけでは芸がありませんね。

 ですからチャンスを与えましょう』

『それを阻止するためには私達、「愛眼」に所属する執行者を、この私リリアを含めて全て殺してみせなさい』

 愛眼。

 あの封蝋に刻まれていた瞳の紋様。

 それが母の所属する組織の名前らしい。

『我々「愛眼」の執行者は世界中に散らばっています。

 200日という限られた時間の中で貴方が我々全てを見つけ出し殺すことができたなら。

 その時は我々の負けです。

 貴方の村が焼かれることはありませんし、我々の「世界反転計画」も失敗に終わるでしょう』

『さあ、選びなさい我が息子よ。

 偽りの平穏にしがみつき村と共に滅びるか。

 あるいはその内に眠る魔王の力を解放し我々に抗うか』

『良い行動を待っています』

 手紙はそう結ばれていた。

 差出人の名前はなかった。

 だが誰からのものかは明白だった。

 僕は手紙を握りしめたままその場に立ち尽くした。

 頭がガンガンと痛む。

 思考がまとまらない。

 果たし状。

 いや、これはただの果たし状ではない。

 僕の全てを奪い、僕を望まぬ道へと引きずり込もうとする悪魔の招待状だ。

 戦争や貧困を無くすだと?

 その大義名分のために何の罪もない村を焼き、人々を殺すというのか。

 矛盾している。

 狂っている。

 だが母は本気だ。

 あの女なら本当にやるだろう。

 200日後。

 そのタイムリミットが死刑宣告のように僕の脳裏に刻み込まれた。

 どうすればいい?

 俺はどうすればいいんだ?

 一人で戦う?

 あの母と、そして「愛眼」とかいう得体の知れない組織を相手に?

 無謀だ。

 自殺行為に等しい。

 だが何もしなければ村は滅びる。

 レシアも死ぬ。

 それは絶対に受け入れられない。

「……ウオ……?」

 僕が頭を押さえ苦悩していると、レシアがおずおずと声をかけてきた。

 彼女は僕が読んだ手紙の内容を察しているのだろう。

 その顔は青ざめていた。

 僕はどうするべきかわからなかった。

 この絶望的な事実を彼女に伝えるべきか。

 それとも僕一人で抱え込むべきか。

 彼女を巻き込んではいけない。

 彼女には何も知らせず、僕が一人で村を去るべきなのでは……。

 いや違う。

 僕はもう一人で抱え込むのはやめたのだ。

 レシアは僕のパートナーだ。

 彼女に嘘をつくことだけはしたくない。

 僕は覚悟を決めた。

 そして握りしめてくしゃくしゃになった果たし状を彼女に差し出した。

「……読んでくれ」

 レシアは戸惑いながらもそれを受け取り、ゆっくりと読み始めた。

 その翠色の瞳が文字を追うごとに大きく見開かれていく。

 そして全てを読み終えた時、彼女の顔から完全に血の気が引いていた。

 彼女は震える手で手紙を僕に返すと、ただ黙って俯いてしまった。

 長い沈黙が流れた。

 波の音だけがやけに大きく聞こえる。

 僕は彼女にどう声をかければいいのかわからなかった。

 きっと彼女は恐怖に震えているだろう。

 当たり前だ。

 普通の村娘が世界の運命を左右するような、こんな狂った話に巻き込まれてしまったのだから。

 僕は彼女に告げなければならない。

 君は関係ない。

 村に残ってくれ、と。

 そう僕が口を開こうとした、その時だった。

「……私」

 レシアが顔を上げた。

 その瞳にはもう恐怖の色はなかった。

 代わりに宿っていたのは燃えるような決意の光だった。

「……ついていくよ、ウオ」

 お揃いの覚悟

「……え……?」

 僕は彼女の言葉の意味を一瞬理解できなかった。

 ついていく?

 どこへ?

 何を言っているんだこの子は。

「……駄目だ」

 僕は即座に否定した。

「駄目だレシア。これは俺の問題だ。君を巻き込むわけにはいかない」

「どうして?」

 レシアは真っ直ぐに僕の目を見て問い返してきた。

 その瞳は一切揺らいでいなかった。

「どうしてって……決まってるだろ! 危険なんだぞ! 相手はあの母さんとその仲間たちだ! あの魔王ですら指先一つで殺してしまうような化け物なんだ! 君みたいな普通の女の子がついてこれるような旅じゃないんだよ!」

 僕は必死に彼女を説得しようとした。

 彼女に現実を理解させようとした。

 だがレシアは静かに首を横に振った。

「私が普通の女の子だって誰が決めたの?」

「……それは……」

「私が弱いってウオが決めるの?」

 彼女の言葉に僕は詰まった。

 違う。

 そうじゃない。

 僕はただ彼女が心配で……。

「ウオは私のこと守ってくれるんでしょう?」

「……ああ。そうだ。命に代えても守る」

 僕は即答した。

 その誓いに偽りはない。

「だったらなおさらだよ」

 レシアは悲しそうに微笑んだ。

「ウオが一人でそんな危険な場所に行くのを黙って見送ることなんてできない。私がウオのいないこの村で一人平穏に暮らすことに何の意味があるの? そんなの私にとっては生き地獄だよ」

 彼女の言葉が僕の胸を締め付ける。

「君のためなら命だって投げ出すよ」

 レシアははっきりとそう言った。

 そして悪戯っぽく笑った。

「君もそう言ってたから。……お揃いでしょ?」

 お揃い。

 その言葉の重さに僕は息を飲んだ。

 彼女は本気だった。

 僕と同じ覚悟を既に決めていたのだ。

 愛する者のために命を懸ける。

 それは恐怖からではない。

 愛から生まれる純粋で、そして何よりも強い覚悟。

 僕の最後の迷いが打ち砕かれた。

 彼女を守るべきか弱い存在として遠ざけることは、彼女のこの強い覚悟を踏みにじる行為だ。

 それは彼女に対する最大の侮辱だ。

 俺は彼女を信じなければならない。

 守るべき存在としてではなく、共に戦うパートナーとして。

 僕はゆっくりと頷いた。

「……わかった。……一緒に行こう、レシア」

 僕の言葉にレシアの顔がぱあっと明るくなった。

 その笑顔は夏の日差しよりもずっと眩しかった。

「だが二人だけじゃ勝てない。相手が何人いるのかもわからないんだ。まずは仲間を見つけなければならない」

 父さんもかつてそうしたように。

 一人では戦えない。

 信頼できる仲間が必要だ。

「行こう」

 僕は立ち上がりレシアに手を差し伸べた。

「まずは俺達以外の仲間を見つけに」

 レシアは僕の手を強く強く握り返した。

「うん!」

 僕たちの目的が決まった。

 それはもう絶望からの逃避行ではない。

 未来を自分たちの手で掴み取るための、希望への旅路だ。


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