第七話 砂のお城
「さて、小西さんを探そっか」
お姉ちゃんはぼくの手を引いて、歩き始めた。
「何処にいるの?」
と、ぼくが尋ねると、お姉ちゃんはぴたりと立ち止まった。ぼくは思わずきょとんとする。
「それが、良く分からないの。小西さんはこの桜ヶ浜のどこかで、お店を開いているんだけど」
「どんなお店なの? レストラン?」
「う、うん多分。お店の名前は、ラ・リシェールっていうんだって」
ぼくたちは、駅から真っ直ぐ歩いて、海浜沿いの道へ出た。太平洋に面した海辺は、やはり海水浴客で賑わっていた。今日は特に暑いから、どの海水浴場も芋の子を洗うみたいに人がごった返していた。
お姉ちゃんは、あちこちの海水浴場を周りに周って、海水浴客や交通整理のお兄さん、海の家の小父さんなどに、小西さんのお店の場所を聞いた。有名なお店なら、手がかりが得られるかもしれないと思ったのだ。しかし、返答は一様に「知らない」で、太陽が西の空に傾き始める頃、ぼくもお姉ちゃんもへとへとになっていた。
「ごめん、もっと詳しい場所聞いて来ればよかったね」
お姉ちゃんは、海岸の防波堤に座った。ぼくも倣って、お姉ちゃんの隣に腰掛ける。足が棒になって、もうこれ以上歩きたくないと思った。お姉ちゃんは、ポシェットから水の入ったペットボトルを取り出した。ペットボトルは、昨日の朝コンビニで買ったものを洗っておいたもので、水はサービスエリアの食堂で分けてもらった。
お姉ちゃんは、それをすこし呑むと「拓海も飲む? 」と言って、ペットボトルをぼくに渡してくれた。喉がカラカラで、お水が欲しくてたまらなかった。
ペットボトルを受け取って、水に口をつける。ぬるくて、美味しくなかったけど、渇いた喉を潤すのには十分だった。
「なんだか、すっごく疲れたね」
ぼんやりと海を眺めるお姉ちゃんの瞳に、沈み行く太陽が映りこむ。海はもう波が高くなりつつあり、海水浴に来た人たちも、ぞろぞろと引き上げ始めていた。
ぼくも海を眺めながら、堤防の上で足をぶらぶらさせていた。
「お姉ちゃん。あのね、お願い言ってもいい?」
「何?」
突然のことで、お姉ちゃんはすこし驚いていた。ぼくはニッと笑った。
「ついて来て、お姉ちゃん」
ぼくは堤防から飛び降りると、浜辺を波打ち際へ走っていった。足下の決め細やかな砂は、まるで綿を踏むように柔らかい。お姉ちゃんは慌ててぼくを追いかけてきた。
ぼくは波打ち際に座ると、辺りの砂をかき集め始めた。息を切らせながらやって来たお姉ちゃんは、弟が何をはじめたのか分からず当惑顔をした。ぼくはお姉ちゃんを見上げて言った。
「あのね。砂のお城作るの。手伝って」と。
ぼくは一生懸命小さな手で、一生懸命集めた砂を固めた。小高い山を積み上げて、ぽんぽんと手で押し固める。もう一度その上に砂を盛っていく。でも乾いた砂はどんなに積み上げても、すぐに崩れ落ちていく。お姉ちゃんはしばらく、ぼくの方を見て呆気に取られていたけど、突然クスっ、と笑った。
「拓海はバカだねぇ。それじゃ100年たっても、お城は出来上がらないよ」
お姉ちゃんはそう言うと、波打ち際へかけていき、両手いっぱいの湿った砂を集めてきた。
「湿った土を使うんだよ。そうしたら崩れにくくなるから」
お姉ちゃんはニコニコ笑って、湿った土を使って、あっという間にお城をつくる土台の山を造った。さすが、お姉ちゃんだ、なんて思う。
ぼくは辺りから、浜辺に流れ着いた貝殻を集めて、山肌をデコレートしていった。お姉ちゃんは更に土台の上にお城を作る。とんがり屋根のお城だ。
「下にトンネル掘ろうっ」
そう提案したのはお姉ちゃんの方だった。ぼくたちは両端からトンネルを掘ることにした。トンネル掘りは、砂のお城の真骨頂にして最大の難度を誇る作業なのだ。もしも、失敗すると、土台は崩れ、お城は倒壊して、ぼくたちの手は生き埋めになってしまう。
慎重に、慎重に掘り進めていくと、指先にこつん、と何かが触れる。それが、お姉ちゃんの指先だと分かるまでにそんなに時間がかからなかった。
「やった、繋がったよ」
お姉ちゃんが喜んで、手を引いた。かくして、お城の真下を通過するトンネルが完成した。ふと、顔を上げるともう夕陽は水平線にきえ、うっすらとオレンジの光を残しているに過ぎなかった。そらには、一番星である金星がキラキラと光っていた。
「もうだめ、私、疲れたよう」
お姉ちゃんは立ち上がると、手やスカートについた砂をはたき落としながら言った。でも、その顔はとても輝いていた。波打ち際に完成した砂のお城は、今まで誰が作ったお城よりもかっこよくて、綺麗だった。お姉ちゃんは、よほど疲れたのかフラフラしながら、浜辺に転がった。
「拓海も寝転がってみなよ」
お姉ちゃんが仰向けになって言った。ぼくは促されて、お姉ちゃんの隣に寝そべった。砂浜はベッドみたいに柔らかく、ほのかに昼間の太陽の熱が残っていた。
仰向けになって空を見上げると、雲ひとつないことに気がつく。晴れ渡る夜空には、すでに無数の星が瞬いていた。どの星がどんな星座を作るのかわからなかったけど、その天然のプラネタリウムにぼくの瞳は吸い込まれそうになったのだ。
「お星様、すごいね。流れ星、流れないかなあ」
ぼくが言ったその時、夜空を西から東に、キラリとひとすじの光が渡っていった。流れ星だ、お願いごとしなくちゃ、って思っているうちに、もう流れ星はぼくの視界から消えていた。
「お姉ちゃん、お願いできた?」
「無理だよ。あんなに速いんじゃ」お姉ちゃんが苦笑しながらぼくに言った。「もし、願い事が出来たら、何をお願いするつもりだったの?」
そう聞かれると、困ってしまう。願い事といわれても、簡単には思いつかない。流れ星にお願いする人の十中八九が、願い事が思いつかなくて、あれよあれよという間に、流れ星は消えているのだ。ぼくは、寝そべったまま腕組みをした。
「わかんない」
「それじゃ、流れ星が出ても、お願いできないじゃない」
お姉ちゃんが苦笑する。ぼくは少しだけムッとした。
「じゃあ、お姉ちゃんは何をお願い事するの?」
「私は……お母さんのところへ早く行けますように、かな」
と言って、お姉ちゃんはクスリと笑った。そうなのだ、ぼくたちの切実な問題としていうなら、それが一番の願い事だ。それが思いつかなかったのが、ぼくは無性に悔しかった。ぼんやりと、夜空を見上げて、もう一度流れ星が現れないかと、思っていたけれど、一向にその気配がない。
夜風が潮の香りと一緒に、心地よく吹き、切り取られたような星だけの空に、寄せては帰す潮騒の音が彩りを添えていた。ふと気がつくと、お姉ちゃんはいつの間にか、すやすやと寝息を立てていた。
「おやすみ」と、ぼくは囁くようにお姉ちゃんに言ってから、瞳を閉じた。
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