終幕後1
光が見えた。
それは遠く小さな灯りだったが、星もない夜闇の中ではよく目立った。
そこら辺の蛾なんかよりももっと、ぼくはそれを探していたのだから。
「さけちゃ、静かにしててよ」
「オオオ……」
辺りを気にして、さけちゃに囁く。
やつらのアジトに潜入している間、どこかに隠れていてもらおうかとも考えたが、一人にするのはなんだか気が引けた。
なんてのは、おためごかしで多分ぼくも心細かったのだと思う。
「さけちゃはこれ被ってて」
「オオオ……!」
ニット帽を目深に被せ、マフラーで口元をぐるぐる巻きにする。
当然さけちゃはじたばたして嫌がったが、最終的には折れてくれた。薪井の教育の賜物だろう。
かくして風貌はパッと見、感染者には見えなくなった。
さけちゃには悪いが、万が一顔を覚えられていたときのための用心だ。うめき声も抑えられる。
自転車を物陰に隠して、足音を殺して歩き始めた。
心臓がドッドッと脈打ち、呼吸が浅くなるのを感じる。
見つかったら殺される。
本当に行くのか?
……なにをいまさら。
肉体と精神で不安のアンサンブルを奏でながら、進軍を続ける。
静かな市街地、近くからざっざっと地面を擦るような音が聞こえた。
背中がびくんと跳ねて、辺りを探す。
さけちゃが靴を擦って歩いていた。
「さけちゃ!」
ぼくは小声で怒る。
「オオオ!」
さけちゃも怒る。
「……いや、ごめん、ぼくが悪かった」
「オオオ!」
ついさけちゃに怒鳴ってしまったが、これはぼくが悪い。
さけちゃを連れて行くならこうなるのは当然のことだ。
ぼくは心から謝った。
気持ちが通じるまでに一〇分以上の時間を要したが、さけちゃは許してくれた。
ペースをさらに落とす。
どれぐらい進んだだろうか。
光はいつまで経っても遠いままだった。
冷静に考えれば豆粒みたいな光が、そんなすぐ近づける場所にあるはずがない。
ビビりすぎていた。
ぼくは自転車を取りに戻って、さけちゃとニケツして夜のドライブを再開する。
ぼくたちは疲れていた。いつもならとっくに眠っている時間だ。
それに加えていつもより長い時間活動していたのだから、頭が回らないのも無理はない。
そのうち、パンッと破裂音が響いた。
自転車の後輪が制御を失う。
横滑りしながらも、なんとかこけずに停止することができたが、どうやら自転車がパンクしてしまったらしい。
頭をくしゃくしゃと掻く。
心はほとんど後輪タイヤと同じ状態になってしまったが、自転車を置いてぼくたちはまた歩き始めた。
さけちゃはなにやら文句のようなうめき声を出しながらも付いてくる。
牛歩の歩みでも一時間もしたころには、それなりの距離を稼いでくれる。
豆粒のようだった光も、やがて大きさを増し、おぼろげながらもその出所が掴めてきた。
なにか建物の窓から光が漏れているようだった。
しかし一か所だけ。
大規模なグループでも、夜間は電気の節約をしているのだろうか。
カツカツカツ……。
気を付けていてもなお足音は響いてしまう。
路地があまりにも静かなせいだ。
夜間は警備もなにもなく寝静まっているということか。
井須さんは夜間でも警備隊がいると言っていたが、そのころとは状況が変わったのかもしれない。
人材が減ることはあれども、増えることはないだろうから。
そうしてぼくたちはなんなく、灯りの元へと辿り着いてしまう。
そこに近づくにつれガソリンのような匂いが強くなり、目的地で間違いがないことがわかる。
あまりにもあっけなく心臓部まで入り込めてしまったぼくは少し戸惑う。。
さて、ここからどうするべきか。
井須さんに書いてもらった地図によると、捕まえた人間を入れておく牢は貯油施設の敷地外にある社員寮が使われているということだった。
五階建てのアパートで、四階から上の部屋に囚人を詰め込んでいるらしい。
三階までの部屋がグループの人間の宿泊用に使われており、持ち回りで夜間も数人単位で囚人の見張りと便所の世話を続けている。
逃走防止用に室内の窓はすべて薄い鋼板を内側からビス止めしており、都合、ベランダから忍び込むことは難しそうだ。
幸い囚人の部屋のドアに鍵は掛かっていないらしいが、それは内廊下になっていて、下に降りるためには必ず屋内階段を通る必要があるからという理由らしい。
囚人をたった数部屋に詰め込むなんて非人道的な扱いではあるが、おかげであちこちを探す手間が省けて済む。
千路くんたちはおそらくこの棟の中にいるのだろうが、薪井も同じだろうか……。
とにかくやることは一つ。アパートに忍び込んでみんなを救出することだ。
ぼくは金属バットを握りしめる。
グループの人間の宿舎として使われているなら、おそらく感染者の兵隊はいないだろう。
だとすれば起きている人間を数人なんとかすればいい。
見つからずに済めばそれに越したことはないが、まあそうはいかないだろう。
「さけちゃ、一緒に頼むよ」
「オオオ……」
疲れ切って元気のない声だったが、それでもさけちゃはぼくに付いてきてくれた。
心臓が過去にないほど激しく脈打って、眠気がどこかに押しやられる。
体外にではない。だが一時的に力がみなぎる。
このまま疲れが身体を一周して戻ってくる前にすべてを終わらせてしまおう。
アパートの入り口は施錠されていなかった。
ガラス戸を引っ張って、中へ身体を滑り込ませる。
一度立ち止まって、音を聴く。
物音はなにもない。
さけちゃを階段の下に待機させて、ぼくは這うように階段を上がっていく。
そして何事もなく、五階まで上りきることに成功した。息を整えてから廊下を進む。
だれもいない。
これ幸いとばかりに、手近なドアを開く。嫌な臭いが鼻孔を刺激するが、中からは人の気配はしない。念のため中に入ってみるも、だれもいない。
一度廊下へ出て、別のドアを開く。
やはりだれもいない。
四階へ戻って、同じようにする。
しかしどの部屋にもだれもいなかった。
どういうことだ。ぼくはパニックに陥る。
井須さんがいた頃とは別の場所に囚人たちは移されてしまったのだろうか。
そのとき、階下から
「オオォ!」という叫び声が上がった。
待ちきれなくなったか。
いや、それはない。
ぼくは階段を下り始めた。
さけちゃが敵に見つかったのだ!




