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崩壊後13

 気がつくと、朝になっていた。

 疲れていたのだろう。

 知らない場所だというのに、外が明るくなるまで眠ってしまっていたとは……。

 

 いつもよりも体調がいい。ベッドから降りて、シーツのシワを直す。

 改めて部屋の中を見ると、学習机があったり玩具が転がっていたりして、そこが子供部屋として使われていたことがわかった。

 

 部屋を出ると家全体も小綺麗で、よく整理整頓がされていた。残された写真立てや家具の種類からして、若い夫婦と子供の三人暮らしだったことが読み取れた。

 ここにもだれかの生活があったのだ。

 ごめんなさい、と頭の中で謝りながら食料や使えそうなものを探した。

 

 あまり期待はしていなかったが、予想に反してレトルト食品や封の切られていないミネラルウォーターのペットボトルがいくつも見つかった。

 民家は結構穴場なのかもしれない。

 

 自分のリュックの中を整理すると、食料は缶詰数個と、殻つき落花生だけ。

 こんな手持ちで市街地に来たのは自殺行為だったというほかない。

 

 レトルトカレーのルーとシーチキンとミネラルウォーターで腹をくちくしたしたあと、少しだけ遠い場所に想いを馳せて、それからまた立ち上がった。

 さて、これからどうするかだ。

 

 流湖市の中心部まではまだ距離があるはずだ。どこに襲撃者たちの集落があるのかはわからないが、そちらに向かった方がいいのだろうか。

 だがもうしばらくここに留まるのもありかもしれない。

 ここにはベッドがあって、いまのところ感染者たちとも出くわしていないし、まだ食料もあるのだからちょっとくらいなら……。

 

 なまじ欲求が満たされたせいで、及び腰になっているのが自分でもわかった。

 窓から外の様子を窺う。庭の土を小鳥が楽しそうにつついていた。

 

 外の景色は小鳥にとってもぼくにとっても平和に見えた。

 だからぼくは、必要な物資をリュックに詰め込めるだけ詰めて、少しこの近隣を出歩いてみることにした。

 

 日は照っていたが一歩外に出ると寒いし、腐臭が世界を満たしていた。

 荷物のせいで自転車は先日よりも確実に重量を増していた。荷物は必要だが、ありすぎては有事の際不自由することだろう。

 

 同じような家がほかにもあれば、補給しながらの移動が可能なのだが、そううまくいくかどうか。

 住宅街の広い車道をぼくはそろそろと進む。

 

 こうして明るいうちに一軒一軒観察してみれば、窓ガラスが割れていたり屋根壁が崩れていたりといった荒廃はいたるところに散見された。

 かと思うと全然綺麗なままの建物もあったりして、この辺りはまだ手つかずな地域なのかもしれない。

 

 そう思った矢先、遠くで車のエンジンをふかす音がした。

 静かな街中では物音はよく響く。

 それにエンジン音は一つではなかった。

 

 ここからどれくらいの距離があるのかはわからなかったが、車道のど真ん中を進むのは得策ではないだろう。

 ぼくは手近な民家の庭に侵入した。

 松の木や石灯籠が配置されていて、かつてはさぞ立派な庭だったのだろうが、いまは一面が雑草に覆われていて見る影もなかった。

 庭木のツバキが花をつけていて、下をくぐるとかすかにいい匂いがした。

 

 家屋の後ろ手の狭い道に回り込んで、室外機のそばにしゃがみ込む。背後は擁壁に守られていて、その上には別の住宅があった。

 ここなら真上から覗き込まない限りは見つかることはないだろう。

 だが同時に逃げ場もなかった。

 しまったと思ったが、いまから表に出て別の隠れ場所を探す方がよほど危ない。

 

 タイヤがアスファルトを擦る音が近づいてきた。

 近くに停車したらしい。バタンと車のドアが閉まる音が聞こえた。

 まさか姿を見られていたのだろうか。

 複数の靴音がして、辺りを探索するような気配を感じた。

 

 そしてぼくのいる庭の門扉を開ける音がした。

 ざっざっと草の上を歩く音が近づく。

 「どうする? 中も探してみるか」

 男の声がした。

 

 「いや、他をあたろう。ここだけの話、そこまですることじゃあないしな」

 もう一つ、別の声がそれに答える。

 どうやら庭の表側にいるのは二人だけらしい。

 「ほんとにな」

 話しぶりからして、姿を見とがめられたわけではなさそうだった。

 

 二人の男はなにやら文句を言いながら踵を返し、少しして、車が遠のいていく音が聞こえた。

 ほっとしたのも束の間、隠れている家の内側から物音がした。

 それも壁を一枚隔てた向こう側。

 さっきの男たちは去ってったはずなのに、一体なにが起こっている?

 

 会話や車の音はぼくをひっかけるための罠だったのか?

 短い間に色んな可能性が脳裏をよぎった。

 そして、身じろぎもできないぼくの頭上で、窓がゆっくりと横にスライドし開かれた。

 しゃがんだ姿勢のままぼくは目線を上げる。

 窓を開けた人物と目が合った。

 

 「――うわっ!」

 お互いに悲鳴を上げる。

 なにかの間違いではないだろうか。

 ぼくが見上げている、そしてぼくを見下ろしている、その人物の正体は薪井だった。

 かつてぼくが憧れていた少女だったのだ。

 

 どれくらい見つめ合っていただろうか。

 ただでさえ丸く大きな目をさらにまん丸に広げて、薪井は絶句したまま窓際に立ち尽くしていた。

 ぼくもまったく同じ表情をしていた。のけぞって尻もちまでついていた。

 

 薪井はゆっくり後ずさる。

 逆にぼくは立ち上がって、少し前に出る。

 「ぼくだよ。古池だよ、クラスメイトの」

 ぼくは急に自己紹介を始めた。ひげも少し生えていたし顔も垢じみていただろうから、だれだかわからないかと思ったのだ。

 薪井は依然、口をきけない様子だった。

 

 ぼくは窓枠に近づいて中に入ろうとする。

 「――来ないで!」

 薪井が小さく、だが鋭く叫んだ。

 

 ぼくはびくっと仰け反る。

 「ご、ごめん!」

 慌てて思い切りバックステップをするが、擁壁にぶち当たってしまい背中が痛んだ。

 

 「あ!」

 薪井が慌てた様子で左手を振った。

 「いや、違うの。その、びっくりしちゃって」

 間抜けなぼくを見て、少し自分を取り戻したらしい。

 「それに、このゾンビがあなたを襲ってしまうから」

 薪井は部屋の中を指差した。

 

 「ゾ、ゾンビ……?」

 「そう。だからそこでじっとしていて」

 ぼくは言われたままその場で硬直していたが、目だけは活発に動き、状況を把握しようと頑張っていた。

 部屋の中にはたしかに感染者がいた。

 

 だけどその感染者――四〇代か五〇代の男性だろうか――は薪井の左斜め後ろ、一メートルほどの距離にいるのに薪井を襲おうともせず、それどころか子供みたいに薪井を見つめていた。

 濁った眼球。喉の隙間から漏れるかすかな「うー」という呻き声。体の芯からなにかが抜けてしまったかのようなぐにゃりとした立ち姿。

 それらはぼくがいままで見聞きしてきた感染者の特徴と完全に合致していた。

 なのに人を襲わないなんて……。

 

 村で千路くんたちがさらわれたときもそうだった。みんなをさらっていったあの男の背中には何人もの感染者が、男を襲うこともなくつき従っていた。

 だが、薪井もいまこの男のことをゾンビだって言っていた……。

 そこまで考えたとき、ふと過去のやり取りが思い起こされた。

 

 「ゾンビって言い方も良くないよね。相手は人間なのにさ」

 ぼくがご機嫌取りにそう言ったとき、

 「そうだよね。わたし自分の身内がそんな風に呼ばれたらいやだもん」

 薪井はそう返事したのだ。

 

 ゾンビか……。薪井がゾンビなんて言い方するなんて。

 いったいなにがあったんだろうか。

 薪井の張り詰めた表情を眺める。

 

 昔はよく遠巻きに彼女の姿を探していたものだ。そんな薪井ウォッチャーの(気持ちの悪い)ぼくからしてもはじめてみる表情だった。

 短い間でずいぶん変わってしまったのかもしれない……。

 

 ぼくは敵に取り囲まれていることも忘れ、自分の思考の世界に浸り、ただじっと薪井のことを見ていた。

 再び薪井と巡り合えるなんてこれっぽっちも思っていなかったから、脳の処理が追いついていなかった。

 夢では何度も会った。会うたび解像度は下がり、もはや想像上の人物となりかけていたのに。

 

 「ぷはっ!」

 肺が苦しくなって初めて、ずっと息を殺していたことに気がついた。

 そんなぼくぼ様子がおかしかったのか、薪井が顔のこわばりを緩ませて、こちらに微笑みかけた。

 「……びっくりしたよ。古池くんとまさかこんなところで会うなんてね」

 

 その話し方を聞いて、ぼくは思った。

 ――あ、いつもの薪井だ。

 そこには、ほほ笑みを絶やさないいつもの薪井がいた。

 そしてその瞬間、不謹慎にも、この世界のあらゆることがどうでもよくなった。

 

 「――あれ、古池くん?」

 薪井が怪訝そうに小首をかしげる。

 「あ、ああ。大丈夫。ちょっと貧血で。と、ところでどうしたのこんなところで?」

 まるで休日に外出先で同級生と出くわしたときのような、調子外れな口調だということが自分でもわかった。

 「あはは、それはこっちのセリフだよ」

 薪井がくすくすと笑った。

 「やっぱ古池くんは面白いね」

 

 大した言葉でもないのに、それだけで心が躍った。

 なぜここにいるか。そんな理由なんてもうどうでもよくなった。

 薪井はぼくほど感動していないにせよ、それでも古い顔を見つけて喜んでくれているようだった。死ぬほど警戒されていたけど、別にぼくから逃げようとしているわけではないらしい。

 ぼくたちは窓越しに向かい合ったまま話を続けた。

 

 「さっきのやつら、いなくなったみたいだね」

 「そうだね」

 「――あのさ」

 話をぶった切り、ぼくはそう口を切った。

 「五月にさ、バスに乗って流湖市の公民館に避難してきたんだ」

 促されるでもなく、ぼくはこれまでの出来事を話し始めた。

 唐突だったしそんな場面でもなかったかもしれない。だけどなぜかそうせずにはいられなかった。

 

 普通ならば遮られて当然の場面。しかし薪井はぼくの話していることに口を挟もうとはしなかった。

 ぼくは先を急いで話した。母を失ったこと。村へ避難したこと。村が襲われたこと。そして村のみんなを探しに来たこと。

 いままであったことについて、話すことはいくらでもあるように思えたが、意外にもそれは要約してしまえば五分で終わるようなストーリーだった。

 それでも、

 「大変だったんだね……」

 薪井はそう言ってくれた。

 

 「薪井は? それにさっきのやつらは?」

 訊きたいことは山ほどあった。ここ数日わからないことだらけだったから。

 「わたしは田露市に残ってたんだ。うち逃げ遅れちゃってさ。お父さん市内で病院やってたから」

 薪井は続ける。

 「それで、さっきのは田露市の避難所のメンバー。わたし追われてるんだ。脱走してきたから」

 「脱走……?」

 「いまは、これ以上は話したくない。ごめんね」

 薪井は話を変えるように、

 「とりあえず表に出ない? あいつら行ったみたいだし」

 「うん、そうだね」

 

 薪井とその連れは家の中を通って玄関から出てきた。

 明るい場所に出ると感染者だという薪井の連れの異様さが目につく。

 「ううう!」

 目が合った途端、その男はぼくに向かって唸り声をあげた。

 とっさにぼくは自転車の陰に隠れる。

 

 「こら、やめなさい!」

 「うう……」

 薪井にぴしゃりと叱られた男は、後ろめたそうに目を伏せた。

 ぼくは、この男について訊いてみたくて仕方がなかったが、さっきの「話したくない」という一言に込められた拒否の念を無視することはできなかった。

 ぼくにも色々あったように、薪井にも色々あったに違いない。話したくないことだってきっと山ほどあるだろう。

 

 「そ、その人大丈夫?」

 「いきなりは人を襲ったりはしないよ」

 なんとなく不機嫌そうに薪井は言う。

 「そうだよね。わかった」

 とりあえずぼくたち三人は道路を進む。

 しばらくはなにも起こらず、ようやくぼくにも多少の判断力が戻ってきた。

 

 すると、ぼくのわずかな認知能力は真っ先に薪井の格好に注意を向けた。

 ダボダボの紺色の上下のスゥエット、頭にはキャップを被り、髪は括って後ろでまとめている。それがお洒落着でないことはぼくですらわかるが、それでも薪井は可憐に見えた。

 こんなときに、いやこんなときだからこそなのか、ぼくは浮かれていた。

 

 もう二度と会えないと思っていた、憧れの女の子といきなり再会できたのだ。たとえ世界の終わりだろうが、舞い上がらないでいられるはずもない。

 ムードもへったくれもない、くたびれた、そして朽ち始めた住宅地でさえ光り輝いて見えたのだ。

 一〇分ほど道なりに進んだところで、ふと、ぼくはいまどこに向かっているのだろうという疑問が湧いた。

 

 「あのさ」

 「うん?」

 「ぼくたち流湖市の市街地に向かってるの?」

 「ううん。反対方向。古池くんもあっちには行かない方がいいよ」

 「え、どうして?」

 「見つかったら殺されるから」

 薪井はぼくの目をじっと見た。

 「本当にやめたほうがいいよ」

 

 「そんな……」

 「だからね、途中まで一緒に逃げよう」

 ショックで、ぼくは返事をすることができなくなった。

 千路くんたちが連れて行かれた場所はそんなに危険な場所なのか。

 そして、なぜ途中までなのか。

 自分の世界に沈んでいると、急に薪井が立ち止まった。

 「どうしたの?」

 「あそこ」

 薪井は静かに進行方向を示した。

 

 突き当りある大きな屋敷の、手入れ不十分で大きく膨らんだ生垣から人の下半身が突き出ていた。

 というか、生垣の中に頭を突っ込んでいる人がいた。

 下半身を無意味にバタバタ動かして、なんだか遊んでいるようにも見えた。密度があるせいか体重をかけても生垣が潰れず、まるで空中を泳いでいるかのような優雅な素振りを繰り返していた。

 「あれって……」

 「ゾンビ。静かに通り抜ければ大丈夫」

 薪井に先導されて、ぼくたちはそっとその場をすり抜ける。

 

 その間も、生垣から突き出た黒ずんだジーンズの足は空中遊泳をやめなかった。

 完全に通り過ぎたあと、口に出してみた。

 「さっきの、なにしてたのかな」

 「遊んでたんじゃない」

 「そうなの? 凶暴になって人を襲うイメージしかなかったけど……」

 「それもあるんだけどね。要は我慢が下手になるんだよ。だから人を襲うこともある」

 「だけど、薪井の連れは……?」

 「この子は大丈夫。訓練すればいきなり襲ってきたりはしないよ。お腹が空いてなければだけど」

 薪井がそう言うから、やはりそれ以上はなにも訊かないでおいた。

 ぼくは、そもそもなぜ感染者を連れて歩いているのかについて知りたかったのだが……。

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