5:転生勇者の無人島ライフ
「――ぅ」
海の底に沈んでいたような意識が急速に浮上する感覚があり、おぼろげな意識が起動して、そうして始めて初めに覚えたのは、己の体の各所が肉体をさいなむ多数の不調に一斉に抗議の声を上げる、そんな感覚だった。
「――ぅ、ぐ、水……」
「お、ほらよ」
呻くように漏らした声に男の声がそう応じて、直後に植物の葉のようなものが口元にあてがわれて口内に水分が流し込まれる。
「――ぅ、こほっ――、こほっ――」
「――おっと、悪い……。気管にでも入ったか……?」
「……いや、目を開けたりゃそこに変質者がいたから」
咽ながらもかろうじてそういうと、目の前にいたその男は心外だとばかりにそう応じてくる。
とはいえ、客観的に見ればトーリヤのその言葉も非常に正鵠を射ているといえるものだっただろう。
なにしろトーリヤの目の前にいたのはどこからか調達したのか腰回りにぼろ布こそ巻いているものの、それ以外は何も身に着けていないほとんど全裸の男だったのだから。
それもひどく見覚えのある。ほかならぬトーリヤ自身が一番よく知る相手でもある。
「はっはっは……。言うじゃねぇか。そういうことは服を生成できるようになってから言えよ俺」
「自分相手に客観的発言を遠慮してどうすりゅんだよ。村にいた時も何度か不審者と間違えりゃれたじゃねぇかよ、俺」
成人男性と金髪幼女の二人が、しかしどこか似通った皮肉な笑みを浮かべて互いに向かってそう毒を吐く。
そう、そこにいたのは、ほかならぬトーリヤ自身。正確にはその前世である男の姿をとった、人型の分身の姿だった。
実のところ、トーリヤが自身の前世の姿を【生体転写】によって分身として生み出したのはこれが初めてというわけではない。
というよりもかなり初期のころから、トーリヤは試行錯誤の一環として前世の自分を分身として召喚することに成功していた。
成功して、それによってちょっと厄介な騒ぎになった。
なにしろトーリヤの【生体転写】で生成できるのは基本的に生物のみ。
無機物の道具はもちろん、厄介なことに衣服の類も生成できるものではなく、結果生まれたのはまだ赤子といっていいトーリヤのそばに全裸の男が現れるという、前世の社会で誰かに見られたら確実に事案扱いされる最悪な部類の構図だった。
否、なにも前世に限らずともこれに関してはこちらの世界でも事案にはなった。
何度か試す中で近隣の住人にトーリヤのそばに誰かがいるのがばれ、とっさに分身を消したため直接見られることこそ避けられたものの、一人残した赤子のもとに正体不明の誰かがうろついているという事態に家庭内で人さらいが来たのではないかと騒ぎになって、トーリヤ自身この分身を迂闊に使用することができなくなったのだ。
「まあそれでも、この局面でこの体を作ったのは判断としちゃ成功だったよ。
というかどの程度ここまでの経緯を理解してる? なんだか意識や認識の同期がうまくいってないみたいなんだけど……?」
「――あー、とりあえず寝てる間の分身たちの状況も記憶としては共有されてりゅから大丈夫っちゃ大丈夫。……ただ、思い出す工程が必要だかりゃ、頭ん中整理する意味でも説明頼む」
「はいよ」
そう言って、トーリヤの前世である男はまだ本調子とは言えないトーリヤの体を抱き上げて、状況の説明もかねて歩き始める。
その扱いには、自分でやったこととはいえいろいろと思うところは多々あったが、生まれ変わってこのかたトーリヤ自身いろいろとなれ始めていた扱いでもあるため、ひとまず先ほどから気になっていたことを問いかける。
「……さっきかりゃ気になってたんだが、ここは小屋かなんかか――、いや……」
自身が目覚めた場所、ひどく傷んだ板張りの壁や屋根に囲まれたその空間を見回して、興味のままに問いかけたトーリヤは、しかし答えが返ってくる前に同期した記憶によって大体の答えを伝えられる。
それでも、前世男の方は歩みを止めず、実際にトーリヤにその光景を見せるべく進み続ける。
「まあわかってると思うが、現在俺たちがいるのはお前がどうにかたどり着いたあの陸地だ。具体的にどんな場所なのかは現在鳥を飛ばして調査中なんだが――」
「ああそっか……。俺が気絶した段階で残ってた分身ってお前以外にも――、道理で流入してくりゅ記憶が多いと思ったら……」
「んで、この場所の詳細について、二つはっきりしていることがあってな」
そう言って、前世はトーリヤを抱えて外へと出ると、恐らくは海の水なのだろう、あちこちの水たまりに踏み込み歩いて砂の盛り上がった丘を登り、多少の見晴らしのいい場所にて振り返る。
見えるのは、朽ちたもの、比較的新しいものの違いこそあれど、とにかく大量の船、船、船。
大きさも様式も、そしておそらくは所属していた国すらもバラバラな大量の船たちが、けれどみな一様にその船体すらもバラバラにされて、一目で航行不能な残骸となって遠浅の海岸に点在している、そんな状況だった。
「見ての通りだ。多分みんなあの化け物に襲われて、破壊されたものが流れ着いたんだろうな」
そんな風に、トーリヤと同じ思考回路を持つ前世の分身は、感情を抑えたような声で本体であるトーリヤにそれを告げる。
「まずは一つ目。ここは、いうなれば船の墓場だ」
それはすなわち、トーリヤ達同様に、あるいはもっとしっかりと航海の準備をしていたにもかかわらず、あの怪物に襲われて沈んだ船が数多あったということであり――。
「そして二つ目。お前も大体察しているだろうが、今いるここは四方を海に囲まれて、現状文明や人間の気配も見つけられていない。いわゆる『無人島』ってことになる。それも付近の海にこんな船の墓場を作っちまうような怪物が潜む、な」
――異世界生活四年目にして、当初予期していたよりはるかに困難な状況に陥ってしまったという、そんな宣告だった。
聞くところによれば、基本的に裸で生成される前世の分身が腰巻を身に着けているのは、周囲にあった船の残骸の中に残っていた何らかの布を拝借したものらしい。
どうやらこの分身、島に流れ着いた後は精魂尽き果てた本体含む子供四人を介抱し、海岸に寝かせて濡れた服を乾かしたり、薪を集めて火をおこしたり、飲み水や食べ物を調達に動いたりとかなり忙しく働いていたようだった。
「……いや、前世の俺にそんなサバイバル技術あったか? こっち来て四年の俺にない技術を大人の体だから使えるって理屈は納得できないんだけど」
「そこはまあ、俺も協力を仰げる相手に頼んださ。本体の場合肉体年齢は一番幼いし、その割に能力を酷使してるしでめざめるまで時間がかかったけど、他の子たちはお前より比較的早くに目を覚まして手伝いを頼めたからな」
前世の自分の発言に、トーリヤはそういえばと思い出す。
前世と違い、魔法が存在するこの世界では、生活に必要な魔法として火おこしや水の生成がほとんど一般常識のレベルで浸透している。
なにしろ幼い子供が一定年齢に達したときに最初に任される仕事に、その家の生活用水の魔法による調達が含まれているくらいなのだ。
さすがに火の扱いともなると水より多少年齢が上がらなければ教えてもらえないが、トーリヤとてあと一、二年もすれば正式に水を生み出す魔法を教わっていたはずだ。
島に来た子供たちの中で最年長であるレイフトはもちろん、エルセくらいの年齢であれば火や水を扱う魔法は習得していたとしてもおかしくはない。
トーリヤ(分身男)の場合、その手の魔法は分身越しに見ての見よう見まねですでに習得していたものの、実践する経験がなかったためにそれなりに手間取り、その手の作業に慣れている子供らの手を借りる羽目になったらしい。
よく記憶を探ってみれば、「大人のくせにこれくらいのこともできないのかよ」という地味に傷つく子供らの反応がバッチリ記憶に残っていた。
と、同時に。
「――あん? っていうかこの記憶……、お前あいつりゃに前世がらみのことほとんど全部話したのかよ?」
「もともとそのつもりだっただろうが。感謝しろよ。この世界、少なくともあの村の常識じゃ転生だの生まれ変わりだのって概念自体があんまり知られてなかったから、説明にかなり苦労したんだぞ。
ぶっちゃけ今でもきちんと理解できているかは怪しいが……、俺がいろんな生き物を分身として生み出せるってことと、本来の精神構造がこっちの見た目に近いってことだけはどうにか飲み込ませたんだ」
語られる説明時の記憶をどうにか受け止めて、トーリヤはひとまずそのあとの記憶を大まかにではあるが脳内で再生していく。
この陸地に流れ着いたとき、力を使い果たしたトーリヤ本体はもちろんエルセも気絶していたらしく、意識があったレイフトとシルファの二人の協力の元周囲を探索し、この『船の墓場』近くに拠点を構え、とりあえず薪を集めて火を起こして、魔法も併用して服を乾燥。
その過程でエルセも目を覚ましたらしく、その後は目を覚まさないトーリヤ本体を日陰になる船の残骸で寝かせつつ、他の三人の内レイフトとシルファの二人は、負傷しているエルセに火の番を任せて残っていたアバターと共に食料の調達に動いているらしい。
「そういや腹減ったな……。最後の食事から何時間だ……?」
「晩飯食ってから眠りについて――、その後寝ているところをさらわれて船に乗せられてめざめたのが夕方近く……。そのあと夜になって陸を探し始めて――、夜明けごろにあの化け物に襲われて此処にたどり着いて今が昼過ぎだから、最後に食事してから大体一日半くらいか?」
「なるほど道理で……」
そうして会話を交わしながら、トーリヤ達は船の残骸が残る浜辺、その付近に前世の自分たちが設けたという焚火の場所へとたどり着く。
船の残骸ほどではないが、一応こちらにも木陰くらいはあるようで、火の番を任されたエルセがそこで他のメンバーを待っている、はずだったのだが――。
「――あれ?」
すでに火は消えていて、その場所にいるはずのエルセの姿はどこにも見つけられなかった。
サバイバルにおいて重視される火、その維持は元の世界であれば確かに重要な役割だが、実のところこちらの世界において火の番というのは決して重要な役割ではない。
なにしろ、そもそもこの世界の人間には魔法という簡単に火を起こせる技術が存在しているのだ。
一応トーリヤ達の場合生まれ育った場所が平和な田舎の村だったという影響もあり、こうした魔法はあくまで生活のために使うだけで、火を起こすことはできてもそれを飛ばしたり爆発させたりといった、日本人がよく思い描く戦闘用の魔法というものを使える人間はほとんどいなかった。
反面、その気になれば火くらい苦も無く起こせる関係上、一度付けた火をいつまでも維持しておく必要というのは実のところ薄い傾向がある。
故に実のところ、一通り服を乾かし終えた現在、一度付けた火をいつまでも維持しておく必要性というのはあまりない。
むしろ集めた薪を余計に使ってしまうロスを考えるなら一度消してしまったほうがよかったくらいなのだが、ではそんな事情にもかかわらず前世の自分がエルセに火の番を任せた理由があるとすれば、それは単純に負傷した彼女にあてがえそうな役割がほかになかったからだ。
なにしろ今の彼女は、右腕に何らかの理由で酷いけがを負い、その右腕も雑に手当てされているだけでまともな治療すら受けていないような状態である。
この陸地についたときトーリヤ同様意識を失っていて、それでもほどなくして一足先に目を覚ましたという彼女だったが、はっきり言って今の彼女は仕事など任せず休ませなければならないはずの状態なのだ。
前世の自分も同じことを考えたのだろう。
レイフトとシルファに関しては、護衛代わりにすでに生成されていた鳥の分身をあてがうことで一応の仕事を割り振ったトーリヤだったが、さすがにエルセに対してはそういう訳にもいかないと判断し、比較的活動の必要がない、体を休められる火の番という仕事を割り振った。
にもかかわらず、今そのエルセはその姿を消して、決して軽視できない負傷を抱えたままこの付近のどこかをうろついている。
「――ッ、【生体転写】……」
嫌な予感を感じて、トーリヤは即座に自身の持つ能力を発動。
四羽の海鳥型の分身を生成して、それぞれを四方に放って、同時に現在残っている他の分身の方へも意識を向ける。
この陸地についてすぐに前世の自分を出力し、本体を抜きに自立活動できる分身体に後のフォローを任せていたトーリヤだったが、あの段階で出力したまま残されていた分身は何も人間型の一体だけではない。
海上でおとりとして生成した巨大生物型の分身たちは軒並みあの海竜に捕食されて消滅してしまったが、ここまでトーリヤ達を運んできた二体のイルカ型分身は現存しており、今はこの近辺の浅瀬で魚を取って海辺で待つシルファのもとへ運んでいる。
また、陸地を探すために四方に放っていた海鳥の分身も生き残っていた二羽がここに集結して、今は森で食べられる物を探すレイフトについて周辺の警戒に当たっていた。
逆に言えば、今本体と共にいる五体の分身の誰もがエルセにはついておらず、その後姿を見ていないため彼女の行方が分からなくなっているとも言えるのだが。
(あんな傷で、しかも熱だってあったあの体調で、そう遠くまでいけるとは思えないが――)
「おい本体、犬だ。警察犬とかの、シェパードでも何でもいい。とにかく臭いで追跡できる分身を作って探させろ」
「――と、なりゅほど……」
言われて、即座にトーリヤは自身のそばに大型犬の分身を生成。
村にいたころの検証で臭いを用いた追跡の経験はあったため、その時の経験を頼りにエルセが休んでいたあたりから臭いを覚えて、その臭いが続く先へとトーリヤ本体を乗せて走り出す。
「俺は他の二人の回収を頼む。これ以上状況が混乱しないように、一度全員を集めてくれ」
「了解」
そう前世の自分と言葉を交わし、トーリヤの本体は犬の分身に乗って臭いの続く森の中へと走り出す。
まだ生態系すらわからない、未知の生物が存在するかもしれない森の内へと。