第六話 千鳥さんのはなし
ぼくたちを乗せたデコトラが、高速道路のサービスエリアに入る。お姉ちゃんに揺さぶり起こされたとき、もうあたりは陽が暮れていて、夕焼けが高速道路の向こうに沈みかけていた。千鳥さんは、車の少ない駐車場にデコトラを止めると「晩飯食べるよ」といって、ぼくたちを連れて、サービスエリアの中に入った。
やはり、サービスエリアの中も人が少なくて、静かだった。ぼくたちは食堂へと向かい、そこで夜ご飯を食べることにした。
「セルフサービスだけど、結構美味いんだ。お奨めは、うどんかカレーだな」
千鳥さんは食券機の前で、ぼくたちに説明した。このサービスエリアは千鳥さん行き着けの場所で、配達の途中に良く寄るのだそうだ。
「拓海は何にする? 私、カレーにするけど」
お姉ちゃんに言われて僕はしばらく悩む。食品サンプルはどれもおいしそうに見えて、どれにするべきかついつい悩んでしまうのだ。お父さんと三人で外食した時は、いつも「早く選べ」と急かすお姉ちゃんが、今日はずっと待ってくれた。ぼくは、悩んだ挙句お姉ちゃんと同じ、カレーライスにすることにした。
お姉ちゃんがお財布から、お金を取り出そうとすると、千鳥さんがそれを止めて、ぼくたちの分まで食券を買ってくれた。
食券を出して、カレーをもらい、席に着くとお姉ちゃんが深々と千鳥さんに頭を下げた。
「何から何まで、ありがとうございます」
お姉ちゃんが丁寧にお礼を言うと、千鳥さんは特有のがははっ、という笑い声を上げて。
「ほんっと、しっかりしてるね、春香。拓海は良いお姉ちゃん持ったね、姉ちゃんに感謝するんだよ」
と言った。お姉ちゃんはすこし照れくさそうに「えへへ」と笑った。
カレーはちょっぴり辛かったけど、千鳥さんが言った通りとても美味しかった。朝から何も食べてなかったお姉ちゃんもぼくも、あっという間に、全部食べ終わってしまって、千鳥さんは目を丸くした。そして、「よほど腹が減ってたんだね」と言った。
夜ご飯を食べ終わり、サービスエリアを出発する頃には、もう陽は沈んでいた。デコトラは再び高速道路を走っていく。
今度はお姉ちゃんが、お腹がいっぱいになって眠くなったらしい。気がつくとお姉ちゃんは、ぼくの隣ですやすやと寝息を立てていた。
「おやおや、寝ちゃったね」
千鳥さんはハンドルを握りながら、チラリとお姉ちゃんを見て目を細めた。お姉ちゃんが寝てしまって、車内にはぼくと千鳥さんだけみたいになってしまった。千鳥さんに何を話したら良いんだろう?
「あんたは静かな子だねぇ」
沈黙の中で困っていると、千鳥さんが言った。
「あの、あの、ぼく」
何とか話題を探そうとしたけど、お姉ちゃんのように上手く言葉が出てこない。おどおどしているのが、千鳥さんにも分かったのだろう。すこし口許に笑みが浮かんだ。
「あたしの子もあんたと良く似てる」
「千鳥さん、子どもがいるの?」
「ああ、愛する旦那は、何とかっていう病気になって、ぽっくり逝っちまった。あたしと、健太を残してね。健太っていうのは、あたしの愛息子」
そういうと、千鳥さんはダッシュボードを空けて一枚の写真を取り出した。写真には、千鳥さんと千鳥さんの旦那さん、それに健太くんが写っていた。動物園での記念写真であることは、背景のゾウが物語っていた。
「そこの賢そうなヤツがあたしの旦那様」
千鳥さんの隣でメガネの男の人が旦那さんだった。賢そうと言う形容詞がぴったりの顔つきをしている。
「そんで、あたしと旦那の間にいる、チビスケが健太」
千鳥さんのズボンの裾を必死に掴んで、少しふてくされたような顔をして、健太くんは写っていた。
「親ばかだから言うわけじゃないけど、いい子なんだよ、健太。あたしがこうして仕事に出かけてるときは、あたしの実家に預けてるんだけど、わがままも言わないし、あたしの母さんの手伝いもちゃんとやる。でもね」
「でも?」
「旦那が死んで、すぐあの子ほとんど喋らなくなったんだ。心の病気かな、って思って病院に連れて行ったけど、良くならなかった」
千鳥さんの声が少しずつ沈んでいく。
「だけど、あたしにとっては、命より大事な宝物なんだ。あたしが仕事から帰って、『ただいま』っていうと、いつもポツリと一言『お帰り』って言ってくれるのが、たまらなく嬉しい。旦那が死んだ時は、どうしてあたしたちを置いて行ったんだって、ひどく悔しくって悲しくて辛かった。病気で死んだんだ。あたしが悪いわけでも、誰が悪いわけでもなかったのに。でもね、今は違う。旦那がいなくなってしまったのは、辛いけれど、あの人はあたしに、大切な宝物を残してくれた。健太をね。だから、あたしが旦那のところへ行くまで、後何十年かかるか知らないけど、その時は、目いっぱいあの人に言おうと思ってる。『ありがとう』って。今、こうして仕事頑張れるのも、家に帰れば健太が待っててくれるからなんだ」
そこまで言って、千鳥さんはすこし涙ぐんだ瞳を拭いた。
「あんたには、退屈な話だったね」
涙を悟られまいと、千鳥さんは努めて明るい声でぼくに言う。
「ううん。全然。でもどうしてそんな話してくれたの?」
「そうだな、あんたがガキで、何のリスクもなく、あたしが聞いて欲しい話が出来るから。それと、あんたが健太と似ているからかな?」
写真で判断する限り、健太くんと僕は全然似てないと思った。健太くんのほうがずっと、ぼくよりしっかり者の顔をしてる。
「ぼく健太くんみたいにいい子じゃないよ。お姉ちゃんを困らせてばかりだし、弱虫だし、泣き虫だし。いっつもお姉ちゃんに言われるの。『男の子でしょ』って。だから、お父さんは死んじゃったのかもしれない」
「え?」
千鳥さんは、ぼくの突然の科白に驚いていた。ぼくは拙い言葉で、千鳥さんをヒッチハイクした理由を説明した。上手く説明できなくても、千鳥さんは真剣に僕の話を聞いてくれた。
「そうか……そんな事情があったのか」話を聞き終わって、千鳥さんは重い声を出した。
「あのね、全部話しちゃったこと、お姉ちゃんには内緒にしてね」
「ああ、いいよ。あたしと拓海の秘密だ」
ニカっと千鳥さんが笑う。僕は胸を撫で下ろした。
「拓海はお姉ちゃんが好きか?」唐突に千鳥さんがぼくに尋ねた。
「うん、大好きだよ。喧嘩したら時々ぼくのコト叩くけど、お姉ちゃん優しいもん。それに、絶対お姉ちゃんは泣いたりしない」
「あはは、そうかい。拓海」
すこし笑ってから、千鳥さんは急に声のトーンを下げた。
「もしも、何かあって姉ちゃんが泣くようなことがあったら、拓海、あんたがしっかり姉ちゃんを守ってやるんだよ」
その時、千鳥さんが言ったその言葉は、ぼくにとって何ら現実味のない言葉だった。どんな時でも、強くて絶対に泣いたりなんかしないお姉ちゃんが「泣く」ことなんて、ありえないと思っていた。
いつの間にかぼくも眠っていた。朝日がフロントガラスから差し込んで目を覚ますと、ぼくとお姉ちゃんそれぞれに、タオルケットが掛けられていた。千鳥さんが掛けてくれたんだ。まだデコトラは高速道路を走っていた。きっと一睡もしていない千鳥さんは、それでも全然眠そうな顔を見せず、朝日に目を細めていた。
ぼくは眠い目をこすりながら、タオルケットをのけた。
「おはよう、千鳥さん」
ぼくが欠伸混じりに言うと、千鳥さんはニコニコしながら「おはよう」と答えてくれた。ずっと座った姿勢のままで寝ていたから、足腰が痛い。二日連続で、朝起きると体が痛いという経験は初めてだ。
ぼくが伸びをしようと、座席でごそごそとしていると、隣で眠っていたお姉ちゃんも目を覚ました。
朝日が昇りきる頃、千鳥さんが「もうじき桜ヶ浜だよ」と言った。デコトラはインターチェンジをすべるように降りた。そこからしばらく街中を抜けていくと、ビルとビルの間から、眩しい光と一緒に、青い海が広がった。
桜ヶ浜だ。
市電の線路を渡ると、デコトラは海岸沿いの国道を走る。波間に陽の光がキラキラと光り、遠くに浮かぶ入道雲が空と海を隔てていた。沖にはヨット、浜には海水浴をする人がたくさんいる。開け放した車の窓から、時折潮の香りに乗って、カモメの鳴き声がぼくの耳に届いた。
「それで、何処で降ろせばいい?」
デコトラを走らせながら、千鳥さんがお姉ちゃんに問いかけた。お姉ちゃんはしばらく考えてから。
「電車の駅とかありますか? あれば、そこで降ろして下さい」と言った。
千鳥さんは「了解」とだけ言うと、駅へと向かった。市電の駅はそんなに遠くなかった。駅前は海水浴に来た人たちで溢れていて、千鳥さんはしばらく停車する場所を探してから、ぼくたちを降ろしてくれた。
「色々、ありがとうございました」
車を降りて、お姉ちゃんが頭を深々と下げて、千鳥さんにお礼を言った。千鳥さんは笑みを浮かべた。
「いい旅になるといいな。二人とも、道中気を付けるんだよ。また、何処かで会ったら、飯おごってやるからな。元気でな、春香、拓海」
千鳥さんはそう言うと、ぼくにウィンクした。お姉ちゃんもそれに気がついて、ぼくの方を見て不思議そうな顔をした。
お姉ちゃんが助手席のドアを閉めると、デコトラは発進する。すこし進んでから、千鳥さんは二回クラクションを鳴らした。ぼくたちは、千鳥さんのデコトラが見えなくなるまで、見送った。
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