3:生贄の船出
そもそもの前提から話をするならば、トーリヤが転生することとなったのは海沿いに広がる多少大きな規模を持つ村だった。
海沿いというだけあって漁業は行われているものの、何らかの事情があるらしく漁自体はそれほど盛んではなく、広く土地を開墾しての農業の方が盛んにおこなわれているような、そんな村々。
加えて、文明レベルはそれこそトーリヤが前世の段階でイメージしたような中世レベル。
魔法なども存在していて、というよりもトーリヤがもらった三つの能力もこの魔法と同じようなメカニズムに基づくものらしい。
あるいは、あの神様ならざる存在はそういったこちらの状況まで踏まえて魔王を倒すための転生というよくある話をたとえとして用いたのか。
なんにせよ、この世界の人間たちは、こういっては何だがまだまだ発展途上の段階で、そして問題だったのは、まずいことにそんな発展途上の人類にありがちな、トーリヤの元居た世界ではすでにすたれていたような犯罪や風習も、こちらの世界ではまだまだ現役で存在してしまっていたということだった。
(――む、ぐ、なんだ――。暗い、し――、これは、腕を縛られてるのか……?)
目を開けているはずなのに暗い視界、両手両足に感じる感覚にしばし困惑して、しかしトーリヤはすぐさま暴れるのをやめると自身の両手、それが触れた壁らしきものとの隙間でひそかに【生体転写】を行使する。
生み出したのは大人の掌であればすっぽりと収まってしまうサイズの小さなネズミ。
厳密には、この世界にきて発見した種類であるため地球にいたネズミとはまた違った種類になるが、なんにせよ極小の哺乳類アバターを生成して、即座にトーリヤはネズミの目から周囲の様子を確かめる。
(これ――、やっぱり船の中か?)
まず目に入ったのは、粗末な木製の壁や天井と、その外から香る潮の匂い。
視界が利かない状況の中でも揺れを感じ、波の音がやけに近くに聞こえていたためもしやとは思っていたが、どうやら予想していた通り、今のトーリヤはかなり小型の船に乗せられているようだった。
否、この場合トーリヤはというよりも、トーリヤ達はというべきか。
(俺一人じゃない……。同じような子供がほかにも三人……)
ネズミの目で周囲の様子を確認しながら新たに生成した二体目のネズミを走らせて、自分達のいる一室の外、小舟の船上に他に誰もいないことを確認してから、トーリヤは手元に残しておいたネズミの歯で縄をかみ切り、かぶせられていたズタ袋を自分の頭からむしり取る。
続けて、両足の縄も解いて他の三人も見渡すと、三人のうち二人はわずかながらも身じろぎしていて、トーリヤはひとまずそのうちの一人、この中で一番大柄な少年の方へと駆け寄ることにした。
「待ってりょ、今縄をほどくから――、ああ、でも、その前に」
ふと思い立ち、トーリヤは少年の両手の縄に指をかけながらも【生体転写】を駆使して頭の上に一羽の海鳥を生成。
体重の軽い海鳥も四歳児の体ではなかなかに重さがあり頭を押さえつけられるような感覚があったが、それも海鳥がすぐさま飛び立って、船の上空へと飛翔していったことですぐさま解消されることとなった。
同時に、トーリヤが少年の縄を解き終わり。自由になった手で身を起こそうとする少年の、頭にかぶせられたズタ袋をはぎ取ると、赤ぽい髪色と鋭い目つきが印象に残る、頬に殴られたような痣のある少年が猿轡をかまされた状態でその顔をのぞかせた。
「――ッ、あ……。おう、チビ、よくやった」
「お礼を言うなりゃチビとか言うな。足の縄は自分で解けりゅか? 終わったらあっちの子の縄を解きゅのを手伝って」
「――お? おう……」
肉体年齢のせいもあってところどころ舌足らずな発音にはなってしまったものの、思いのほかしっかりとした発言で年少の幼女に指示されて面食らったのか、ぱっと見で七、八歳くらいの少年はどこか困惑したようにその言葉に従い、動き出す。
それと当時に、トーリヤの方も少年から離れ、今度は動いていたもう一人の方の拘束を解くべく着手する。
だが――。
(この子、腕が――)
駆け寄った相手、こちらは先ほどの少年より一、二歳年下と思しき少女の縄を解こうとして、そこでトーリヤは彼女の右腕が拘束以前に布のようなものをぐるぐる巻きにまかれて、いびつな形に歪んでいるのを見咎める。
ハッとしながらとっさに【生体走査】で腕の状態を確かめて、何かで大けがしたところを包帯でぐるぐる巻きに縛って強引に手当てしたような状態なのだとそう読み取って、若干迷ったものの、まずトーリヤは頭にかぶせられた袋の方を優先して取り去ることにした。
「――ぅ、く……。う、で……。そっち、といて――、あとは、やるから――」
現れた黒髪の少女の顔、どこか熱っぽい、明らかに具合の悪そうな声でそれでも気丈にそう言うその少女に、トーリヤは若干迷ったものの両足の縄を先に解き、最後に慎重に両腕を縛る縄を解きにかかる。
「自分でできるって――、言ってる、のに――」
「むやみに起き上がりゃなくていい。傷に障るから、用があるまでは寝てりょ」
やけに気丈に、けれど衰弱を隠し切れない様子で起き上がろうとするその少女に、トーリヤは幼女の筋力だけでその額を抑えることで動きを制し、最後に残った一人の縄を解こうと一番小さな影へと向き直る。
とはいえ、そちらの方はすでに最初の少年の方で対処してくれていたらしい。
見れば、縄を解かれ、頭の袋を取り去られた一番トーリヤに近い五、六歳くらいの銀髪の少女が、こちらはおびえた様子でこちらを見つめて身を震わせている。
怪我を負い、雑な手当だけで明らかに衰弱しているこちらの少女も到底健康的とは言い難いが、もう一人の方も随分と痩せていて、何より目の下に隈を作った健康的とは言い難い少女だった。
(船の上に、他にどこにも人間がいない……。人さらい、とかの類じゃない……? だとしたら、この状況はいったいなんだ……?)
飛行する海鳥の分身の視点でも周囲に陸地の見えない海の上、小舟の室内で他の三人の子供の姿を眺めながら、トーリヤは困惑しつつも必死で頭を巡らせ、考える。
自分たちの置かれた、明らかに危険で予想外のこの状況の正体を。
五年後の魔王の襲来、それ以前にすでに命の危機にある自分たちの、その命を今度こそ自力で拾うために。
ひとまず情報を求めて他の三人に話を聞いた結果、まずは共に船に乗せられていた三人について最低限の情報が聞き出せた。
当人たちによれば、現在九歳だというあちこちに痣のある赤髪翠眼の少年がレイフト。
右腕を怪我した、こちらは八歳だという黒髪赤目の少女がエルセで、波打つような癖のある銀髪に碧の瞳という目立つ容姿を目の下に浮かべた隈でくすませた少女が、今年で六歳になるシルファとのことだった。
改めて見ても、三人が三人とも到底良好な健康状態とは言い難い。
もっとも、これについてはトーリヤも同様で、どうやら寝ている間にだいぶ手荒に扱われたらしく、縛られた個所に痕が残っているほか、あちこちにぶつけたような痣や擦り傷がいくつも残っていた。
(――いや、寝ている間、ってのも違うな……)
話しながら思い出したことだが、トーリヤ自身にも寝ているところに気配を感じて目を覚まし、その際に口をふさがれて何かをされて、そのまま意識を失ったようなおぼろげな記憶がある。
具体的に何をされたのか、締め落とされたのか殴られたのか、あるいは薬や何らかの魔法的手段を使われたのかはわからなかったが、状況的にどうやら寝ているところを何者かに襲撃されて、目を覚ましたために何らかの手段で気絶させられ、そのまま縛られてこの船に乗せられた、というのが実情らしい。
そのうえで問題は、だれが何のためにこの四人の子供を船に乗せて流したのか、その目的についてなのだが――。
「……それならはっきりしてる。あの村長の奴だ……。俺の父ちゃんと母ちゃんを殺しやがって……。残った俺達を海神様への生贄にするとか、そんなことを言ってやがった」
「生贄……? いや、待て、それはどういう話なんだ?」
その少年、レイフトが言うには、トーリヤ達の暮らす村では何年も前から村長の立場にあるモノが何らかの不正を行っていたらしく、彼の両親は他数人の村人たちと結託して、この地方を収める領主にそれを告発しようとを狙っていたらしい。
ところが、そうした告発の目論見が村長側にバレてしまい、村長が雇っていたならず者まがいの配下によってレイフトの両親は殺され、その場に駆け付けていたレイフト本人は捕らえられて生贄という形で殺されることとなってしまった。
なにぶん九歳の少年の証言であるため村長の不正の内容など具体的な部分はほとんどわからず、ことの経緯もレイフト自身の聞き知っていた話からトーリヤが判断してまとめた結論だったが、それでもレイフト自身の前でその両親が殺されているらしく、犯人が尊重とその配下の一味というのは間違いのない事実のようだった。
「――待て、だとしたりゃ、まさかうちの両親も……?」
「……俺も手下どもの話を聞いただけだけど――。もしかしてお前が『イエンスのところの娘』か?」
「……!!」
父の名前を出したレイフトのその物言いに、トーリヤは否応なく自身の今生での父親が、そしておそらく母親までもがすでに手にかかって死亡しているのだと、そう察する。
転生しているという事実を隠したまっとうとは言えない関係性ながら、それでも間違いなく親子関係にあったはずの二人が、もうすでにこの世にはいないのだというそんな事実を。
「――死んだっていうのか……、あの、二人が……。
口封じのために親世代は殺して、子供の方は厄介払いの生、贄……?」
「……けど、生贄にするって言ってたのは、俺が聞いたのはうちとそのイエンスって人に娘の二人だけだ。そっちの二人については――」
「――それなら、かんたんよ……。ジャマだから、もう使い物にならないからって、いっしょに捨てられた、それだけ……」
いらだつ様子を見せながらも浮かんだ疑念を口にしたレイフトに対して、横たわったまま話を聞いていたエルセが生気のない声で吐き捨てるようにそう証言する。
弱り切った、けれどその奥底にどす黒い感情を秘めた声色で、傷つき動かない腕を見ながら。
「――わ、わたし、も……。役立たずで、だから、って――」
そんなエルセの言葉に続けるように、つい先ほどまで光のない瞳で虚空を見つめていたシルファがおびえるような、消え入るような声でそう告げる。
そしてその言葉だけで、本来大人の知識と精神を持つトーリヤには大まかながらも背後の事情が推察できた。
(――要するに、反逆者の子供の見せしめ処刑と、足手まといの口減らしをいっぺんにやるつもりってことかよ……)
すでに外では日が沈み、星が見え始めた空の下、潮に流されるだけの船に乗せられたトーリヤは、知らされたその蛮行に心中で暴れる感情をかみ殺す。
突如として襲いきた理不尽、そしてその予兆を感じ取れてすらいなかった自身の不出来への激烈なる怒りを。
五年後の未来しか見えていなかった、そんな自分のあまりにも迂闊すぎる視野の狭さ、そのふがいなさを呪う激情を。