6:父を名乗るために
足元に落ちた薪を左手で拾い、右腕で抱え込んだ他の薪に加えて立ち上がる。
痛みばかりを訴え、ろくに動いてくれない右腕を体の方へと無理やり押し付けることでようやくその間に挟んだ薪を保持して、それでも気を抜くと周囲にばらまいてしまいそうになるそれらを左手で支えて次の木を探してさ迷い歩く。
浜辺に散乱していた船の残骸を使う手も考えたが、あのあたりにあったモノは湿気て使い物にならない上、あの『トーリヤの前世』を名乗る謎の大人に『何かに使えるかもしれない』と止められていたため薪に使うのはあきらめざるを得なかった。
加えて、今のエルセが探さねばならないものは薪だけではない。
むしろ薪など、世話になり続けることを避けるために集めているだけのついでのようなもので、今のエルセには探さねばならないものが山ほどある。
(食べられる、もの……、何か探して――、あとは、そう、何か、武器……、刃物が、あった、ほうが……)
そうしてグニャグニャとゆがむ視界で必死に足元に目を凝らしてうろついて、不意にエルセは数歩先の地面、ほとんどこの葉や枝で埋もれた中になにやら輝くものを見つけて歩み寄る。
普通にしゃがみ込むことができず、そばに生えていた太い木の幹に体重を預け、半ばへたり込むようにして態勢を落として、そうして苦労した果てにようやくエルセはその場所に埋もれていたものを左手でつまんで引っ張り出す。
(――こ、れ……、ナイフ……?)
引っ張り出した、刀身が錆びだらけのそれを見て、それでもエルセはその物品を自身が探していた武器になる刃物なのだと判断する。
『――い、――ぉ――て、そ――に――な』
なぜこんなところにそんなものがあるのか、この近辺に人が住んでいるのか、頭に浮かんだ疑問はいくつもあったが、それでも自分はついているとエルセは弱弱しい笑みを浮かべる。
『――く、――は――もどれ――!!』
あとは自分の食べるものだと、そう考えそばの樹木に手をついてよろよろと立ち上がり、次に探すべきものを求めて強引に立ち上がろうとして――。
「――あぶねぇッ!!」
その瞬間、突如として背後から声がエルセに叩きつけられて、同時に物理的な衝撃までもがその身に襲ってくることとなった。
「――か、あ――」
動かない右腕を中心に強い痛みが響いて、同時に集めた薪が空中へとまき散らされる。
自身にとびかかってきたなにかと共々エルセの体がそばにあった斜面を転がって、襲い来る衝撃が負傷した右腕からの強烈な痛みという形で存分にエルセの意識を打ちのめして、やがて勢いが収まりいくつもの苦痛だけを残して樹木の広がる空が視界の中に映し出される。
「――く、ぅ――、ぁ――」
右腕の痛みに明滅する視界に自信をのぞき込む影が映りこむ。
獰猛な牙、獲物を見る瞳、とっさに構えた右腕に食らいつき、その骨をかみ砕きながら命を狙う獣の姿が、もうろうとした意識の中ではっきりとエルセの意識に焼き付いて。
「――ぅっ、ぁアッ――!!」
「うわっつ――!!」
とっさに叫んで左手に握りこんでいたナイフを振るった次の瞬間、自身をのぞき込んでいたはずの獣が人の声で叫んでエルセの上から飛びのき、後ずさる。
そうして距離を置き、自身も起き上がったことで初めてエルセも気が付いた。
自身に飛びついていたその相手が記憶に残る獣などではなく、ともに付近の海岸に流れ着いたあのレイフトという少年だったことに。
「――痛ってぇ……。なにすんだよ」
「あ――」
レイフトの腕、恐らく先ほど反射的に切り付けてしまったのだろう。
手のひらの側に切り傷が刻まれ、そこから少ないとは言えない血が流れているのを見てエルセの意識が同時に二つの感覚に満たされる。
一つは、やってしまった、という罪悪感。
そしてもう一つはそれに呼応するように沸き上がった、その罪悪感を悟られてはいけないという強い焦燥。
それに続けてそもそもなぜとびかかってきたのかというそんな疑問が、何かを言わなければという衝動が、他にも様々な感情や思考が、次々と入り乱れて働きの鈍いエルセの意識を埋め尽くして――。
「――ッ、おいボーっとするな走れ――!!」
そんなエルセの混乱をよそに、負傷した個所を抑えていたレイフトが何かに気づいたように慌てて動き出し、ナイフを握って構えたままの左手をつかんで一気に引き立たせながら走り出す。
そして直後に、それが来た。
直前までエルセがいた場所、その大地に上空から巨大な生き物が降ってきて、地響きと共に大地をつかんでそこに生き物がいればどうなっていたかを舞い上がる木の葉や土埃によって物語る。
『ゴ、ゴ、ゴ、ゴ、ゴロロロロォァァァアアアアッッッ――――!!』
そして直後にそれが、空から降ってきた巨大な鶏が威嚇するように叫ぶ。
子供であるエルセ達はもちろん、大人と比べてもなお巨大。人の背丈の倍近くはあるだろう体高と、発達した両足、それに反比例したかのように随分と小さい翼を持ったその生き物が、やけに巨大な嘴を鳴らして見慣れぬ人の子二人を威嚇する。
「――くっそ……。ふらふらあんなのに近づきやがって……。逃げるぞ、あんなのに蹴られたらそれこそ虫みたいにつぶれちまう……!!」
「――ッ、ぁ――」
助けられた、というその感覚が、エルセの中でようやく追いついてくる。
恐らく先ほどレイフトが飛びついてきたときも、同じように蹴られ、あるいは踏みつぶされかけていたエルセをレイフトが強引に離脱させようとした結果だったのだろう。
そう現状を理解して、今自分の手を引く一つ年上の少年、その背中にもうろうとする意識で視線をやって――。
その後ろ姿に、二つの背中が重なり、映る。
男と女、その背中に動かないはずの右手が伸びて、後ろを走る女の方がそれに気づいてこちらを振り返って――。
「――は、なせ……!!」
次の瞬間、自身の手を引く少年の手を、エルセは力任せに振り払ってそう叫んでいた。
「――な……!?」
さしもの少年も、この状況で助けに入った自分を振り払うなどとは思っていなかったのだろう。
幸いにして、ナイフを持ったままの手で振り払ったにもかかわらず、その刃は相手を外れて傷つけることこそなかったが、それでもろくに走ることもできないほど弱った少女が一人、錆びたナイフ一本握るだけで自身よりはるかに大きな巨鶏の前へと取り残される。
(――すがるもんか、負ける、もんか――)
激情のまま、小さなナイフ一つ構えて迫る鳥へと向かい合って、その太い両足が、その先端に伸びる鋭い爪が、エルセの眼前へと迫ってきて――。
「ば、か、やろう……!!」
直後、再び横合いから何かがエルセの体に激突して、本来ならその位置にいたエルセがたどっただろう運命と同じように、巨大な鶏の足、その爪にかかってバラバラになりながら吹き飛んでいく。
子供程度なら乗せて走ることすら可能な、けれど生物とは決定的に違う、大型犬の姿をしたトーリヤの分身が。
「【生体転写――」
同時に、直前に犬の背から飛び降りたトーリヤ本体が地面に転がりながら能力を行使して、ここに来るまでの間に準備していた新たな分身を現出させる。
「――Tレックス】」
現れた、三メートル以上ある巨鶏よりもさらに大きな、十メートルを超える巨大生物がその顎によって眼前にいる巨頂を捕食する。
あまりにも大きな、ほとんど処刑装置のような牙の羅列が一瞬のうちに巨鶏の首をかみ砕き、人間にとって脅威となるその生き物を一瞬のうちに絶命させて、直後に用が済んだと言わんばかりに瞬く間に空気に溶けて消えていく。
「――まったく」
巨大な生物の死骸にエルセ達が押しつぶされることのないよう、消す寸前に遠くへと放り出した巨鶏が間違いなく死んでいることを確認しながら、トーリヤは緊張から解放されて思わずそう言い、ため息を吐く。
そうして同時に考える。
先ほどからレイフトに付けた鳥の視界越しに見ていた光景に。
自身の目の前、糸が切れたように気を失った、まるで手負いの獣のようなこの少女に、果たして自分はどう対応すべきなのかと。
そして問題があるのは、なにもこの手負いの少女一人というわけでもない。
「――おいッ、おい……、大丈夫か……!?」
別の場所で活動する男の体。海辺でイルカアバターが持ち帰る魚の受け取り役として待っているはずのシルファの回収に向かった前世の分身が、しかし今は焦りに満ちた声と共に倒れていたシルファに触れて、その状態を確かめる。
とはいえ、様子を確かめて、しかしトーリヤはすぐさまこちらでも胸をなでおろすこととなった。
横たわるシルファの息遣いは穏やかで、事前に目の下に隈を浮かべた疲労した様子も知っていたがゆえに、すぐさま彼女がただ寝ているだけなのだと、そう判断できたのである。
無論後でトーリヤ本体による【生体走査】による診察は必要になると考えてはいたが、それでもひとまずは大丈夫そうだと安心して、しかしそれで安心できたのはあくまでトーリヤ一人でしかなかった。
「――ぁ、――ひっ、ご、ごめんなさいッ――」
トーリヤに触れられたことで目を覚まし、一瞬わずかにぼんやりとした表情を見せていたシルファが、しかし直後に顔色を変えて跳び起きて、トーリヤを恐れるようにわずかに後ずさりして、そして直後に砂浜に頭を叩きつけんばかりの勢いで土下座する。
「――お、おい――」
「――ごめんなさいッ……。ごめん、なさいッ……!! ちゃんと、はたらきます――。お仕事、します――。す、すぐ――」
恐怖におののき、慌てふためきながらそう叫ぶその姿に、トーリヤは分身越しに否応なく理解する。
思えば当然なのだ。
こんな反乱分子の処刑のような、生贄などという名目にわざわざ便乗させられているその時点で、エルセにしてもシルファにしてもいい扱いを受けていたはずがない。
覚悟を問われていると、そう思った。
曲がりなりにも父を名乗って、その役割を請け負おうとしたそんなトーリヤに。
その覚悟が問われていると、そう思った。