崩壊前8
バスが流湖市南部の公民館に着いてからも、しばらくはバスの中から目にした光景に囚われたままだったが、いつまでもそうしてはいられなかった。
館内に入ると避難所の設営はまだ不十分で、その手伝いをしなくてはならなかったからだ。
この避難所は県の職員と自衛隊が協力して運営をしていたのだが、彼らに言われるがまま作業して出来上がった住居は、ダンボール紙管と白い薄地の布でパーティションを作り、床に直接ダンボールを敷いただけという粗末なものだった。
一部では非難の声も上がったが、「緊急事態なのだから……」というのが大勢の反応だった。
しかしそうはいうものの、やはりみんなどこかで神経は逆立っていた。
プライバシーの問題は我慢できそうでいて我慢できないことの一つだ。
なんとなく居心地の悪い雰囲気が、狭い館内を満たしていた。
この避難所、流湖公民館を使うのは当然町内のグループだけではなく、あとからあとから人がやってきた。
その度に一人当たりのスペースは小さくなっていき、息苦しくなったぼくは一度新鮮な空気を吸うために外に出た。
避難所の受付には長い列ができていた。ぼくはその中に栗田の姿を見つけた。
こういうときに知った顔に出くわすと、過剰なまでの親近感を覚えるものだ。
向こうもそうだったようで、顔を合わすなり荷物も下ろさずに駆け寄って来た。
「古池、お前もここに避難してきたのか?」
「うん、自衛隊の案内で」
「そうなんだ。うちは自主避難。ところで他に学校のやついた?」
「いや、まだ見てないよ」
栗田は辺りを見回してから顔をしかめた。
「人口密度高すぎだなここ」
公民館の中はフリーマケートでもやっているかのような盛況具合だった。駐車場も乗用車やバスで埋まっていて、終いにはそれらを避けて駐車場にテントを設営しようという話も持ち上がっていたほどだ。
「完全にパンクしてるよ。暑いし落ち着かないから外にいるんだ」
「まじか……、まだ入れるかなあ」
「――守、なにしてんの! 早く来なさいよ」
「わかってるって。じゃああとでな、古池」
栗田は彼の母親に呼ばれて受付の方へ走って行った。
栗田もどうにか避難所には入れたようだが、すでに過密状態であともう少し遅ければ受け付けて貰えなかったことだろう。
感染症の避難のためなのにこれでいいのだろうか。実際CDHD以外にも新型コロナウイルスなどの感染を心配する声も上がっていた。
CDHDは空気感染はしないというが、どこまで信用できることなのかだれにもわかっていなかった。
その日の夜。
ぼくと栗田は暇を持て余して公民館の敷地内の小道をぶらぶらと歩いて時間を潰していた。
最初はスマホでゲームをして遊んでいたが、いざってときに使えなくなるからやめろと母に咎められた。
なにもないところでただ時間を過ごすのは案外つらいものだ。
こんな状況で外をうろつくのは褒められたことではないが、同じようにしている人は何人もいた。
煙草を吸うためだったり、単に他人から離れるためだったり。
なにしろ一人当たりのスペースがひどく狭い。だから館内で会話しようものなら隣のブースにもその隣のブースにも丸聞こえなのだ。
「あんなとこじゃ寝られないよな」
栗田が言った。
「うん、寝てる間に頭とか踏まれそうだ」
ぼくも頷く。
「勉強道具も持ってきてないし、やることないぜ」
「栗田ってこんなときまで勉強するの?」
「なに言ってんだよ。おれたち受験生だぜ。いいとこ行こうと思ったら一日も無駄にできないさ」
聞くと栗田の志望校は県内有数の進学校だった。ぼくたちが通っていた中学自体が一応は進学校ではあったから、その高校を志望する生徒も少なくないとは聞かされていたが栗田がその一人だったとは。前の年まではぼくとそう変わらない成績だったはずなのに。
驚くと同時にちょっと焦った。ぼくは進路のことなんてこれっぽちも考えていなかったからだ。当然勉強も全くしていない。だからそう言った。
「ぼくは全然勉強してないよ」
「おいおい、いまからでも始めたほうがいいぜ。古池は頭は悪くないんだからさ、まだ間に合うって」
まだ間に合う。ぼくがよく言われた言葉の一つだ。先生にも両親にも言われた。
「じゃあ避難生活終わったら始めるよ」
「おー、珍しく前向きだな」
「終わらなかったらしないで済むってことだよ」
「あはは、だめだなこりゃ」
栗田はポケットからチューイングガムを取り出して口に放り込んだ。
「ガム食う?」
「うん、貰う」
こんな状況になったせいで皮肉なことに、ぼくたちの交友は深まった。
外国に旅行中、現地で同郷の人と偶然知り合った場合、その相手を本来よりも魅力的な人間だと錯覚しやすいのだという。
だが連絡先を交換するなりして、自国へ戻ったあとその魅力的だった相手ともう一度会うとその相手のどこに魅力を感じたのかわからなくなってしまうそうだ。
海外旅行好きな従兄が、彼女と別れた原因について聞いてもいないのにそう話してくれたことがある。
これはきっとそのケースなのだろうな、と頭の中で考えている自分がいたが、それがなんだというのだろう。
そのときを生きるのに必要だから、そうした錯覚は存在するのだ。
ぼくたちは色んなことを錯覚していた。
関係性も、これから先どうなってしまうかということも。




