第九話 事件
次の日、ぼくは「泣きっ面に蜂」と言う言葉を始めて実感した。
朝、お姉ちゃんに起こされた。まだ外は薄暗く、ぼくの頭は「もう少し寝たい」と言っていた。だけどお姉ちゃんは、ぼくの頭を二、三度叩いた。
「起きろ、拓海っ」
ぼやけた視界に入るお姉ちゃんの顔は、ぼくに二度寝を許さなかった。ぼくは無理矢理目をこじ開けた。駅の中はまだ静かで、始発が出発するまで、まだ時間があった。ふと、一列後ろの席に目をやると、昨日の酔っ払いさんはどこかへ消えていた。
「どうしたの、お姉ちゃん?」
お姉ちゃんの顔つきはただ事ではなかった。慌ててる、と言ったような表情だった。
「あのね、大変なの。お財布が盗まれちゃったの」
その一言で、眠かった頭が一気に冴えてしまった。
「眠ってる間に誰かが、ポシェットごと盗んだみたい。何処を探しても見当たらなくて」
そういうお姉ちゃんの肩に、かかっていたはずのポシェットが、今は何処にもなかった。ただ、お姉ちゃんの両手には紫色の袋に包まれた、乳白色の小瓶が載せられていた。お父さんの骨が入った骨壷だ。叔母さんの家を出る時、お姉ちゃんがポシェットに仕舞いこんだのだ。
「これだけは残ってたの」
お姉ちゃんは不幸中の幸いだ、と言った。犯人は、ポシェットの中をあら捜しして、見つけた骨壷を気味悪く思って、それだけ残していったのかもしれない。
でも、きっとお姉ちゃんの財布には、それほどお金は入っていなかったと思う。お姉ちゃんは、お小遣いを無駄にしない。きちんと計画的に貯めていた。それでも、ぼくたちは子どもで、財産と呼べるほどの財力は持ち合わせていない。だから、お姉ちゃんの財布にはそれほど多くの、お金は入っていなかったと思う。そもそも、吉村さんの家へ行くために買った切符は、結構高かったのだ。
「もしかして、あの酔っ払いの小父さんが、盗んだのかな?」
ぼくが言うと、お姉ちゃんは首を横に振って、「分からない」と答えた。
ぼくたちに必要なことは、犯人が誰かという、探偵さんの真似事なんかじゃなかった。お財布がなくなったことで、ぼくたちのこれからの「選択肢」が極端に狭められてしまったのだ。これから、お母さんを探す手立てを見つけられたとしても、どれくらいの日にちがかかるか分からない。お腹もすくし、喉も渇く。さらに、移動の手段だって安くはない。
結局、幼いぼくたちにとっても、お金の存在は重要だったのだ。ただ、だからと言って、迂闊だったと、お姉ちゃんを責める気にはなれなかった。
ぼくたちがするべきことは、真剣にこれからどうするのかを話し合うことだった。
お姉ちゃんは、ぼくの手を引っ張って、海岸沿いまで歩いた。水平線からは、少しずつ太陽が昇り始める時刻だけど、今日は灰色の雲に覆われて太陽が見えない。雨になるのだろうか、海岸の人通りはやたら少なかった。
お姉ちゃんは、防波堤に腰掛けると溜息をついた。
お財布を盗まれたことを、お巡りさんに届けるべきか。届ければ、お財布は見つかるかもしれないけれど、お巡りさんにいろいろ聞かれるだろう。なんでそんな夜遅く、駅にいたのか。姉弟二人で、何をしていたのか。家は何処なのか。事情を一から順に説明して、理解してもらったとしても、叔母さんの家へ連れ戻されることくらい、子どものぼくたちにだって分かることだった。
じゃあ、ぼくたちだけで犯人を捜して、お財布を取り戻す。一番現実味のない提案だった。例え盗んだのが、あの酔っ払いの小父さんだったとしても、あの人が何処の誰だか分からない。探偵ごっこと違って、犯人を突き止めることはぼくたちには難しかった。
それなら、叔母さんの家へ帰る。帰ったとしてぼくたちを待っているのは、一体なんだろう? 叔父さんはぼくたちを家族とは認めてくれないだろう。ぼくたちを引き取ったのは、お父さんの遺産と保険金が目当てであって、ぼくたちはそれにおまけでついてきた、「お荷物」なんだ。更に、叔母さんの家へ帰るには、もう一つ問題点が残されている。ここ桜ヶ浜から、ぼくたちの住んでいた街へ帰るためには、電車やバスを使わなければ、どうやっても帰れない。ヒッチハイクをしようにも、ノートもマジックも全部取られてしまった。手元の骨壷だけではどうしようもない。それに、千鳥さんが言っていたように、変な大人だっていっぱいいる。ヒッチハイクをして、千鳥さんのような優しい人にめぐり合えるかどうか分からないのだ。
どう考えても、進退窮まったという感は強かった。
その時、ふとぼくの頭の中に名案が浮かんだ。
「お母さんって、お祖母ちゃんの娘なんだよね」
「当たり前じゃん」
お姉ちゃんが、何を言い出すんだ、と言う顔つきでぼくに言った。ぼくは気に止めず続ける。
「もしかすると、お祖母ちゃんのところへ行けば、お母さんの手がかりが見つかるかもしれないよ。お祖母ちゃんはもういないけど、志郎叔父さんがいるよね」
そうだ、そうなんだ。何で気がつかなかったんだろう。ぼくたちには吉村さんに尋ねるより、小西さんを訪ねるより、もっといい手がかりがあったんだ。
ここから、お祖母ちゃん家へ行くのにどれくらい距離があるのか、分からなかったけど、叔母さんの家へ戻って、叔父さんや叔母さんに気を使い、俊哉君や実夏ちゃんにいじめられて暮らすのは、真っ平ごめんだ、と言うのは、ぼくとお姉ちゃんの総意でもあった。
「行こうよ、志郎叔父さんに会いに」
「でも、どうやって行くの? もう電車もバスも使えないんだよ」
「じゃあ、歩いて行こうよ。ぼく、お姉ちゃんと一緒なら、何処へだって行けるよ」
ぼくはそういって防波堤から立ち上がると、ひょんぴょんはねて見せた。本当は、昨日までの疲れは全然取れていなくて、筋肉痛はするし、足全体が重かった。
「ね、大丈夫だよ」
ぼくがそう言うと、お姉ちゃんは、少しだけ微笑んでから、「うん」と頷いた。
新しい目的地が決まり、ぼくたちは桜ヶ浜を離れることにした。だけど、ぼくたちには一つだけ、大きな問題が残されていた。志郎叔父さんだった。
志郎叔父さんは、お母さんの弟に当たる人で、今年で30歳になる。もともと、お祖母ちゃんの家は、代々酒屋さんをやっていて、叔父さんは大学を出た後、その酒屋さんを継いだのだ。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが他界した後は、叔父さんと、叔父さんの妻である、若葉叔母さんと二人でお店をきりもりしているのだ、とお父さんに聞いた。
ただ、お父さんとお母さんが離婚してからは、疎遠になってしまい、お父さんのお葬式にも叔父さんは顔を出してくれなかった。ぼくたちは、志郎叔父さんに殆んどあったことがない。お姉ちゃんは、お父さんが離婚する前に何度か遊んでもらったことがある、と言っていたけれど、ぼくは顔さえ思い出せないのだ。
そんな叔父さんのところへ突然行って、叔父さんは快く迎えてくれるだろうか? ぼくたちに協力してくれるだろうか。心の中は不安だらけだった。
それでも、今はただ、志郎叔父さんの家を目指す以外に、何の方策も思いつかなかった。もしも、それでダメなら、何とかしてあの街へ帰ろう。お姉ちゃんは、桜ヶ浜を出る前に、ぼくに言った。
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