表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Belong  作者: 雪宮鉄馬
6/17

第六話 千鳥さんのはなし

ぼくたちを乗せたデコトラが、高速道路のサービスエリアに入る。お姉ちゃんに揺さぶり起こされたとき、もうあたりは陽が暮れていて、夕焼けが高速道路の向こうに沈みかけていた。千鳥さんは、車の少ない駐車場にデコトラを止めると「晩飯食べるよ」といって、ぼくたちを連れて、サービスエリアの中に入った。

 やはり、サービスエリアの中も人が少なくて、静かだった。ぼくたちは食堂へと向かい、そこで夜ご飯を食べることにした。

「セルフサービスだけど、結構美味いんだ。お奨めは、うどんかカレーだな」

 千鳥さんは食券機の前で、ぼくたちに説明した。このサービスエリアは千鳥さん行き着けの場所で、配達の途中に良く寄るのだそうだ。

「拓海は何にする? 私、カレーにするけど」

 お姉ちゃんに言われて僕はしばらく悩む。食品サンプルはどれもおいしそうに見えて、どれにするべきかついつい悩んでしまうのだ。お父さんと三人で外食した時は、いつも「早く選べ」と急かすお姉ちゃんが、今日はずっと待ってくれた。ぼくは、悩んだ挙句お姉ちゃんと同じ、カレーライスにすることにした。

 お姉ちゃんがお財布から、お金を取り出そうとすると、千鳥さんがそれを止めて、ぼくたちの分まで食券を買ってくれた。

 食券を出して、カレーをもらい、席に着くとお姉ちゃんが深々と千鳥さんに頭を下げた。

「何から何まで、ありがとうございます」

 お姉ちゃんが丁寧にお礼を言うと、千鳥さんは特有のがははっ、という笑い声を上げて。

「ほんっと、しっかりしてるね、春香。拓海は良いお姉ちゃん持ったね、姉ちゃんに感謝するんだよ」

 と言った。お姉ちゃんはすこし照れくさそうに「えへへ」と笑った。

 カレーはちょっぴり辛かったけど、千鳥さんが言った通りとても美味しかった。朝から何も食べてなかったお姉ちゃんもぼくも、あっという間に、全部食べ終わってしまって、千鳥さんは目を丸くした。そして、「よほど腹が減ってたんだね」と言った。

 夜ご飯を食べ終わり、サービスエリアを出発する頃には、もう陽は沈んでいた。デコトラは再び高速道路を走っていく。

 今度はお姉ちゃんが、お腹がいっぱいになって眠くなったらしい。気がつくとお姉ちゃんは、ぼくの隣ですやすやと寝息を立てていた。

「おやおや、寝ちゃったね」

 千鳥さんはハンドルを握りながら、チラリとお姉ちゃんを見て目を細めた。お姉ちゃんが寝てしまって、車内にはぼくと千鳥さんだけみたいになってしまった。千鳥さんに何を話したら良いんだろう? 

「あんたは静かな子だねぇ」

 沈黙の中で困っていると、千鳥さんが言った。

「あの、あの、ぼく」

 何とか話題を探そうとしたけど、お姉ちゃんのように上手く言葉が出てこない。おどおどしているのが、千鳥さんにも分かったのだろう。すこし口許に笑みが浮かんだ。

「あたしの子もあんたと良く似てる」

「千鳥さん、子どもがいるの?」

「ああ、愛する旦那は、何とかっていう病気になって、ぽっくり逝っちまった。あたしと、健太を残してね。健太っていうのは、あたしの愛息子」

 そういうと、千鳥さんはダッシュボードを空けて一枚の写真を取り出した。写真には、千鳥さんと千鳥さんの旦那さん、それに健太くんが写っていた。動物園での記念写真であることは、背景のゾウが物語っていた。

「そこの賢そうなヤツがあたしの旦那様」

 千鳥さんの隣でメガネの男の人が旦那さんだった。賢そうと言う形容詞がぴったりの顔つきをしている。

「そんで、あたしと旦那の間にいる、チビスケが健太」

 千鳥さんのズボンの裾を必死に掴んで、少しふてくされたような顔をして、健太くんは写っていた。

「親ばかだから言うわけじゃないけど、いい子なんだよ、健太。あたしがこうして仕事に出かけてるときは、あたしの実家に預けてるんだけど、わがままも言わないし、あたしの母さんの手伝いもちゃんとやる。でもね」

「でも?」

「旦那が死んで、すぐあの子ほとんど喋らなくなったんだ。心の病気かな、って思って病院に連れて行ったけど、良くならなかった」

 千鳥さんの声が少しずつ沈んでいく。

「だけど、あたしにとっては、命より大事な宝物なんだ。あたしが仕事から帰って、『ただいま』っていうと、いつもポツリと一言『お帰り』って言ってくれるのが、たまらなく嬉しい。旦那が死んだ時は、どうしてあたしたちを置いて行ったんだって、ひどく悔しくって悲しくて辛かった。病気で死んだんだ。あたしが悪いわけでも、誰が悪いわけでもなかったのに。でもね、今は違う。旦那がいなくなってしまったのは、辛いけれど、あの人はあたしに、大切な宝物を残してくれた。健太をね。だから、あたしが旦那のところへ行くまで、後何十年かかるか知らないけど、その時は、目いっぱいあの人に言おうと思ってる。『ありがとう』って。今、こうして仕事頑張れるのも、家に帰れば健太が待っててくれるからなんだ」

 そこまで言って、千鳥さんはすこし涙ぐんだ瞳を拭いた。

「あんたには、退屈な話だったね」

 涙を悟られまいと、千鳥さんは努めて明るい声でぼくに言う。

「ううん。全然。でもどうしてそんな話してくれたの?」

「そうだな、あんたがガキで、何のリスクもなく、あたしが聞いて欲しい話が出来るから。それと、あんたが健太と似ているからかな?」

 写真で判断する限り、健太くんと僕は全然似てないと思った。健太くんのほうがずっと、ぼくよりしっかり者の顔をしてる。

「ぼく健太くんみたいにいい子じゃないよ。お姉ちゃんを困らせてばかりだし、弱虫だし、泣き虫だし。いっつもお姉ちゃんに言われるの。『男の子でしょ』って。だから、お父さんは死んじゃったのかもしれない」

「え?」

 千鳥さんは、ぼくの突然の科白に驚いていた。ぼくは拙い言葉で、千鳥さんをヒッチハイクした理由を説明した。上手く説明できなくても、千鳥さんは真剣に僕の話を聞いてくれた。

「そうか……そんな事情があったのか」話を聞き終わって、千鳥さんは重い声を出した。

「あのね、全部話しちゃったこと、お姉ちゃんには内緒にしてね」

「ああ、いいよ。あたしと拓海の秘密だ」

 ニカっと千鳥さんが笑う。僕は胸を撫で下ろした。

「拓海はお姉ちゃんが好きか?」唐突に千鳥さんがぼくに尋ねた。

「うん、大好きだよ。喧嘩したら時々ぼくのコト叩くけど、お姉ちゃん優しいもん。それに、絶対お姉ちゃんは泣いたりしない」

「あはは、そうかい。拓海」

 すこし笑ってから、千鳥さんは急に声のトーンを下げた。

「もしも、何かあって姉ちゃんが泣くようなことがあったら、拓海、あんたがしっかり姉ちゃんを守ってやるんだよ」

 その時、千鳥さんが言ったその言葉は、ぼくにとって何ら現実味のない言葉だった。どんな時でも、強くて絶対に泣いたりなんかしないお姉ちゃんが「泣く」ことなんて、ありえないと思っていた。


 いつの間にかぼくも眠っていた。朝日がフロントガラスから差し込んで目を覚ますと、ぼくとお姉ちゃんそれぞれに、タオルケットが掛けられていた。千鳥さんが掛けてくれたんだ。まだデコトラは高速道路を走っていた。きっと一睡もしていない千鳥さんは、それでも全然眠そうな顔を見せず、朝日に目を細めていた。

 ぼくは眠い目をこすりながら、タオルケットをのけた。

「おはよう、千鳥さん」

 ぼくが欠伸混じりに言うと、千鳥さんはニコニコしながら「おはよう」と答えてくれた。ずっと座った姿勢のままで寝ていたから、足腰が痛い。二日連続で、朝起きると体が痛いという経験は初めてだ。

 ぼくが伸びをしようと、座席でごそごそとしていると、隣で眠っていたお姉ちゃんも目を覚ました。

 朝日が昇りきる頃、千鳥さんが「もうじき桜ヶ浜だよ」と言った。デコトラはインターチェンジをすべるように降りた。そこからしばらく街中を抜けていくと、ビルとビルの間から、眩しい光と一緒に、青い海が広がった。

 桜ヶ浜だ。

 市電の線路を渡ると、デコトラは海岸沿いの国道を走る。波間に陽の光がキラキラと光り、遠くに浮かぶ入道雲が空と海を隔てていた。沖にはヨット、浜には海水浴をする人がたくさんいる。開け放した車の窓から、時折潮の香りに乗って、カモメの鳴き声がぼくの耳に届いた。

「それで、何処で降ろせばいい?」

 デコトラを走らせながら、千鳥さんがお姉ちゃんに問いかけた。お姉ちゃんはしばらく考えてから。

「電車の駅とかありますか? あれば、そこで降ろして下さい」と言った。

 千鳥さんは「了解」とだけ言うと、駅へと向かった。市電の駅はそんなに遠くなかった。駅前は海水浴に来た人たちで溢れていて、千鳥さんはしばらく停車する場所を探してから、ぼくたちを降ろしてくれた。

「色々、ありがとうございました」

 車を降りて、お姉ちゃんが頭を深々と下げて、千鳥さんにお礼を言った。千鳥さんは笑みを浮かべた。

「いい旅になるといいな。二人とも、道中気を付けるんだよ。また、何処かで会ったら、飯おごってやるからな。元気でな、春香、拓海」

 千鳥さんはそう言うと、ぼくにウィンクした。お姉ちゃんもそれに気がついて、ぼくの方を見て不思議そうな顔をした。

 お姉ちゃんが助手席のドアを閉めると、デコトラは発進する。すこし進んでから、千鳥さんは二回クラクションを鳴らした。ぼくたちは、千鳥さんのデコトラが見えなくなるまで、見送った。


ご意見・ご感想などございましたら、お寄せください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ