崩壊後6
夢はやっかいだと思う。将来のではなく、夜見る方のやつが。
夢の中では偽物と本物の区別が付かない。
ぼくは両親と言い争いをしていた。理由は覚えていない。
その場面は反抗期に入ってからしばしば経験した、実のない言い争いだった。
夢だから別に理由なんてどうでもいいのだが、そんなところまでリアルだった。
ぼくは大声を出して机を叩いていた。それもエサを要求する猿みたいにみっともなく叩いていた。
「ものに当たるな!」
父がかっと目を見開いて怒鳴る。父は普段は穏やかなのだが怒らすと迫力があった。だが成長ホルモンは恐怖を怒りで塗りつぶし、
「うるさい! そっちが悪いんだろ」
ぼくは負けじと怒鳴り返す。
母は父の横でぼくらのやり取りを心配そうに眺めていた。
「道夫、お前最近わがままが過ぎるぞ。お母さんにも八つ当たりして恥ずかしくないのか」
「うるさい。説教はやめてくれ!」
「道夫!」
「うるさい! 剛堂みたいなこと言うな!」
どいつもこいつもなんでぼくを怒鳴る?
毎日毎日もうたくさんだ!
怒りよりも理解してもらえない悲しみが大きくなって、ぼくは耳を両手で閉ざして泣き始めた。中学生になっても喧嘩の最後はいつも涙で終わる。
目を閉じて耳を塞いで、幼児がするみたいに外界を自分だけの世界から締め出そうとする。
そして、涙が鼻を逆流する痛みで目が覚めた。
頬には涙が伝っていた。
ここはどこだ?
部屋の中は真っ暗で、自分が本当にいる場所を思い出すのに数秒を要した。遅れて落胆が込み上げてきた。
いま何時だろう?
電池のないスマホはもはや時計の役割すら果たせない。手回し充電器はとっくのとうに取り上げられた。
だけど時計を見なくたってわかる。いまは夜中だ。
怒りの感情はもう欠片も残ってはいなかった。
ただ悲しかった。
もう言い争うことすらできないのだと理解してしまったから。
だから本当にここが現実なのかわからなくなった。こんなひどい現実が現実であるとは到底思えなかった。
これは夢なんじゃないだろうか。
そうやって一〇分以上放心していただろうか。
いくら暗闇を見つめていても、二度と夢から覚めることはできなかった。
暗闇の中でみんなの寝息が聞こえる。
同じ部屋には千路くんと千路くんのお父さんが寝ていた。智利くんという一〇歳の男の子も両親と一緒だった。
なぜぼくだけがそうでないのか納得できていなかった。
「なんでぼくだけ……!」
終わったことだとしても、それでもなお抗議せずにはいられない。
ぼくだけ、という部分が事実ではないとわかっていても主観的には紛れもない事実だったのだ。
もう自分の中で消化したと思っていた感情が、フリーズドライ食品にお湯をかけたみたいに味と形を持って蘇った。
堰を切ったように涙が溢れた。周りに気づかれないように声を殺したが、うっうっという嗚咽がどうしても止まらなかった。
もう一生眠れないような気がしていたが、それなのにいつのまにか眠ってしまったようだった。
気が付けば晩秋の控えめな日差しが部屋の中に差し込んでいる。
起床後も一日中は体調が優れなかった。
経験上、悪夢を見るときは決まって体調が悪いときだった。
体調が悪いから悪夢を見るのか悪夢を見たから体調が悪いのかはわからないがどちらでもいい。
剛堂リーダーに体調不良を伝えても、熱でも出なければ休ませてはもらえないだろうし、熱が出れば感染を疑われるのがオチだ。だからぼくは我慢して作業に出た。
集中力が続かず作業中何度もミスをして剛堂リーダーにはこっぴどくいびられた。
罵られている間中考えていた。剛堂リーダーもときには夢を見ることがあるのだろうか。あるとしたらどんな夢だろう。もしかして夢をみたあとやり切れなくて毎日ぼくをいじめるのだろうか?
感傷とは無縁の人物に見えたが、内心がどうであるかは他人にはわからない。あんな人でも酒やたばこや女の夢くらい見てもおかしくはない。
心の状態にリンクするかのように、その夜はとくに冷えが厳しかった。
もう一〇月末。ハロウィンの時期だった。
小学生のころ、お化けの仮装はしたものの人に見られるのが恥ずかしくなって結局家から出なかったことがあった。
見かねた両親が怖がるふりをしてお菓子をくれた。着色料たっぷりの甘いペロペロキャンディを。
その晩は、天井を見つめながらもう二度と夢を見ないで済むことだけを祈った。




