崩壊後12
夜が明けた。
昨晩は風があったせいもあってか、やはり集落の大半が焼け落ちていた。
もうここには住めないだろう……。
生き残りを探したが、学校付近にはだれもみつからず、下のほうまで行って、やっと四人を見つけることができた。
病気で村はずれの民家に隔離されていた人たちだ。
病室に行き、四人に前の晩の出来事を告げるのは辛かった。
信じられないという様子だったが、外に出ただけですべてを理解したようだった。
四人ともほとんど回復していたから、協力してもらい、残った食料や物資を集めることにした。
倉庫にあった食料や物資はほぼすべて持っていかれていた。
残っていたのは畑の落花生、村はずれの民家に運ばれていた缶詰と水、それに毛布くらいで、みんなで公平に分けた。
四人とはそれまでほとんど交流がなかったが、親切な人たちだった。食わず嫌いで自分の殻に閉じこもっていたことが悔やまれるくらいに。
グラウンドに帰ると、剛堂リーダーはどこからか持ってきた手錠で、いい方の手を細い柱に括りつけていた。
発症したさい人を襲わないためだろう。
剛堂リーダーが自らを失うまでの間、ぼくたちはあの夜起こったことの詳細を聞き出した。
乱戦になった際、剛堂リーダーは感染者に上腕を噛みつかれ、見張り用テントに逃げて外の様子をうかがっていたということ。
戦っていた村人たちが大勢感染者に食われたあと、ほかの村人は襲撃者に捕らえられて小型バスに乗せられていったこと。
それが残された情報のすべてだった。
しばらくして剛堂リーダーは会話ができなくなった。
残りの四人には止められたが、約束していたからちゃんと始末をつけた。
もう人間ではないのだと言い聞かせたが、やはりそうは思えなかった。
感染者の頭蓋骨を叩き割るのは、それが初めてではなかった。だけどその感触はいつまでも生新しく記憶に残り続けている。
――たった数日前までは世界は新しいやり方で平常に回っていたのに。
壊れるときは一瞬だ。村もだれかの人生も。
四人は村を出て、北に位置する久利府市に向かうことのことだった。
つまりは襲撃者たちがやって来たであろう流湖市街地から真反対の方角へということだ。このまま村にいても生きてはいけないし、また襲撃者が戻ってくる可能性だってある。妥当な選択だ。
もちろん彼らはぼくも一緒に行くものだと思っていた。
だけどぼくは、彼らとの同行を固辞した。
変な正義感を起こすな。死ぬだけだぞと何度説かれても、やはり気持ちは変わらなかった。
村はずれに駐輪されていた自転車を一台もらって、ぼくは村をあとにした。
〇
自転車を漕いでいた。
前後にかごがついているママチャリに乗せられるだけ荷物を載せて、ぼくはふらふらと進んでいた。
目的地は流湖市の市街地。
このときは、千路くんたちを助けなければという強い意志に突き動かされていた。そう思っていた。
だけどいまにして思えば、その感情は自己欺瞞だったのだとわかる。
本当はぼく自身が助かりたかったのだ。
流湖市のその方面には父の働いていた工場があった。
早い段階で父とは連絡が取れなくなっていたが、まだどこかで生きていると信じていた。いまどこにいるのか考えたとき、田露市に入れなくなっていた以上いるとしたら流湖市内の可能性が高い。
このような世の中で特定の人を探すなんて針の穴に糸を通すような話ではあったが、とにかく糸を離すつもりはなかった。
すべてが手がかりでしかなく、か細い可能性の糸ではあったが、それらは道標としてぼくを導いた。
米田のおじさんは死んだ。村もなくなった。
そうしてぼくを古池道夫だと認識していた人たちが消え失せたとき、言いようのない孤独感と、自分の存在の儚さに目まいがした。
普段のぼくならば恐怖に負けて、千路くんたちのことからは背を背けて逃げ出したに違いない。
ぼくがどうにかできることじゃないし、本当に市街地の方へ連れて行かれたかのだって定かではない。一番大切なのは自分の命だ。
だけど彼らを助けられるのは、どれだけ可能性が低かろうともうぼくしかないなかったし、かばってくれた千路くんたちに背を向けて逃げたとしたら、ぼくはいよいよ自分が消えてしまうのではないかと恐れていた。
つまり少なくとも、ぼくには彼らのためになにかをしているという自己認識が必要だったのだ。
――父を探し、千路くんたちを助けに行く。
自分を自分として繋ぎとめるための目標が必要なのだと、言語化できないまでも、そのときぼくはちゃんと理解していた。
ある意味、錯乱していた。
だからぼくは恐怖に抗うため遮二無二自転車を漕いだ。
朝からほとんど休憩もなしに走り続けたが、山道を抜けて、市街地のほとりには到着したころにはもう薄暮が迫ってきていた。
自転車で半日で辿り着ける距離。たったそれだけの道のりでしかなかったのに、いつのまにか市街地と村の間には途方もない間隔があると思い込んでいた。
最初村に避難したときにだって通った道なのに、時間が経って、心の中でどんどん距離が伸びていっていた。そうすることで不安からも距離をおこうとしていたのだろう。
日が完全に暮れるまで少しでも進もうと、かごの中の荷物で重たい自転車を押しながら、住宅地を進んで行く。
それまで感染者とは一度も出くわさなかったが、もはやそうはいかないだろうとわかっていた。
辺りからはずっと悪臭がしていた。
以前に、村の近くではぐれた感染者を処理したとき、鼻の孔の奥にこびりついた臭いだった。
死んだ感染者をタンカで運んで、森の中に穴を掘ってそこに埋めた。その死体を放り投げるときに風に舞い上がった吐き気。
街は遠くの音まで聴き取れそうなくらいしんとしていたが、臭いが感染者の存在を示していた。
土地勘がなかったから、ぼくは臭いを避けるように見当もなく進んだ。
やがて来た道を見失ってしまったことに気がついた。
元々引き返すつもりはなかったが、だとしてもその選択肢さえなくなるのは恐ろしかった。
日没までもうあとわずか、そんな暗さの中でどこも似たような街並みを彷徨う。
ここまで感じていた心細さとは別種の不安が暗闇に姿を変えて街に浸透していく。
当然のことながら、街灯一つ点かない街は村の夜よりもずっと暗かった。
この状態で感染者に襲われたらおそらく逃げ切れないだろう。
本当ならもっと早くに寝床を探すべきだったと焦ったがあとの祭りだった。
荷物の中に灯りになりそうなものはない。マッチくらいだ。だがまさか家を燃やすわけにはいかない。
いや、でも死ぬくらいなら燃やしてみようか。そんな風に葛藤していたが、燃やす前にとにかく手近な場所を試してみよう、と近くの家のドアノブを回してみると、幸運なことに鍵が掛かっていなかった。
カチャっと後ろ手に鍵のつまみを捻る。長い間開閉されていないせいか少し固くなっていた。その固さのおかげで、施錠は退路を断つ行いだと気づき、慌ててまた鍵のつまみをもとにもどす。
もしこの家の中に感染者がいたら……と恐る恐る中の様子を探るが、物音はなにも聞こえない。臭いもない。
ほっと肩の緊張が和らぐ。靴脱ぎ場で靴は抜かずそのまま家の中に上がり込む。
かびや埃が空気中を漂っていたが、耐えられないほどではなかった。壁に手をつきながら歩いていると壁がなくなり広い空間に出た。
ガタンと音がした。驚いて飛び上がったが、ただぼくの体が椅子にぶつかっただけのことだった。
ぼくは椅子を引いて一度そこに腰掛ける。
やはり辺りは静かなままで、もうこの世界にはぼくしか残されていないような感じがした。
汗が冷えて寒かった。もう外気温は一〇度を下回っているはずだ。ガチガチと歯と歯がぶつかり合いを始めた。
リュックの中から厚手の毛布を取り出して、その中にくるまる。インフルエンザの病棟に毛布の類はたくさん残っていた。
体温が少し戻ってくると今度は激しい空腹を感じた。出発前からなにも食べていなかった。精神的に麻痺していたせいで生理的な欲求を感じなくなっていた分、一息ついた際に一斉にそれらがやってきたらしい。
缶詰を一つ取り出して開ける。
なんの缶詰なのかラベルが読めなくてわからなかったが、サバの水煮缶だったようだ。ほぐれたサバの肉とエキスが勢いよく喉を下っていく。
極限まで腹を空かしたあとの食事は人生の価値を感じさせてくれる。それが束の間のものだとしても。
ペットボトルに水を汲んで持ってきてはいたが、これから先飲料水の補給のことも考えなくてはならない。そう考えると気軽には蓋を開けられなかった。だがしばらくして結局少しだけ口に含むことにした。
食事を取ったからか、だんだんとまどろみ始めた。だが椅子に座ったまま眠るわけにはいかない。眠る環境は非常に大切だからだ。
避難生活の途中、狭い車中で座ったまま寝たり、ビルの固い床の上で眠ったこともある。そんな環境ではぐっすり眠れないのは言うに及ばずだけれど、それ以上に翌朝の体調にはっきり表れた。
腰、肩、背中は痛むし、一日中イライラしたり風邪っぽくなったりと散々だった。
米田のおじさんは元々腰痛持ちで、村の寝床が固くて辛いとよく嘆いていた。
「若いからって油断したら体壊すからね。大人なんてみんなどっかに爆弾抱えてるんだから」
四、五回聞いた覚えがある。
そういえば母もよく整骨院に通っていたっけ。
もう世の中には整骨院も整形外科もないのだ。だがベッドはある。
ぼくはまた手さぐりで家の中を探索し始めた。目も慣れてきておおよその輪郭は掴めるようになってきた。本当は用心のために家の中を全部見て回った方がよかったのかもしれなかったが、隣の部屋でベッドを見つけたとき理性は全部吹っ飛んだ。
「やった!」
つい声に出るほどだった。
ベッドで眠れるなんていつぶりだろう。
床に荷物を下ろして、ベッドに腰掛ける。スプリングが弾む心地よさが尻に伝わってきた。
少しかび臭くはあったが、そんなことを言っていられる身分ではない。
横になって体を投げると、マットレスが体の重さを分散し、溶けていくような心地になった。




