9:己との会議
「――とりあえず、向こうはひとまず大丈夫、か……」
「っていうか向こうは本体に任せた方がいいだろう」
「なにせ今の俺たちこの格好だし」
脳裏で展開される光景に安堵の息を吐いた直後、自身と同じ顔をした男二人にそう言われて、改めてトーリヤの、その分身体たる前世の姿をした男は自身の格好を顧みる。
なにしろ現在のトーリヤ(前世)は全裸で生成された分身体に申し訳程度に腰に布を巻いただけのほぼ裸。
周りの同じ顔をした分身たちも同じような格好で、しかもさらにまずいことにその両手や体の各所が少なくない量の血でぬれている状態だ。
「……改めて酷いなこれ」
「とても子供にお見せできる格好じゃない……」
「犯罪の匂いしかしない……」
「俺なんてすぐ着られるものがこれしかなかったんだぞ」
「やべぇな裸エプロンじゃん……!! 自分の裸エプロン姿を目のまえにするとか――、おぉぇ……」
「テンション乱高下させてんじゃねぇよ。くそぅ……。洞窟に残ってた服を早く洗濯しないと……」
「問題はその洗濯を誰がやるかだな。分身を出せば早いが……、その分身はすべて全裸で着る服を自分で洗濯しなくちゃいけないというジレンマ……」
同じ顔をした男たちが顔を突き合わせ、ワイワイと自分たちの格好についてそう語る。
現在の男たち、トーリヤの前世を模した分身たちが半裸の上に血まみれである理由は簡単だ。
なにしろ今、この場にいるトーリヤの分身たちは、三人がかりで機能仕留めた巨大鶏、暫定名称『ジャイアントシャモ』の解体作業を行っているのである。
この世界の文明レベルを把握して、魔王という強大な存在との戦いに身を投じると決めたその時点で、トーリヤは前世の自分が触れる機会のなかった様々な技術を習得する必要性を認識していた。
特に重要と感じていたのは食料調達をはじめとするサバイバル知識で、そのためトーリヤは村にいたころから鳥型の分身を村の各地に放ち、村人たちが行う農作業やや野草の採取、そして動物の狩りから解体、それらの加工の仕方に至るまでの流れを観察し続けていたのである。
その甲斐あって、今のトーリヤは実際にやった経験こそないものの、獣の解体の仕方、その大まかな手順と基本的な考え方についてはおおむね知識として身に着けている。
無論知識だけあっても経験がない以上どうしても手さぐりになってしまう部分はあるが、ことトーリヤの場合それを補うだけの人数と、そして役に立つ転生特典の能力がある。
「――にしてもやっぱり【生体走査】は便利だな……。筋肉の付き方から内臓の位置、血管や骨の位置まで触るだけで把握できる」
「これ、毒草の判別とかもできそうだぞ。さっき野草の構造を見た時、どの部分に毒があるとかわかったし」
「鑑定スキルかよ。なんだよ、意外に異世界転生物の王道を押さえたような能力じゃん」
トーリヤが盗み見た知識だけで解体を進められている理由は簡単だ。
なにしろトーリヤには、触れただけで生物の体構造を読み取れる【生体走査】の能力を持っているのである。
傷つけてはいけない内臓の位置、刃物の入れやすい部位や剥がれやすい場所など、未知の生物が相手でも必要な情報を瞬時にくみ取れるこの能力があれば、最低限の知識だけで実践経験のないトーリヤであってもジャイアントシャモの解体作業はかろうじて行える。
「……っていうかなんとなく皮剥いでたけど、鳥の皮ってことは羽をむしれば毛皮っていうより鳥皮としてそのまま食えるんじゃねぇ?」
「どうだろう……? 【生体図鑑】の同種の体構造と比較しても、若干皮が厚いから食えるかどうか……」
「っていうかこの肉、昨日本体で食った感じ味は悪くなかったけど保存はどうする? こんな世界じゃ冷凍なんてできるわけないし」
「村だと肉の保存とかってあんまやってるイメージなかったけど――」
「村のあたりじゃこんな大物そう見かけなかったからな……。もっと小さい海鳥とかなら子供が石を投げて仕留めたりしてたが」
「あー、あったあった。それで仕留められんのがうちの分身なの……。分身は死ぬと消えるから肉なんて残らないし、あれお互い不幸な話だったよなぁ……」
せっかく仕留めた獲物が忽然と姿を消してしまう、そんな苦い記憶を植え付けてしまったことを三人そろって思い出し、トーリヤ(男)たちは自分同士で雑談しながら巨大な鶏の解体作業を進めていく。
トーリヤの分身、そしてその大本である本体の少女は、意識下で記憶や認識を共有しながらもそれぞれ独自の思考や判断を行うことが可能だ。
これは恐らく思考の起点となる脳がそれぞれ別々に存在しているからだと思うのだが、そうした特性故にトーリヤの分身たちは意識下のつながりを持ちながら、こうして雑談することができるし、それをするだけの意味がある。
これはトーリヤ自身の前世の経験からくる教訓だが、脳内に渦巻く情報を言語化して外に出すというのは、思考を取りまとめて新たな発想を得る手段として非常に有意義なのだ。
「欲を言えば、もとが同じ人間の俺ら同士じゃなく、こういうのは他人と会話した方が発想面では有意義なんだがな……」
「その辺は――、まだ難しいだろうな」
そんな言葉と共に、三人の分身たちは作業を進めながら、同時に本体の思考の代わりのようにこの島にいる三人の子供たちについて考え、言葉を交わす。
生贄という名目の厄介払いとして海に流され、そのまま島流しのような状態に陥っているという段階で相当だが、この島にいる者たちの境遇ははっきり言って壮絶そのものだ。
聞こえてくる情報だけでも、トーリヤ含めた四人全員が両親と死別済み。
しかもそのうちの一人であるレイフトに至っては、つい先日目の前でその両親を殺されたばかりであるという。
直近で両親を殺されているという点ではトーリヤ自身も同じだが、トーリヤの場合後から殺されたという話を聞かされただけであるせいかいまだ実感が追い付いていない部分があるし、何より外見は四歳の幼女でも中身は両親以上に年上の三十過ぎの男だ。
もとより両親との付き合い方に悩んでいた身である上、良くも悪くも人生経験を積んでしまっているため、両親が殺されたというその話に憤ることはあっても、純粋にその憤りだけには徹しきれていない部分がある。
対して、レイフトの方は正真正銘、まだ九歳の少年だ。
島に流されたメンバーの中で、少なくとも外見上は最年長、かつ唯一の男であるというその状況からある程度気丈にふるまい、他のメンバーへの気遣いや生き残るためにすべきことを探すなど率先して動いているところがあるが、ふとした拍子に海の向こうの、恐らくは村があるとみなした方向をにらんでいるような時がしばしばある。
レイフト一人でもかなりの問題だが、残る二人についてはさらに事態は切迫していて深刻だ。
特に深刻なのは左手の負傷と、それによる発熱などの深刻な体調不良を抱えたエルセだが、彼女の場合むしろ問題なのは精神の方だろう。
今の彼女に対して、トーリヤが抱いた印象はいわば『手負いの獣』だ。
具体的に何があったのかは不明だが、今の彼女は負傷を抱えたまま他者に対して異様に警戒感を示しており、たとえ手を差し伸べる形であっても自分に接しようとする相手に対して強い拒絶を返すほどになっている。
救いがあるとすれば、右腕の負傷が獣にかまれたような傷跡だったにもかかわらずトーリヤが生成した犬分身に対しては警戒を緩めている点と、あとはシルファに対しては普通に手を差し伸べることができていたという点か。
犬に関しては、トーリヤ自身が凶暴性を感じない、見た目からしてかわいらしさや愛嬌を感じられる犬種を選んでいるからというのも理由としてあるのかもしれないが、一方でエルセのシルファに対する態度の方はある種希望の持てる判断材料だ。
相手が年少のシルファだったから警戒が緩んでいたのか、自分から手を差し伸べる分には大丈夫ということなのか、そのあたりについては慎重に見極める必要があるのだろうが。
そしてもう一人、実のところ不明瞭な部分が多いという点で、一番見極めが必要なのが最後のシルファだ。
否、シルファについても推測できることは多いのだが、他の二人と違ってそうした推測だけでは埋められない、何らかの情報の欠落のようなものが感じられる。
(そもそも、あの子はなんで生贄として船に乗せられたんだ……?)
島にいる四人の内、トーリヤとレイフトの立場はいうなれば村という狭い社会の中での政治犯の子供だ。
レイフトの話では、二人の両親は村長の不正を告発しようとして殺された反逆者だったというし、そんな両家の子供への対処として、風聞の悪い直接的な処刑を避け、けれど見せしめとしての効果を期待して生贄という遠回りな方法で抹殺しようとしたというのは、少なくとも犯行動機という意味では理解できる。
そして犯行動機としてならば、エルセが船に乗せられたことについても、その理由はある程度推測が可能だ。
なにしろこの世界の文明レベルはお世辞にも高いとは言えず、あの村の人間たちとてさほど余裕を持って生活できているわけではない。
そんな中、右腕に重度の傷を負い、その傷が治っても元通りに働ける見込みのない、より癇に障る言い方をするならば足手まといなりかねないエルセの存在は、外聞を気にせず口減らしができるならそうしたいと考える、そんな要素を確かに備えているだろう。
どの事情も心情的には嫌悪感しか抱けない話ではあるが、ある種の合理性、人間の思考としてはまだしも理解はできる。
けれどことシルファに関していうのであれば、どうにもトーリヤにはその理由が不足しているように思えてならない。
無論人間社会や人間関係なんてそれこそ何でもありうる以上、理由なんてそれこそトーリヤが理解できないようなひどい理由だったりするのかもしれないが。
シルファの態度を見ていても、彼女が他者からの迫害を受けていたのは明らかであるし、そうした迫害の果てに社会そのものから排斥されてしまったという筋書きも、可能性としては十分にありうる。
だが一方で、もしもシルファの中に、トーリヤ達がまだ知らない何らかの一要素が存在しているのだとすれば。
トーリヤは、まずその一要素の正体を知り、受け止めるところから始めなければならないのではないかと、そう思う。
曲がりなりにも親を名乗り、しばらくの間運命を共にすることになる、そんな相手として。
「……っていうかデカいなやっぱこの鶏……。さっきは話がそれたけど、本気で肉の保存とかどうするよ?」
そうして言葉を交わし、三人の子らについての問題点の洗い出しが終わったところで、いよいよ三人の分身が獲物の解体作業につかれて話を一度そちらに戻す。
必要で避けられないからとある意味軽い気持ちで始めた解体作業だったが、仕留めた獲物の大きさが大きさだったがゆえに三人がかりでもひどく難航し、先ほど洞窟に残っていたズボンをはいた前世男の分身が三人合流して、それでもなお終わりが見えずに呆然とさせられる。
「……とりあえず肉に関しては、村でやってた魚の干物作る奴真似して干し肉でも作ってみよう。最悪この島で冬越しすることも考えなきゃいけないんだ。これ全部が保存食料になるなら相当に心強い」
「けどこういうのって日光に当てちゃいけないんだっけ……?」
「やり方はまあ、いろいろ試して一番いいやり方を探すしかないな……。肉の保存っていうと燻製とか――、あとは魔法で水分を集められるならそういうのに頼るってもあるけど……」
「それより取り出した内臓とか血抜きした血とかどうするよ? これ放っておくと下手すりゃやばめの肉食獣とかよってくるぞ」
「確かこういうのって、食べない部分は地面に埋めちまうんじゃなかったか? 洞窟に穴掘るのに使えるスコップ的なものあったっけ……?」
ワイワイと議論を続けることで気を紛らわしながら、途中で六人に増えた同じ顔の男たちは体を血で汚しながら生まれて初めての解体作業に従事する。
本体たるトーリヤの中に、確かにその経験と記憶を蓄積させながら。
共にこの島で生きることとなった三人が、せめて飢えることがないように。