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ひとめぼれ?

 その予期せぬ言葉に、僕の思考は完全にフリーズした。

「……え……?」

「あの時から、ずっと」

 レシアは俯きがちに続けた。

 その声は蚊の鳴くような小さな声だったが、静かな夜の丘の上でははっきりと聞き取ることができた。

「あの時って……いつ?」

 僕が尋ねると、レシアは指で自分のスカートの裾をいじりながら、ぽつりぽつりと語り始めた。

 それは僕がまだ父さんと母さんと三人で幸せに暮らしていた頃。

 僕たちがまだ本当に小さな子供だった頃の話だった。

「……私、昔よく村の男の子たちにからかわれてたの、覚えてる?」

 言われて僕はぼんやりと思い出した。

 レシアは昔から少し内気で本を読むのが好きな女の子だった。

 そんな彼女を村のガキ大将たちが面白がってよく泣かせていたのだ。

「その日も私、一人で森の中で花の絵を描いてたらあの子たちがやってきて……。私の大事なスケッチブックを取り上げて破こうとしたの……」

 レシアの声が僅かに震える。

「私、怖くて何もできなくて……。ただ泣いてたら……」

 彼女はそこで一度言葉を切った。

 そして顔を上げて僕の目を真っ直ぐに見つめた。

「……ウオが来てくれたの」

 僕の記憶の扉がゆっくりと開かれていく。

 そうだ。

 そんなことがあった気がする。

 森の奥で女の子の泣き声が聞こえて、行ってみたらレシアが数人の男の子に囲まれて泣いていた。

 僕はその時、父さんから習ったばかりの木の棒を使った剣術の真似事をするのがマイブームだった。

 正義のヒーローになった気分で、僕は木の棒を構えガキ大将たちの前に立ちはだかったのだ。

「女の子をいじめるなんて卑怯だぞ!」

 今思えばひどく陳腐で恥ずかしいセリフだ。

 だがその時の僕は本気だった。

 結果どうなったか。

 僕は年上のガキ大将たちに返り討ちにあい、泥だらけになって泣きながら家に帰ったのだ。

 全くヒーローとは程遠い情けない結末だった。

「……ああ、そんなこともあったな……。でもあの時、僕結局何もできなくてボコボコにされただけじゃんか……」

 僕が自嘲気味に言うと、レシアは力強く首を横に振った。

「ううん! 違うよ!」

 彼女は身を乗り出すようにして言った。

「ウオは私のスケッチブックを守ってくれた! 自分が殴られてもずっとそれを胸に抱きしめて離さなかった!」

 ……そうだっけ。

 もうあまりよく覚えていない。

「それにね」

 レシアの声が熱を帯びる。

「私には見えたの。ウオが私の前に立ってくれた時、ウオの背中がすごくすごく大きく見えて……。まるで本物の勇者様みたいだった」

 勇者。

 その言葉が僕の胸に深く深く突き刺さった。

 僕は勇者失格だ。

 父の名を継ぐ資格もない。

 僕はただの父親殺しの罪人だ。

 そう思っていた。

 ずっとそう信じてきた。

 しかし。

 レシアは僕のことを「勇者みたいだった」と言ってくれている。

 あの情けなくて弱かった僕のことを。

「……あの時からずっとだよ。私、ずっとウオのこと見てた。……好きだったの」

 レシアは顔を真っ赤にしながらそう告白した。

 その言葉は僕の崩壊しかけた自己肯定感を根底から揺さぶった。

 僕が僕自身をどれだけ否定しても。

 僕が僕自身をどれだけ憎んでも。

 僕のことをずっと見ていてくれて、そして「勇者」だと信じてくれていた人がここにいたのだ。

 僕の心の中で何かが音を立てて繋がった。

 バラバラだったパズルのピースが一つにはまったような感覚。

 僕はウオでいいんだ。

 僕はダイマ・オウなんかじゃない。

 僕は勇者エミールの息子で、そしてレシアの目の前にいるただのウオなんだ。

 その確信が僕の魂を震わせた。

 ヒュルルルルル……

 その時、再び花火の上がる音が響き渡った。

 ドン! ドン! ドン! ドン! ドン!

 祭りのクライマックスを告げるスターマイン。

 夜空一面にこれまでで最も大きく、そして美しい無数の光の花が咲き乱れる。

 その眩い光の中で、僕の目には涙を浮かべながら恥ずかしそうに微笑むレシアの顔しか映っていなかった。

 僕は気づけば彼女のその華奢な体を力強く抱きしめていた。

 溢れ出す感情を抑えることができなかった。

 感謝と愛しさと、そして新たに芽生えた決意。

 その全てを込めて。

「……あなたは俺が守る」

 僕は彼女の耳元で誓った。

 それはもう「僕」ではなかった。

 無意識のうちに一人称が「俺」に変わっていた。

 それは父が僕に託した『エミール』としての意志の現れだったのかもしれない。

「たとえこの命に代えても」

 それは父から託された「人々を守る」という漠然とした使命感ではなかった。

 レシアというたった一人のかけがえのない存在を守り抜くという、俺自身の魂からの初めての個人的な誓いだった。

 俺の腕の中でレシアの体が小さく震えた。

 そして彼女は俺の背中にそっとその小さな手を回した。

「……はい、あなた!!」

 涙声で、しかしはっきりとそう答えてくれた彼女の声。

 そして俺の胸に顔をうずめながら幸せそうに微笑んだその笑顔。

 その笑顔を俺は一生忘れることはないだろう。

 花火が終わっても、僕たちはしばらくそうして抱きしめ合っていた。

 僕の心の中に一つ確かな光が灯った。

 それはレシアという名の希望の光。

 そして『誰かを守る』という新しい生きる目的。

 この光さえあれば俺はもう大丈夫だ。

 どんな闇が待ち受けていようとも、俺はもう道に迷わない。

 僕の長かったリハビリテーションはこの港町で終わりを告げた。

 そしてここから、俺の本当の物語が始まろうとしていた。



第二部第三章 愛眼からの果たし状

 あの夏祭りの夜から数日が過ぎた。

 俺の世界は色を取り戻していた。

 朝目を覚ますと、窓から差し込む陽の光が温かいと感じる。小鳥のさえずりが音楽のように心地よく耳に響く。食堂のおばさんが作ってくれる朝食のパンは、小麦の豊かな味がした。

 当たり前のこと。

 誰もが毎日感じているはずのこと。

 だが一年以上もの間、灰色の世界で生きてきた俺にとって、その一つ一つが奇跡のように鮮やかで愛おしいものだった。

 俺は変わった。

 一人称が「僕」から「俺」になったのは、その最も表面的な変化に過ぎない。

 心の在り方が変わったのだ。

 レシアが光をくれた。

「あなたは、私の勇者様だった」

 そのたった一言が、俺の砕け散った自己肯定感を拾い集め、繋ぎ合わせてくれた。

 俺はウオでいいのだと。

 勇者エミールの息子として胸を張って生きていていいのだと。

 そして何よりも大きな変化。

 それは俺に守るべきものができたことだった。

『あなたは俺が守る。たとえこの命に代えても』

 あの夜、花火の下で彼女にそう誓った。

 それは父から託された「人々を守る」という漠然とした使命感ではなかった。

 レシアというたった一人のかけがえのない存在を守り抜く。

 俺自身の魂から湧き上がった、初めての個人的でそして絶対的な誓い。

 その誓いが俺の新しい背骨になった。

 もう道に迷うことはない。

 俺が何者であるかなどという不毛な問いに悩むこともない。

 俺はウオだ。

 そしてレシアを守る男だ。

 それが今の俺の全てだった。

 村での生活も変わった。

 以前はどこか村人たちとの間に見えない壁を作り、偽りの笑顔を貼り付けていた。

 だが今は違う。

 心から笑い、心から話すことができた。

「ウオ、顔つきが変わったな」

 鍛冶屋の親方が汗を拭いながら言った。

「ああ。エミールにそっくりになってきたぜ」

 その言葉を俺は今度こそ素直な誇らしさをもって受け止めることができた。

 レシアとの時間は穏やかで満ち足りていた。

 二人で村の仕事を手伝い、昼休みにはあの丘の上で弁当を食べる。

 他愛のない話をして笑い合う。

 彼女の笑顔を見るたびに、俺の心は温かい光で満たされていく。

 この幸せが永遠に続けばいい。

 心の底からそう願った。

 もちろん心の傷が完全に癒えたわけではない。

 夜一人になると、今でもあの王都の広場の光景が悪夢となって蘇ることがあった。

 父の最後の言葉。

『愛してるぜ、相棒……そして俺のたった一人の息子、エミール』

 その言葉を思い出すたびに胸が締め付けられる。

 父の愛の大きさと同時に、俺が彼にかけた最後の言葉が「早く直せよ」という身勝手な懇願だったことを思い知らされるからだ。

 ありがとう、と。

 愛してる、と。

 なぜ俺は最後にそう言ってあげられなかったのか。

 その後悔はおそらく一生消えることはないだろう。

 そして母リリアのこと。

 彼女は今どこで何をしているのか。

 なぜあんな残酷なことをしたのか。

 彼女に対する感情は複雑だった。

 憎い。

 心の底から憎い。

 だがそれでも彼女は俺を産んでくれた母親なのだ。

 幼い頃の優しい記憶が完全に消え去ってはくれない。

 この心の闇はまだ俺の中に深く澱んでいる。

 だが以前と違うのは、その闇に飲み込まれなくなったことだ。

 レシアという光がそばにいてくれるから。

 俺は闇を抱えたまま、それでも前を向いて歩いていくことができた。

 そう。

 俺はようやく幸せな日常を手に入れたのだ。

 このささやかな平穏こそが俺が守り抜きたい宝物なのだと確信していた。

 その宝物が音を立てて崩れ去る、その日が来るまでは。

 黒い鳥が運んできたもの

 その日も空はどこまでも青く澄み渡っていた。

 俺はレシアと二人で村の畑仕事に精を出していた。

 夏の日差しは強い。

 汗が額から流れ落ちる。

 だがその労働は心地よかった。

 昼休みになり、俺たちはいつものように丘の上へと向かった。

 木陰に二人で座り、レシアが作ってきてくれたサンドイッチを頬張る。

 素朴な味だがそれがたまらなく美味しかった。

「ウオ、口の周りパンくずついてるよ」

 レシアがくすくす笑いながら指で拭ってくれる。

 その仕草に俺の心臓が少しだけ速く鳴った。

 そんな穏やかな時間が流れていた。

 その時だった。

 空の一点がにわかに黒く染まった。

 見上げると一羽の巨大な鳥が、僕たちの頭上を旋回していたのだ。

 それはカラスのようだったが、その大きさは尋常ではなかった。

 翼を広げれば三メートルはあろうか。

 そしてその全身を覆う羽は光を一切反射しない、まるで闇そのものを固めたかのような不気味な漆黒だった。

 その鳥から放たれる禍々しいオーラに、周囲の小鳥たちは一斉に鳴き声を止め森の中へと姿を消した。

「……な、何、あの鳥……」

 レシアが不安そうな声で呟いた。

 俺は咄嗟に彼女を背中にかばい、その黒い鳥を睨みつけた。

 間違いない。

 あれは魔物だ。

 それも相当な力を持った高位の魔物。

 なぜこんな平和な村の上空に。

 鳥は僕たちの頭上を三度大きく旋回すると、甲高い不協和音のような鳴き声を上げた。

 そしてその嘴からひらりと何かを落とした。

 それは一枚の黒い封筒だった。

 封筒はまるで意思を持っているかのように、風に流されることもなく真っ直ぐに僕たちの足元へと吸い込まれるように落ちてきた。

 黒い鳥は用は済んだと言わんばかりに、再び甲高い鳴き声を上げるとあっという間に空の彼方へと飛び去っていった。

 後に残されたのは不気味な静寂と、僕たちの足元に落ちている一枚の黒い封筒だけ。

 封筒は羊皮紙のような質感だったが、その色は鳥の羽と同じ光を吸い込むような漆黒。

 そしてその中央には真紅の蝋で封がされていた。

 封蝋の紋様は見たこともないデザインだった。

 それは瞳の形をしていた。

 大きく見開かれた瞳。

 その瞳孔の中で何かが燃え盛っているかのような複雑な模様が刻まれている。

 俺の胸騒ぎは頂点に達していた。

 嫌な予感がする。

 これはただの手紙ではない。

 この封筒に触れてはいけない。

 魂がそう警告していた。

 だが無視するわけにもいかなかった。

 これが一体何なのか。

 確かめなければならない。

 俺は震える手でその黒い封筒を拾い上げた。

 封筒はひんやりと冷たく、まるで死人の肌に触れたかのようだった。

「……ウオ、開けるの……?」

 レシアが心配そうに俺を見つめる。

「……ああ」

 俺は頷き、意を決して封蝋を剥がした。

 中には一枚だけ同じように黒い便箋が入っていた。

 そこに書かれていたのは、血のように赤いインクで綴られた流麗な文字だった。

 その筆跡に俺は見覚えがあった。

 それは母リリアの筆跡だった。

 そしてそこに書かれていた内容は、俺がようやく手に入れたこのささやかな幸せを再び根こそぎ破壊するには十分すぎるほど残酷なものだった。

 手紙の冒頭はこう始まっていた。

『親愛なる、大魔王の反転者ウオへ』


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