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離別後2

 その日は朝からずっと寒かった。

 吸い込んだ空気に、本格的な冬の訪れを感じる。

 午後には雪も降りだした。

 

 ぼくたちは少し寄り道をして、防寒着を調達することにした。幸いクローゼットはそこら中にある。

 ぶかぶかのコート、長いマフラー、毛玉だらけのニット帽、厚手の手袋。おまけに薄い毛布をマントのようにして被った。

 不揃いで不格好ではあるが、温かさには代えられない。

 

 寒そうに見えたので、さけちゃにも似たようなコーディネイトをほどこした。近づくと嫌がる素振りも見せたが、攻撃してくることはなかった。

 普段から薪井が着替えをさせていたのかもしれない。

 服を着せようとすると黙って両腕を上げて協力してくれた。

 

 名前で呼ぶようになると、親しみが湧いてくるものでぼくはしじゅう、さけちゃに話しかけていた。

 「さけちゃ、寒くない?」

 「オオオ……」

 「さけちゃ、疲れてない?」

 「オオオ……」

 という具合に。

 さけちゃはとにかく返事だけはしてくれる。

 

 栓もないやり取りを繰り返しながら、ぼくたちはひたすら東に向かって進んだ。

 一口に東と言っても、北東から南東までかなりの幅がある。だがそんなことは気にせずぼくたちは東を追い求めた。

 

 そうして日が暮れようとするころぼくたちは大きな公園に突き当たった。

 公園の入り口には「近隣住民の憩いの場です。ゴミは持ち帰りましょう」という看板が立っていた。

 

 「ここを抜けたら宿を探そう。ちょっと遅くなりすぎたかもしれない」

 さけちゃにそう言うと、さけちゃもなにやら返事をする。

 一歩進むごとに落ち葉が砕ける小気味よい音がした。音を立てるのは好ましいことではなかったが、ここまでの旅程で一度も感染者に襲われなかったこともあり気が緩んでいた。

 

 細長い並木道をしばらく行ったところで、小さくテンポの速い足音が聞こえた。

 そのことに気がついて後ろを振り向いたときにはもう遅かった。

 ――黒い犬が数メートル離れた辺りまで近づいており、憤怒の形相でこちらに飛びかかろうとしていたのだ。

 

 ぼくはとっさに自転車を盾にして身をかがめる。突っ込んできた黒犬はフレームにぶつかって、大きくのけぞった。

 手を離すと自転車は倒れて、荷物がかごと荷台から転がり落ちる。

 

 「くそっ」

 リュックに突き刺していた金属バットを引き抜く。

 それを上段から大きく振り下ろすが、地面を打った衝撃だけが持ち手に伝わった。

 

 黒犬は一度二度えずくような声を上げ、体全体でぜえぜえと呼吸してから、再びこちらへ向かってくる。この犬は感染している。噛まれたら終わりだ。

 人間よりも野生動物の感染者の方が危険であることはいうまでもない。

 村にいたころも、一番てこずったのは犬の感染者だった。

 

 「オオオ……!」

 自分がのけ者にされていることに怒ったのか、はたまたぼくを助けようとしてくれたのか、さけちゃが、不意をつく形で後ろから黒犬の尻尾を乱暴に掴んだ。

 声にならない声で黒犬が吠え立てる。体を振り回してさけちゃから逃れようとするが、そのせいで尻尾がブチリとちぎれた。


 やっと解放されたとばかりに今度は黒犬はさけちゃの腕に噛みつく。

 「アアアアア!」

 さけちゃが叫び声をあげながら、腕を振り回す。地面にぶつかって、黒犬の体が大きく跳ねる。

 「さけちゃ、大丈夫か」

 「オオオ……!」

 厚着をしていたおかげか、傷は深くなさそうだ。

 さけちゃはなおも、両手をまっすぐ伸ばして黒犬を捕まえようとしている。

 

 だが黒犬は叩きつけられたあと、すばやく体勢を整えて、さけちゃに反撃する構えを取っていた。

 このままではさけちゃがやられる!

 ぼくがバットのヘッドを黒犬の頭に向けたときだった。

 どこからか、短く甲高い音がした。

 

 黒犬が一瞬で向きを翻して、ぼくたちから逃げていく。

 黒犬が向かう先にある人影を見て、ぼくは音の正体に気がついた。

 ホイッスルの音……。

 首にホイッスルをかけた背の高い男が、並木の間に立っていた。腕を組んでこちらを睨んでいる。黒い上下のスウェットはややオーバーサイズだが、それでも筋肉の隆起が浮かんで見えた。

 

 黒犬は男のもとまでたどり着くと、大人しくちょこんとお座りした。ぼくたちに見せた狂犬ぶりがうそのようだった。

 「お前ら、どこから来た?」

 男が胴間声で威圧するように言った。

 「あ、あ、あっちから……」

 ぼくは自分たちが歩いてきた方角を指さした。

 「あっち? 流湖市の外からか?」

 「そ、そうです」

 ぼくはパニクってわざわざ方位磁石で方角を確認してから、

 「弦緑村からです……」

 と答えた。

 

 「弦緑? あんなところから?」

 「はい……」

 「じゃあ伊達のグループじゃないんだな?」

 男の口調は少し和らぐ。

 「だ、伊達?」

 

 「ああこの辺を仕切ってる集団だ」

 男は少し考えてから、

 「待てよ、それならなんでこんなとこにいるんだ。感染者まで連れて」

 男が再び警戒するような態度を取ったので、ぼくはこれまでの経緯をかいつまんで話した。

 

 「……そうか、ひどい目にあったんだな」

 男は何度も頷いた。見かけによらず情の厚いタイプらしい。男はぼくの背後に呼びかけた。

 「――お前らも出てこい」

 ガサガサと音がして植栽の陰から、女性と小さな男の子が出てきた。おまけに犬ももう一匹。どうやらぼくたちは囲まれていたようだ。

 「おれは井須。こっちは妻の千恵瑠。息子の圭史」

 千恵瑠さんが頭を下げ、圭史くんもそれを見て真似をする。

 

 「ぼくは古池です。よろしくお願いします」

 ぼくも会釈した。

 さけちゃはしなかった。

 「それからこっちは以蔵。こっちは茶々だ。感染してるけどな」

 

 井須さんは手ぶりで犬たちを示す。さっきぼくたちを襲ってきた黒犬の方が以蔵。千恵瑠さんたちと一緒にいたゴールデンレトリバーの方が茶々か。

 「さっきはいきなり襲ってわるかったな」

 「いえ、こちらこそ。その、連れが尻尾ちぎっちゃって……」

 自分も頭を砕こうとしていたことは脇において、さけちゃに責任を押し付けた。

 

 「それはまあ言いっこなしってことにしよう」

 「あなた、そろそろ――」

 千恵瑠さんが言った。

 「わかってる」

 井須さんは公園の外を見て、移動を促しす。

 「もう日が暮れかかってる。よかったら今晩泊っていくといい」

 「いえ……、ぼくたちは寝床は別に探します」

 

 「遠慮するな。それにこの辺は伊達のグループの車が通るからな。あまりうろうろしない方がいい」

 「危ない奴らなんですか?」

 と言いつつ、直観があった。みんなをさらった男たちの尻尾をようやく掴めた。

 「見つかったらまず殺されるな。まあその辺のこともあとで教えてやるよ」

 井須さんは薪井と同じことを言う。危険な集団だということはもう十分にわかっているが……。

 

 たしかにここは、井須さんの言うように遠慮すべきではない。

 ぼくは頷いた。

 「それじゃあすみませんが、今晩はお願いします」

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