崩壊後9
その後のことは覚えていない。
次に気がつくと、廃校の寝室で寝かされていた。
ゆっくり体を起こしたら、色落ちしたアルミブランケットが擦れるクシャクシャ音がした。三枚敷のダンボールといい、独特な匂いといい、そこは紛れもなくぼくのベッドだった。
窓からは日が差していて、立ち上がって外を覗くと村の人々が各々の作業している姿が見えた。
共有机に置かれたねじ巻き式の時計確認するともう昼の二時になっていた。
こんな時間まで寝ていたのはいつぶりだろう。学校を休んだ日の午後はいつもこんなだったな、とけだるい感覚と一緒に懐かしさが蘇ってきた。
なんとなく天井を見上げたあと、「もしかして夢だったのかな?」と自問してみた。
もちろん、答えの分かっている問いではあった。口の中にはゲロの味がちゃんと残っていたからだ。
あのあと、倒れたぼくを抱えて剛堂リーダーは必死こいて坂を上ったのだろうか。
だとすればさぞ滑稽な光景だったろうと思ったが、笑う気にはなれなかった。
ぼくはゆっくり歩いて、もう一度寝床にもどった。
目を瞑ると、背中に毛布の柔らかさを感じた。被ったウールの毛布とアルミブランケットが体を温め、唯一、顔だけが冷たい空気に触れた。
普段なら、寝床にいる時間が、一日のうちでもっとも快適な、心の休まる時間だった。
だがそのときだけは、安らぎを得ることはできなかった。
――おじさんが。
ぼくは恐ろしいものを見ないように、寝床へと逃げ、考えるのを先送りにしようとした。だけどもはや逃げらないのだとわかった。
――おじさんが死んだ。
そう認めた瞬間、胸の奥がずきりと痛んだ。
呼吸が浅くなって、目まいがした。涙が頬を伝って、鼻の奥の方はつんとした。
ひとしきり泣いたあと、ぼくは思った。
これからどうすればいいんだろうか……。
以前の生活といまの生活。両者を繋ぐ最後の糸が切れた。そうすると、あとにはもうなにも残っていない気がした。
生きていれば。そう言っていたおじさんが死んだのだ。
だとすればこの先にはもう希望は残されないに違いない。
ぼくはこれからどうやって生きていけばいい……?
混迷は深まる一方だった。いつまでも泣いていられそうだったが、泣くことにも限界はあるらしい。
朝からずっと寝ていたというのに、ぼくはまたもや、まどろみだした。
きっと嘆くのにもエネルギーを使うのだろう。だからぼくはいつも疲れているのだ、と途切れ行く意識の中思った。
〇
次に目を開けると、部屋の中は暗くなっていて、周囲からは寝息やいびきの音が聞こえた。
いま何時だろう。夜中に目が覚めるといつもそう思う。昔はあと何時間眠れるか確認してそれ次第で安堵したり落胆したりする。そんな時間が好きだったのだが、村ではそれも簡単ではなかった。
起き上がって月明りを拾って時計を見るか、あるいは空を見て月の位置でおおよその時間を判別するか。
そのころには日の入時間の関係で、午後八時前にはみんな寝床に入るようになっているから、それ以降であることは間違いないが、寝入ったばかりなのかそれとももう真夜中なのか判断がつかなかった。
いずれにせよ結局日中はずっと寝ていたということになる。
インフルエンザの療養で眠る時間がズレていたせいもあるだろうが、よくもこんなに眠れたものだなあと自分でも感心した。
そのまま朝まで眠ろうとしたが、さすがに眼が冴えて難しかった。
頭がはっきりしてくると暗闇の中で終わりのない反芻が始まった。それに我慢できなくなってぼくはむくっと起き上がって、音を立てないように部屋の外へ出た。
学校の廊下は人の体温がない分寒いので、毛布とアルミブランケットを被ったまま移動していく。スリッパが床材を叩くパタパタという音が夜の静寂の中で大きく響いた。
尿意もそれなりにあったので、まずトイレに行くことにした。
トイレは屋外にあり、そこまで行くのは一苦労なので、夜間の間は屋内のトイレまで行って、一時的にペットボトルやバケツなどに用を足す人も多かったが、ぼくはそれがなんとなく嫌いだった。だからトイレの直前で右に曲がって階段を降りた。
廊下は寒かった。おそらく気温は一〇度を下回っていただろう。だがその寒さがいくらか心の痛みを麻痺させてくれた。
窓際から外を覗いても外は真っ暗でほとんどなにも見えない。夜の学校というのは不気味だ。こんなご時世に幽霊もくそもないと自分に言い聞かせても、昔テレビで観た学校の怪談だとかそういったことが想起されて怖くなってしまう。
この不気味さに、単純にトイレに行く億劫さも手伝って、みんな夜の間はあまり水分を取らなくなっていた。
校庭にも簡易トイレが作られていたが、衛生的な問題であまり使わないことを推奨されてはいた。ときおり竹炭が焼かれたのは消臭剤として使うためだった。正直なところこんな生活を続けていると拠点のあらゆる箇所が臭くなっていたのだ。
玄関まで歩いていって靴に履き替える。屋外に出ると風もあって一段と寒かった。体にまとった毛布がはためいた。
急ぎ足で学校のすぐ横にある林まで歩いて行って、用を足す。
その間に、空を見上げるとたくさん星が輝いていて綺麗だった。藪の中で虫たちが鳴いていた。周囲の枝が風で揺れる音がした。ぼくのお腹もぎゅるぎゅると大きな音を立てた。
――お腹が空いた。朝食べた分は吐き出してしまったことだし。
事情を話してなにか食べ物をもらえないだろうか。
ぼくは学校のグラウンドに立ち寄ることにした。グラウンドにはテントがいくつも設営されていて、そこで寝泊まりしている人もいた。
夜間の見張りの人用のテントもあり、だれか一人は必ず起きているので、わざわざだれかを起こさずともその人に言えば済む。
ぼくはグラウンドの端まで向かって行った。
見張りのテントはそれなりにきちんと整備されていた。
素焼きのレンガを下に敷いて、その上にテントを立てている。雨よけにはタープ、風よけには大きなウインドスクリーンも使われていて、おまけに周囲には溝も掘ってあった。
「すみません」
テントの出入口はグラウンドのフェンス――つまり村の景色が一望できる方向に向けられているので、そちらに回り込んで声を掛ける。
だが返事がない。見張り当番の男性が小さくいびきをかいて入り口から顔を出したまま寝ていた。
あまりにも気持ちよさそうに寝ているので起こすのがためらわれたが、本来は起きていなければいけないのだから、と思い直し体を揺すってみた。
すると男性はびくんと体を起こして、
「寝てないですよ!」
と言った。
よく見ると男性は真野さんで、口元からは涎が垂れていた。
「わかってます。あの、お願いがあるんですが」
「だれですか?」
まだ目が暗闇に慣れていないらしい。
「古池です」
「古池? こんな時間にどうして」
「実は、えっとお腹が空いて……」
「いま何時?」
真野さんはそう言いながらテントの中を探って時計を取り出した。
「まだ一時か……」
「えっとなのでなにか食べるものがほしいんですが」
「そんなこと言われてもなあ。おれも勝手に食料庫開けるわけにはいかないし」
真野さんは困ったように言った。
「持ち場も離れられないよ」
どの口が言うんだと思ったが、態度には出さずぼくは食い下がった。
「お願いします。腹が減って死にそうなんです」
「うーん」
真野さんはぼさぼさの髪の毛を手でくしゃくしゃにしてから、テントから這い出た。
「仕方ないな。明日ちゃんと村長に説明してよ」
「はい!」
やっと飯にありつける。そう喜んだのも束の間、真野さんが村の方を指差した。
「あれなんだ?」
そちらを見ると、坂の下の方に一〇個ほどの小さな光が固まって動いているのが見えた。辺りが暗いからそれらの光は蛍みたいに目立った。
「見張りですか?」
ぼくが訊くと、
「そんな話聞いてないけど……」
真野さんは怯えた声で言った。
ぼくたちはその場に立ち尽くして、光の動向を凝視し続けた。
「なんかこっちに来てない?」
「ですね」
「これ、まずくない?」
真野さんの声に焦りが表れていた。
ぼくは返事をすることもできず、ただ全身を硬直させていた。
まさか……。
出し抜けに、ぼくの横からけたたましい警報音が鳴り響く。
それは真野さんが発報させた防犯ベルの音だった。
小さな光の塊は速度を増して坂を駆け上ってくる。
距離が詰まるにつれて、光の塊が具体的な形を持って暗闇に浮かんだ。
光の塊。それは車のヘッドライトだった。車が何台も列をなして村の坂道を駆け上ってきていたのだった!




